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「アンドレア・デッラ・ヴァッレ」の版間の差分

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'''アンドレア・デッラ・ヴァッレ'''(Andrea Della Valle、[[1965年]][[10月14日]] - )は[[イタリア]]の[[実業家]]。[[セリエA (サッカー)|セリエA]]・[[フィオレンティーナ]]の会長。
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== 経歴 ==
== 経歴 ==
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== フィオレンティーナ会長 ==
== フィオレンティーナ会長 ==
2002年、[[フィオレンティーナ]]の破産を受けて新たに設立された'''フロレンティア・ヴィオラ'''の経営権を買い取り、セリエC2からクラブの再建を引き受けることとなった。2003年には債権者の手に渡ったフィオレンティーナの商標を買い戻し、現在の'''ACFフィオレンティーナ'''が誕生。2004年12月には筆頭株主としてフィオレンティーナ会長に就任。
2002年、[[ACFフィオレンティーナ|フィオレンティーナ]]の破産を受けて新たに設立された'''フロレンティア・ヴィオラ'''の経営権を買い取り、セリエC2からクラブの再建を引き受けることとなった。2003年には債権者の手に渡ったフィオレンティーナの商標を買い戻し、現在の'''ACFフィオレンティーナ'''が誕生。2004年12月には筆頭株主としてフィオレンティーナ会長に就任。


2005-06シーズンには監督に[[チェーザレ・プランデッリ]]、SDに[[パンタレオ・コルヴィーノ]]を招聘して本格的再建に乗り出した。チームは4位に躍進し、UEFAチャンピオンズリーグへの出場権を獲得。
2005-06シーズンには監督に[[チェーザレ・プランデッリ]]、SDに[[パンタレオ・コルヴィーノ]]を招聘して本格的再建に乗り出した。チームは4位に躍進し、UEFAチャンピオンズリーグへの出場権を獲得。

2023年5月28日 (日) 13:32時点における最新版

アンドレア・デッラ・ヴァッレ(Andrea Della Valle、1965年10月14日 - )はイタリア実業家セリエAフィオレンティーナの会長。

経歴[編集]

デッラ・ヴァッレ家は革靴の高級ブランド、TOD'Sグループを経営する大富豪で、現在はアンドレアと兄のディエゴ・デッラ・ヴァッレとの双頭体制である。

フィオレンティーナ会長[編集]

2002年、フィオレンティーナの破産を受けて新たに設立されたフロレンティア・ヴィオラの経営権を買い取り、セリエC2からクラブの再建を引き受けることとなった。2003年には債権者の手に渡ったフィオレンティーナの商標を買い戻し、現在のACFフィオレンティーナが誕生。2004年12月には筆頭株主としてフィオレンティーナ会長に就任。

2005-06シーズンには監督にチェーザレ・プランデッリ、SDにパンタレオ・コルヴィーノを招聘して本格的再建に乗り出した。チームは4位に躍進し、UEFAチャンピオンズリーグへの出場権を獲得。

ところが、2006年に発覚したカルチョ・スキャンダルへの関与が明らかになると3年間の活動禁止が言い渡され、クラブも重いペナルティを課された。

しかし、ペナルティを課されたフィオレンティーナは2シーズン連続で好成績を収め、2008-09シーズンにはチャンピオンズリーグ出場を果たすなど、クラブ再建は順調に進められている。