「両宮山古墳」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
地図追加。
出典を明示して全体加筆修正、画像追加と更新。
タグ: サイズの大幅な増減
1行目: 1行目:
{{日本の古墳|
{{日本の古墳
名称=両宮山古墳|
|名称 = 両宮山古墳
|画像 = [[File:Ryoguzan Kofun, zenkei-1.jpg|280px]]<br />墳丘全景(手前に前方部、左奥に後円部)
所在地=岡山県赤磐市穂崎|
|所属 = [[両宮山古墳群|両宮山古墳群(西高月古墳群)]]
緯度度 = 34|緯度分 = 44|緯度秒 = 23.19|
|所在地 = [[岡山県]][[赤磐市]]穂崎・和田
経度度 =134|経度分 = 0|経度秒 = 9.36|
|緯度度 = 34|緯度分 = 44|緯度秒 = 23.20
ISO = JP-33|
|経度度 =134|経度分 = 0|経度秒 = 9.36
形状=前方後円墳|
|ISO = JP-33
築造年代=5世紀中葉|
|形状 = [[前方後円墳]]
規模=全長194m<br />前方部高さ41m|
|規模 = 墳丘長206m<br />高さ25.1m(前方部)
被葬者=不明|
|築造年代 = [[5世紀]]後半
史跡指定=[[昭和]]2年([[1927年]])4月8日国指定|
|埋葬施設 = 不明
出土品=|
|被葬者 =
特記事項=全国第36位の規模<ref>[https://www.city.sakai.lg.jp/kanko/rekishi/dkofun/ranking/zenkoku.html 古墳大きさランキング(日本全国版)](堺市ホームページ、2016年6月20日更新版)。</ref>|
|出土品 =
画像=[[Image:Ryoguzan Kofun air.jpg|250px]]<br />両宮山古墳{{国土航空写真}}|
|史跡指定 = 国の[[史跡]]「両宮山古墳」
地図 = Japan Okayama|
|特記事項 = 全国第36位(墳丘長200mとする場合)/岡山県第3位/備前地方第1位の規模<ref name="堺市">[https://www.city.sakai.lg.jp/kanko/rekishi/dkofun/ranking/zenkoku.html 古墳大きさランキング(日本全国版)](堺市ホームページ、2016年6月20日更新版)。</ref><br />[[大仙陵古墳]]の5分の2相似形<ref name="赤磐市"/>
アイコン = 前方後円墳-南東
|地図2 = {{Location map+|Japan Okayama|width=200|float=center|caption=|places=
{{Location map~|Japan Okayama|lat_deg=34|lat_min=44|lat_sec=23.20|lon_deg=134|lon_min=0|lon_sec=9.36|label='''両宮山古墳'''|label_size=100|position=top|mark=前方後円墳-南東.png|marksize=24}}
{{Location map~|Japan Okayama|lat_deg=34|lat_min=39|lat_sec=51.18|lon_deg=133|lon_min=46|lon_sec=8.52|label=[[作山古墳]]|label_size=100|position=bottom|mark=Blue_pog.svg|marksize=8}}
{{Location map~|Japan Okayama|lat_deg=34|lat_min=40|lat_sec=25.63|lon_deg=133|lon_min=48|lon_sec=13.35|label=[[造山古墳 (岡山市)|造山古墳]] |label_size=100|position=top|mark=Blue_pog.svg|marksize=8}}}}
}}
}}
{{座標一覧}}
[[Image:Ryoguzan Kofun 02.JPG|250px|thumb|周濠と古墳]]
'''両宮山古墳'''(りょうぐうざんこふん)は、[[岡山県]][[赤磐市]]穂崎にある[[古墳]]。形状は[[前方後円墳]]。国の[[史跡]]に指定されている。
'''両宮山古墳'''(りょうぐうざんこふん)は、[[岡山県]][[赤磐市]]穂崎・和田にある[[古墳]]。形状は[[前方後円墳]]。[[両宮山古墳群|両宮山古墳群(西高月古墳群)]]を構成する古墳の1つ。国の[[史跡]]に指定されている。

備前地方では最大、岡山県では第3位の規模の古墳で<ref group="注" name="規模">岡山県における主な古墳は次の通り。
# [[造山古墳 (岡山市)|造山古墳]](岡山市北区新庄下) - 墳丘長350メートル。
# [[作山古墳]](総社市三須) - 墳丘長282メートル。
# '''両宮山古墳'''(赤磐市穂崎) - 墳丘長206メートル。
# [[操山古墳群|金蔵山古墳]](岡山市中区沢田) - 墳丘長165メートル。
</ref>、[[5世紀]]後半([[古墳時代]]中期)頃の築造と推定される。


== 概要 ==
== 概要 ==
岡山県南部、本宮高倉山南東麓の[[扇状地]]斜面に築造された巨大前方後円墳である{{Sfn|両宮山古墳|2005年|pp=12-18}}。一帯では本古墳含む前方後円墳4基・[[帆立貝形古墳]]2基などからなる[[両宮山古墳群|両宮山古墳群(西高月古墳群)]]の営造が知られ、本古墳はその主墳になる。墳丘上では前方部に両宮神社が造営されているほか、墳丘周囲部ではこれまでに数次の発掘調査が実施されている。
周辺の古墳から見て[[古墳時代]]中期の5世紀半ばに築造されたと考えられている。
岡山県下では岡山市[[造山古墳 (岡山市)|造山古墳]]、総社市[[作山古墳]]に次ぐ3位の大きさであり<ref>本古墳は備前地域最大であり、岡山市造山古墳、総社市作山古墳、赤磐市両宮山古墳の順で築かれた。つまり吉備の首長権が備中から備前に移動した可能性がある。([[#宇垣|宇垣(1991) 131ページ]])</ref>、全国では39位の規模である。吉備政権の動向を考える上で重要である。
[[1927年]]([[昭和]]2年)4月8日、国の史跡に指定された。


墳形は前方後円形で、墳丘主軸を傾斜面と平行とし、前方部を南東方(傾斜面の低位方)に向ける。墳丘は3段築成<ref name="2016年パンフレット"/>。墳丘長は206メートルを測るが、これは備前地方(岡山県南東部)では最大規模で、岡山県では[[造山古墳 (岡山市)|造山古墳]]([[岡山市]][[北区 (岡山市)|北区]]新庄下、350メートル:全国第4位)・[[作山古墳]]([[総社市]]三須、282メートル:全国第10位)に次ぐ第3位の規模になる<ref group="注" name="規模"/>。墳丘の左右くびれ部には高い[[造出]]を有する{{Sfn|両宮山古墳|2005年|pp=81-91}}<ref name="赤磐市"/>。墳丘表面で[[葺石]]・[[埴輪]]は検出されていない{{Sfn|両宮山古墳|2005年|pp=81-91}}。主体部の埋葬施設は未調査のため明らかでない{{Sfn|両宮山古墳(国指定史跡)}}。墳丘周囲には2重周濠が巡らされており、周濠を含めた全長は349メートルにもおよぶ<ref name="2016年パンフレット"/>{{Sfn|両宮山古墳(国指定史跡)}}。2重周濠のうち外濠は周辺田畑に埋没しているが、内濠は現在も水をたたえる。また周辺では、後円部側に[[陪塚]]と見られる和田茶臼山古墳が築造されている。
墳丘の全長は約194メートル、後円部直径は約103メートル・高さ約20メートル、前方部の長さは120メートル・高さは41メートルである。墳丘のくびれ部両側には[[大仙陵古墳]]に見られるような[[造り出し]]がある。
<div class="thumb tright">
平面形が楯形の幅約28メートルの周濠を廻らせ、その外側に周堤をめぐらしていたが、現在、後円部と前方部の一部の周囲は埋め立てられている。
{| class="wikitable" style="background:#ffffff;text-align:center;font-size:85%;"
|+[[両宮山古墳群]]の推定首長墓系譜{{Sfn|史跡両宮山古墳中堤保存工事報告書|2008年|pp=1-9}}<ref name="2016年パンフレット"/>
!古墳名!!形状!!墳丘長!!時期
|-
|'''両宮山古墳'''||[[前方後円墳]]||206m||5c後半
|-
|[[森山古墳]]||[[帆立貝形古墳]]||82m||5c後半
|-
|[[朱千駄古墳]]||前方後円墳||85m||5c末
|-
|[[小山古墳]]||前方後円墳||67m||5c末
|-
|[[廻り山古墳]]||前方後円墳||47m||6c前半
|}
</div>
この両宮山古墳は、[[古墳時代]]中期の[[5世紀]]後半頃の築造と推定される{{Sfn|両宮山古墳|2005年|pp=81-91}}。周辺古墳では[[森山古墳]]が後継首長墓と推測され、続いて[[朱千駄古墳]]・[[小山古墳]]・[[廻り山古墳]]と規模を縮小しながら築造された{{Sfn|史跡両宮山古墳中堤保存工事報告書|2008年|pp=1-9}}<ref name="2016年パンフレット"/>。また、吉備の3大古墳としては造山古墳・作山古墳に次ぐ3番目の築造になるが、両古墳と異なり2重周濠を採用して「畿内型」の様相が強い点、および巨大古墳でありながら本古墳には葺石・埴輪が見られない点が注目される{{Sfn|両宮山古墳|2005年|pp=81-91}}。なお『[[日本書紀]]』[[雄略天皇]]紀には吉備の反乱伝承が見えており、その伝承と両宮山古墳以後に吉備で古墳規模が縮小することとの対応を推測する説がある<ref name="赤磐市"/>。


古墳域は[[1927年]]([[昭和]]2年)に国の[[史跡]]に指定されている<ref name="国指定"/>。なお両宮山古墳付近では、後世に古代[[山陽道]]が引かれているほか(造山古墳・作山古墳も同様){{Sfn|史跡両宮山古墳中堤保存工事報告書|2008年|pp=1-9}}、西側では後世に[[備前国分寺跡|備前国分寺]]も営まれている。
[[2003年]]([[平成]]15年)より[[2005年]](平成17年)までの3年間に[[発掘調査]]が行われ、周濠が二重に廻らされていることが判明した。調査の結果、外部の周濠は幅は約13メートル、最深部は3メートルあったことが確認された。この結果、周濠を含めた古墳の総長は346メートルに達することとなった。目立った出土品はなく[[埴輪]]・[[葺石]]も確認されていない。


=== 来歴 ===
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には前方部に[[和田伊織]]が砦程度の両宮城を構え、この際に古墳は一部改変されたと思われる。
* [[1912年]]([[大正]]元年)作成の地図に名称の記載{{Sfn|史跡両宮山古墳中堤保存工事報告書|2008年|pp=11-16}}。
* [[1924年]](大正13年)、[[梅原末治]]が学会誌上で報告{{Sfn|両宮山古墳|2005年|pp=1-4}}。
* [[1927年]]([[昭和]]2年)4月8日、国の[[史跡]]に指定<ref name="国指定"/>。
* [[1978年]](昭和53年)2月8日、史跡範囲の追加指定(和田茶臼山古墳の古墳域){{Sfn|両宮山古墳|2005年|pp=1-4}}<ref name="国指定"/>。
* [[1980年]](昭和55年)、前方部前面の周堤の樋管回収に伴う発掘調査{{Sfn|両宮山古墳|2005年|pp=12-18}}。
* [[1986年]](昭和61年)の『岡山県史 考古資料』に航空測量図の掲載{{Sfn|両宮山古墳|2005年|pp=12-18}}。
* [[2002年|2002]]-[[2004年]]度(平成14-16年度)、発掘調査(第1-3次調査)。外濠の発見(旧山陽町教育委員会){{Sfn|両宮山古墳|2005年|pp=1-4}}。
* [[2006年]](平成18年)1月26日、史跡範囲の追加指定(外濠部分)<ref name="国指定"/>。
* 2006-[[2007年]]度(平成18-19年度)、中堤保存修理工事(赤磐市教育委員会){{Sfn|史跡両宮山古墳中堤保存工事報告書|2008年|pp=17-18}}。
* [[2013年|2013]]-[[2015年]]度(平成25-27年度)、第4-6次発掘調査(赤磐市教育委員会){{Sfn|史跡だより 第6号|2014年}}{{Sfn|史跡だより 第8号|2015年}}{{Sfn|史跡だより 第10号|2016年}}。


== 規模 ==
周囲には、北側に和田茶臼山古墳(両宮山古墳の[[陪塚]]として国の史跡に指定)、南側に墳丘長85メートルで周壕を持つ[[帆立貝形古墳]]の西もり山古墳と廻り山古墳(前方後円墳)、さらに小山古墳(前方後円墳)と朱千駄古墳が、茶臼山古墳、正免東古墳などの古墳があり、西高月古墳群を形成している。
[[File:Ryoguzan Kofun air.jpg|thumb|280px|right|{{center|両宮山古墳の航空写真(1974年度)}}{{small|{{国土航空写真}}。}}]]
古墳の規模は次の通り(2002-2004年度(平成14-16年度)調査による復元値){{Sfn|両宮山古墳|2005年|pp=81-91}}。
* 古墳総長:349メートル<ref name="2016年パンフレット">両宮山古墳パンフレット(2016年)。</ref> - 周濠を含めた全長。
* 墳丘長:206メートル(水面上194メートル{{Sfn|両宮山古墳|2005年|pp=81-91}})
* 後円部 - 3段築成。
** 直径:116メートル
* 前方部 - 3段築成。
** 長さ:110メートル
** 幅:145メートル
** 高さ:25.1メートル
* 中堤
** 後円部後端側:上面幅28メートル、基部幅35メートル、高さ0.86メートル(外濠側から)
** 後円部南西側:上面幅26.5メートル、基部幅35メートル、高さ0.80メートル
** 前方部前面側:上面幅20メートル、基部幅32メートル、高さ2.9メートル
墳丘長を200メートルとする説の場合には、全国第36位の規模に位置づけられる<ref name="堺市"/>。古墳の築造企画としては、[[大仙陵古墳]]や[[御廟野古墳]](いずれも[[大阪府]][[堺市]])との類似が指摘され{{Sfn|両宮山古墳|2005年|pp=81-91}}、大仙陵古墳との比較では約5分の2相似形になる<ref name="赤磐市">[http://bunkazai.akaiwa-rekishi.jp/37.html 両宮山古墳](赤磐市教育委員会「赤磐の文化財」)。</ref>。

墳丘周囲に巡らされる外濠は、後円部側で幅約13メートル、前方部側で幅約20メートルを測る<ref name="2016年パンフレット"/>。2重周濠は、畿内大王墓に顕著であるが吉備地方では例が少なく、両宮山古墳被葬者の格式の高さが示唆される<ref name="2016年パンフレット"/>。

なお、2016年(平成28年)現在では墳丘に周濠の水による侵食が進行しているため、将来に保存工事が実施される予定である{{Sfn|史跡だより 第10号|2016年}}。
<gallery>
File:Ryoguzan Kofun, funkyu.jpg|墳丘裾部の侵食(2017年)
File:Ryoguzan Kofun, Ryogu-jinja.jpg|前方部に鎮座する両宮神社
</gallery>

== 陪塚 ==
[[File:Wada Chausuyama Kofun, zenkei.jpg|thumb|220px|right|{{center|和田茶臼山古墳 墳丘}}]]
両宮山古墳周辺では中小古墳数基が分布するが、そのうち次の1基は[[陪塚]]と推定される。
* '''和田茶臼山古墳'''(わだちゃうすやまこふん)
** 所在地:赤磐市和田({{ウィキ座標|34|44|29.40|N|134|0|6.11|E|region:JP-33_type:landmark|位置|name=和田茶臼山古墳}})
** 形状:[[帆立貝形古墳]]
** 規模:墳丘長55メートル、後円部直径41.5メートル(推定)、前方部長さ15メートル、前方部幅19.5メートル{{Sfn|両宮山古墳|2005年|pp=81-91}}
*: 両宮山古墳の後円部北側に位置する。墳丘主軸は両宮山古墳とほぼ直交し、前方部を西方に向ける{{Sfn|両宮山古墳|2005年|pp=81-91}}。墳丘は2段築成と見られる<ref name="周辺の古墳"/>。現在では墳丘は後円部のみを遺存するが、発掘調査により前方部が確認されたほか、2重周濠を伴うことが判明した<ref name="2016年パンフレット"/>。また、両宮山古墳と同様に葺石・埴輪は検出されていない<ref name="2016年パンフレット"/>。築造時期は[[5世紀]]後半-末頃と推定される<ref name="周辺の古墳">[http://bunkazai.akaiwa-rekishi.jp/37/205.html 周辺の古墳](赤磐市教育委員会「赤磐の文化財」)。</ref>。外濠を両宮山古墳と共有すると見られるなど、両宮山古墳とは計画的に配置されて古墳の様相も類似することから、和田茶臼山古墳被葬者は両宮山古墳被葬者と親密な関係にあるとされる{{Sfn|両宮山古墳|2005年|pp=81-91}}<ref name="2016年パンフレット"/>。
*: この和田茶臼山古墳の古墳域は、1978年(昭和53年)に国の史跡に指定されている(史跡「両宮山古墳」に追加指定)。

なお、両宮山古墳の前面には[[森山古墳]]・正免東古墳(非現存)も築造されるが、両古墳の場合には葺石・埴輪を伴う点が注目される{{Sfn|史跡両宮山古墳中堤保存工事報告書|2008年|pp=1-9}}。一帯では[[朱千駄古墳]]・[[小山古墳]]・[[廻り山古墳]]といった古墳の築造も認められるが、埴輪はいずれにおいても検出されている<ref name="2016年パンフレット"/>。

== 文化財 ==
=== 国の史跡 ===
* 両宮山古墳 - 1927年(昭和2年)4月8日指定、1978年(昭和53年)2月8日・2006年(平成18年)1月26日に史跡範囲の追加指定<ref name="国指定">{{国指定文化財等データベース|401|2251|両宮山古墳}}</ref>。

== 現地情報 ==
'''所在地'''
* [[岡山県]][[赤磐市]]穂崎・和田

'''交通アクセス'''
* バス:[[宇野自動車|宇野バス]]で「新道 穂崎下」バス停下車 (北へ約200メートル)

'''周辺'''
* [[両宮山古墳群]]
* [[備前国分寺跡]]・国分尼寺跡
* 大廻小廻山城跡


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references />
'''注釈'''
{{reflist|group="注"}}

'''出典'''
{{reflist|2}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
{{small|(記事執筆に使用した文献)}}
*{{Cite book | 和書|author=[[宇垣匡雅]] |year=1991 |chapter=両宮山古墳 |editor=文化庁文化財保護部史跡研究会監修 |title=図説 日本の史跡 第3巻 原始3 |publisher=同朋舎出版 |isbn=978-4-8104-0926-0 |ref=宇垣}}
* 史跡パンフレット「両宮山古墳」(赤磐市教育委員会、2011年)
*岡山県高等学校教育研究会社会科部会歴史分科会/編 『新版 岡山県の歴史散歩』 山川出版社 1991年 52ページ
** {{PDFlink|[http://www.bunkazai.akaiwa-rekishi.jp/assets/files/pdf/ryogu1.pdf 1]}}、{{PDFlink|[http://www.bunkazai.akaiwa-rekishi.jp/assets/files/pdf/ryogu2.pdf 2]}}参照(リンクは赤磐市教育委員会「赤磐の文化財」)。
* 史跡パンフレット「両宮山古墳」(岡山県赤磐市教育委員会、2016年)
* 史跡説明板(赤磐市教育委員会、2010年設置)
* 地方自治体発行
** 発掘調査・整備事業報告書
*** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=2004|chapter=|title=[http://sitereports.nabunken.go.jp/12336 森山古墳 両宮山古墳(山陽町文化財調査報告 第2集)]|publisher=山陽町教育委員会|isbn=|ref={{Harvid|森山古墳 両宮山古墳|2004年}}}} - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
*** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=2005|chapter=|title=[http://sitereports.nabunken.go.jp/12412 両宮山古墳(赤磐市文化財調査報告 第1集)]|publisher=岡山県赤磐市教育委員会|isbn=|ref={{Harvid|両宮山古墳|2005年}}}} - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
*** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=2008|chapter=|title=[http://sitereports.nabunken.go.jp/12613 史跡両宮山古墳中堤保存工事報告書(赤磐市文化財調査報告 第2集)]|publisher=岡山県赤磐市教育委員会|isbn=|ref={{Harvid|史跡両宮山古墳中堤保存工事報告書|2008年}}}} - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
** 『史跡だより』(赤磐市教育委員会発行)
*** {{Wikicite|reference={{PDFlink|[http://bunkazai.akaiwa-rekishi.jp/assets/files/pdf/sisekidayori6.pdf 第6号(両宮山古墳第4次発掘調査速報)]}}(2014年)|ref={{Harvid|史跡だより 第6号|2014年}}}}
*** {{Wikicite|reference={{PDFlink|[http://bunkazai.akaiwa-rekishi.jp/assets/files/pdf/sisekidayori8.pdf 第8号(両宮山古墳第5次発掘調査速報)]}}(2015年)|ref={{Harvid|史跡だより 第8号|2015年}}}}
*** {{Wikicite|reference={{PDFlink|[http://bunkazai.akaiwa-rekishi.jp/assets/files/pdf/sisekidayori10.pdf 第10号(両宮山古墳第6次発掘調査速報)]}}(2016年)|ref={{Harvid|史跡だより 第10号|2016年}}}}
* 事典類
** {{Cite book|和書|editor=|author=今井尭|year=|chapter=両宮山古墳|title=[[日本大百科全書]](ニッポニカ)|publisher=[[小学館]]|isbn=|ref={{Harvid|両宮山古墳(日本大百科全書)}}}}
** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=1988|chapter=両宮山古墳|title=[[日本歴史地名大系]] 34 岡山県の地名|publisher=[[平凡社]]|isbn=4582490344|ref={{Harvid|両宮山古墳(平凡社)|1988年}}}}
*** {{Wikicite|reference=刊行後版([[ジャパンナレッジ]]収録)、2006年|ref={{Harvid|両宮山古墳(平凡社、刊行後版)|2006年}}}}。
** {{Cite book|和書|editor=|author=[[小林三郎]]|year=1989|chapter=両宮山古墳|title=[[日本古墳大辞典]]|publisher=[[東京堂出版]]|isbn=4490102607|ref={{Harvid|両宮山古墳(古墳)|1989年}}}}
** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=|chapter=[https://kotobank.jp/word/%E4%B8%A1%E5%AE%AE%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3-1445306 両宮山古墳]|title=国指定史跡ガイド|publisher=[[講談社]]|isbn=|ref={{Harvid|両宮山古墳(国指定史跡)}}}} - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。

== 関連文献 ==
{{small|(記事執筆に使用していない関連文献)}}
* {{Cite book|和書|editor=|author=宇垣匡雅|year=2006|chapter=|title=両宮山古墳 -二重濠をもつ吉備の首長墓-(日本の遺跡 14)|publisher=[[同成社]]|isbn=|ref=}}
* {{Cite book|和書|editor=|author=|year=2016|chapter=|title=史跡両宮山古墳保存管理計画|publisher=岡山県赤磐市教育委員会|isbn=|ref=}}

== 関連項目 ==
* [[造山古墳 (岡山市)]]
* [[作山古墳]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Ryoguzan Kofun}}
* {{国指定文化財等データベース|401|2251|両宮山古墳}}
* {{国指定文化財等データベース|401|2251|両宮山古墳}}
* [http://www.pref.okayama.jp/cgi-bin/bunka/culture/controller/client/resultDetail.cgi?id=278 両宮山古墳] - 岡山県「おかやまの文化財」
* [http://bunkazai.akaiwa-rekishi.jp/37.html 両宮山古墳] - 赤磐市教育委員会「赤磐の文化財」


{{Japanese-history-stub}}
{{DEFAULTSORT:りようくうさんこふん}}
{{DEFAULTSORT:りようくうさんこふん}}
[[Category:岡山県の古墳]]
[[Category:岡山県の古墳]]

2017年2月11日 (土) 06:08時点における版

両宮山古墳

墳丘全景(手前に前方部、左奥に後円部)
所属 両宮山古墳群(西高月古墳群)
所在地 岡山県赤磐市穂崎・和田
位置 北緯34度44分23.20秒 東経134度0分9.36秒 / 北緯34.7397778度 東経134.0026000度 / 34.7397778; 134.0026000座標: 北緯34度44分23.20秒 東経134度0分9.36秒 / 北緯34.7397778度 東経134.0026000度 / 34.7397778; 134.0026000
形状 前方後円墳
規模 墳丘長206m
高さ25.1m(前方部)
埋葬施設 不明
築造時期 5世紀後半
史跡 国の史跡「両宮山古墳」
特記事項 全国第36位(墳丘長200mとする場合)/岡山県第3位/備前地方第1位の規模[1]
大仙陵古墳の5分の2相似形[2]
地図
両宮山古墳の位置(岡山県内)
両宮山古墳
両宮山古墳
テンプレートを表示
全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML

両宮山古墳(りょうぐうざんこふん)は、岡山県赤磐市穂崎・和田にある古墳。形状は前方後円墳両宮山古墳群(西高月古墳群)を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている。

備前地方では最大、岡山県では第3位の規模の古墳で[注 1]5世紀後半(古墳時代中期)頃の築造と推定される。

概要

岡山県南部、本宮高倉山南東麓の扇状地斜面に築造された巨大前方後円墳である[3]。一帯では本古墳含む前方後円墳4基・帆立貝形古墳2基などからなる両宮山古墳群(西高月古墳群)の営造が知られ、本古墳はその主墳になる。墳丘上では前方部に両宮神社が造営されているほか、墳丘周囲部ではこれまでに数次の発掘調査が実施されている。

墳形は前方後円形で、墳丘主軸を傾斜面と平行とし、前方部を南東方(傾斜面の低位方)に向ける。墳丘は3段築成[4]。墳丘長は206メートルを測るが、これは備前地方(岡山県南東部)では最大規模で、岡山県では造山古墳岡山市北区新庄下、350メートル:全国第4位)・作山古墳総社市三須、282メートル:全国第10位)に次ぐ第3位の規模になる[注 1]。墳丘の左右くびれ部には高い造出を有する[5][2]。墳丘表面で葺石埴輪は検出されていない[5]。主体部の埋葬施設は未調査のため明らかでない[6]。墳丘周囲には2重周濠が巡らされており、周濠を含めた全長は349メートルにもおよぶ[4][6]。2重周濠のうち外濠は周辺田畑に埋没しているが、内濠は現在も水をたたえる。また周辺では、後円部側に陪塚と見られる和田茶臼山古墳が築造されている。

両宮山古墳群の推定首長墓系譜[7][4]
古墳名 形状 墳丘長 時期
両宮山古墳 前方後円墳 206m 5c後半
森山古墳 帆立貝形古墳 82m 5c後半
朱千駄古墳 前方後円墳 85m 5c末
小山古墳 前方後円墳 67m 5c末
廻り山古墳 前方後円墳 47m 6c前半

この両宮山古墳は、古墳時代中期の5世紀後半頃の築造と推定される[5]。周辺古墳では森山古墳が後継首長墓と推測され、続いて朱千駄古墳小山古墳廻り山古墳と規模を縮小しながら築造された[7][4]。また、吉備の3大古墳としては造山古墳・作山古墳に次ぐ3番目の築造になるが、両古墳と異なり2重周濠を採用して「畿内型」の様相が強い点、および巨大古墳でありながら本古墳には葺石・埴輪が見られない点が注目される[5]。なお『日本書紀雄略天皇紀には吉備の反乱伝承が見えており、その伝承と両宮山古墳以後に吉備で古墳規模が縮小することとの対応を推測する説がある[2]

古墳域は1927年昭和2年)に国の史跡に指定されている[8]。なお両宮山古墳付近では、後世に古代山陽道が引かれているほか(造山古墳・作山古墳も同様)[7]、西側では後世に備前国分寺も営まれている。

来歴

  • 1912年大正元年)作成の地図に名称の記載[9]
  • 1924年(大正13年)、梅原末治が学会誌上で報告[10]
  • 1927年昭和2年)4月8日、国の史跡に指定[8]
  • 1978年(昭和53年)2月8日、史跡範囲の追加指定(和田茶臼山古墳の古墳域)[10][8]
  • 1980年(昭和55年)、前方部前面の周堤の樋管回収に伴う発掘調査[3]
  • 1986年(昭和61年)の『岡山県史 考古資料』に航空測量図の掲載[3]
  • 2002-2004年度(平成14-16年度)、発掘調査(第1-3次調査)。外濠の発見(旧山陽町教育委員会)[10]
  • 2006年(平成18年)1月26日、史跡範囲の追加指定(外濠部分)[8]
  • 2006-2007年度(平成18-19年度)、中堤保存修理工事(赤磐市教育委員会)[11]
  • 2013-2015年度(平成25-27年度)、第4-6次発掘調査(赤磐市教育委員会)[12][13][14]

規模

両宮山古墳の航空写真(1974年度)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

古墳の規模は次の通り(2002-2004年度(平成14-16年度)調査による復元値)[5]

  • 古墳総長:349メートル[4] - 周濠を含めた全長。
  • 墳丘長:206メートル(水面上194メートル[5]
  • 後円部 - 3段築成。
    • 直径:116メートル
  • 前方部 - 3段築成。
    • 長さ:110メートル
    • 幅:145メートル
    • 高さ:25.1メートル
  • 中堤
    • 後円部後端側:上面幅28メートル、基部幅35メートル、高さ0.86メートル(外濠側から)
    • 後円部南西側:上面幅26.5メートル、基部幅35メートル、高さ0.80メートル
    • 前方部前面側:上面幅20メートル、基部幅32メートル、高さ2.9メートル

墳丘長を200メートルとする説の場合には、全国第36位の規模に位置づけられる[1]。古墳の築造企画としては、大仙陵古墳御廟野古墳(いずれも大阪府堺市)との類似が指摘され[5]、大仙陵古墳との比較では約5分の2相似形になる[2]

墳丘周囲に巡らされる外濠は、後円部側で幅約13メートル、前方部側で幅約20メートルを測る[4]。2重周濠は、畿内大王墓に顕著であるが吉備地方では例が少なく、両宮山古墳被葬者の格式の高さが示唆される[4]

なお、2016年(平成28年)現在では墳丘に周濠の水による侵食が進行しているため、将来に保存工事が実施される予定である[14]

陪塚

和田茶臼山古墳 墳丘

両宮山古墳周辺では中小古墳数基が分布するが、そのうち次の1基は陪塚と推定される。

  • 和田茶臼山古墳(わだちゃうすやまこふん)
    両宮山古墳の後円部北側に位置する。墳丘主軸は両宮山古墳とほぼ直交し、前方部を西方に向ける[5]。墳丘は2段築成と見られる[15]。現在では墳丘は後円部のみを遺存するが、発掘調査により前方部が確認されたほか、2重周濠を伴うことが判明した[4]。また、両宮山古墳と同様に葺石・埴輪は検出されていない[4]。築造時期は5世紀後半-末頃と推定される[15]。外濠を両宮山古墳と共有すると見られるなど、両宮山古墳とは計画的に配置されて古墳の様相も類似することから、和田茶臼山古墳被葬者は両宮山古墳被葬者と親密な関係にあるとされる[5][4]
    この和田茶臼山古墳の古墳域は、1978年(昭和53年)に国の史跡に指定されている(史跡「両宮山古墳」に追加指定)。

なお、両宮山古墳の前面には森山古墳・正免東古墳(非現存)も築造されるが、両古墳の場合には葺石・埴輪を伴う点が注目される[7]。一帯では朱千駄古墳小山古墳廻り山古墳といった古墳の築造も認められるが、埴輪はいずれにおいても検出されている[4]

文化財

国の史跡

  • 両宮山古墳 - 1927年(昭和2年)4月8日指定、1978年(昭和53年)2月8日・2006年(平成18年)1月26日に史跡範囲の追加指定[8]

現地情報

所在地

交通アクセス

  • バス:宇野バスで「新道 穂崎下」バス停下車 (北へ約200メートル)

周辺

脚注

注釈

  1. ^ a b 岡山県における主な古墳は次の通り。
    1. 造山古墳(岡山市北区新庄下) - 墳丘長350メートル。
    2. 作山古墳(総社市三須) - 墳丘長282メートル。
    3. 両宮山古墳(赤磐市穂崎) - 墳丘長206メートル。
    4. 金蔵山古墳(岡山市中区沢田) - 墳丘長165メートル。

出典

  1. ^ a b 古墳大きさランキング(日本全国版)(堺市ホームページ、2016年6月20日更新版)。
  2. ^ a b c d 両宮山古墳(赤磐市教育委員会「赤磐の文化財」)。
  3. ^ a b c 両宮山古墳 & 2005年, pp. 12–18.
  4. ^ a b c d e f g h i j k 両宮山古墳パンフレット(2016年)。
  5. ^ a b c d e f g h i j 両宮山古墳 & 2005年, pp. 81–91.
  6. ^ a b 両宮山古墳(国指定史跡).
  7. ^ a b c d 史跡両宮山古墳中堤保存工事報告書 & 2008年, pp. 1–9.
  8. ^ a b c d e 両宮山古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  9. ^ 史跡両宮山古墳中堤保存工事報告書 & 2008年, pp. 11–16.
  10. ^ a b c 両宮山古墳 & 2005年, pp. 1–4.
  11. ^ 史跡両宮山古墳中堤保存工事報告書 & 2008年, pp. 17–18.
  12. ^ 史跡だより 第6号 & 2014年.
  13. ^ 史跡だより 第8号 & 2015年.
  14. ^ a b 史跡だより 第10号 & 2016年.
  15. ^ a b 周辺の古墳(赤磐市教育委員会「赤磐の文化財」)。

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡パンフレット「両宮山古墳」(赤磐市教育委員会、2011年)
    • 1 (PDF)2 (PDF) 参照(リンクは赤磐市教育委員会「赤磐の文化財」)。
  • 史跡パンフレット「両宮山古墳」(岡山県赤磐市教育委員会、2016年)
  • 史跡説明板(赤磐市教育委員会、2010年設置)
  • 地方自治体発行
  • 事典類
    • 今井尭「両宮山古墳」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館 
    • 「両宮山古墳」『日本歴史地名大系 34 岡山県の地名』平凡社、1988年。ISBN 4582490344 
    • 小林三郎「両宮山古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 
    • 両宮山古墳」『国指定史跡ガイド』講談社  - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 宇垣匡雅『両宮山古墳 -二重濠をもつ吉備の首長墓-(日本の遺跡 14)』同成社、2006年。 
  • 『史跡両宮山古墳保存管理計画』岡山県赤磐市教育委員会、2016年。 

関連項目

外部リンク