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2007年1月21日 (日) 04:54時点における版
酒井 家次(さかい いえつぐ、永禄7年(1564年) - 元和4年3月15日(1618年4月10日))は戦国時代から江戸時代の人物。徳川氏の家臣。酒井忠次の嫡男。母は徳川家康の祖父・松平清康の娘で、家康の従兄弟にあたる。臼井藩主、高崎藩主、高田藩主。
生涯
幼少より家康の家臣として仕え、1588年、父の忠次の隠居に伴って家督を継いだ。1590年の小田原征伐後、家康から下総国臼井(碓井)に3万7000石を与えられる。しかし、松平信康の自害事件などが尾を引いて、父同様に家康からは疎まれていたとも言われている。関ヶ原の戦いでも活躍した。
1604年に上野国高崎5万石に移封。その後は江戸城の留守居役や、大坂の陣では、力戦して数多くの敵を倒し活躍したと言われている。1616年に越後国高田城主。10万石に移封、1618年に55歳で死去。
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