「Wikipedia‐ノート:腕ずくで解決しようとしない」の版間の差分

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*{{コメント}} だいぶいい感じになってきたと思います。文面のブラッシュアップに関することでは,「たり」を使うのであれば他の「たり」を使っていないところも「たり」を使用して体裁を揃えた方がいいでしょう。あと,3段落目についてですが,「他者の意見を汲むことや、譲歩や妥協も時には」とした方がいいかなと。それと,「(Wikipedia:論争の解決)」を句点の前に移動して「([[Wikipedia:論争の解決]]も参照)」と変えるぐらいでしょうかね。4段落目の「これに対し」というところだけがちょっと違和感を感じます(「これ」は自説を曲げないことに対応しているのだと思いますが)。そういう意味では4段落目は次ぐらいの感じでいいかもしれません。
*{{コメント}} だいぶいい感じになってきたと思います。文面のブラッシュアップに関することでは,「たり」を使うのであれば他の「たり」を使っていないところも「たり」を使用して体裁を揃えた方がいいでしょう。あと,3段落目についてですが,「他者の意見を汲むことや、譲歩や妥協も時には」とした方がいいかなと。それと,「(Wikipedia:論争の解決)」を句点の前に移動して「([[Wikipedia:論争の解決]]も参照)」と変えるぐらいでしょうかね。4段落目の「これに対し」というところだけがちょっと違和感を感じます(「これ」は自説を曲げないことに対応しているのだと思いますが)。そういう意味では4段落目は次ぐらいの感じでいいかもしれません。
「中には、「他の議題に移るのが生産的なことだ」というコミュニティの合意が形成されたにもかかわらず、自説にこだわって「正しさ」を主張したり、いつまでも譲歩や妥協・合意形成を拒絶し続けたりする利用者もいますが、こういう利用者の態度は非生産的とみなされます。」--[[利用者:かげろん|かげろん]]([[利用者‐会話:かげろん|会話]]) 2015年5月12日 (火) 10:24 (UTC)
「中には、「他の議題に移るのが生産的なことだ」というコミュニティの合意が形成されたにもかかわらず、自説にこだわって「正しさ」を主張したり、いつまでも譲歩や妥協・合意形成を拒絶し続けたりする利用者もいますが、こういう利用者の態度は非生産的とみなされます。」--[[利用者:かげろん|かげろん]]([[利用者‐会話:かげろん|会話]]) 2015年5月12日 (火) 10:24 (UTC)
*{{コメント}} [https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Wikipedia%E2%80%90%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E8%85%95%E3%81%9A%E3%81%8F%E3%81%A7%E8%A7%A3%E6%B1%BA%E3%81%97%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%84&diff=55434146&oldid=55422412 既に入れた茶々]を除けば、基本かげろん氏と同意見です。異論としては「([[Wikipedia:論争の解決]]も参照)」のある場所は「''合意を形成するために譲歩や妥協をすること''」の次、「''は、''」の前が良いかな、と思う程度です。
:気になる点としては、第一段落の「''「正しい」と確信があったとしても''」という表現が多分に第三者視点であり、「''俺は「正しいと確信している」のではない、俺の主張は誰がどう見ても客観的に正しいのだ''」と思い込んでいる問題行為者が「俺の場合には当てはまらない文書だ」と誤認するかも知れない点があります。口が悪い私からすると、第一段落は「どんなに正しい意見であっても、それが常に必ずコミュニティに受け入れられるとは限りません。」ぐらいの勢いでも良いのではないかと考えます。そうするなら第二段落の頭も「''自説を何とか通そうとして''」よりは「正しいというだけの理由で」のようにしないとテンションが合わなくなってしまいますが。
:[[利用者:Maddestmagician|世界最狂の魔法使いCray-G]]([[利用者‐会話:Maddestmagician|会話]]) 2015年5月12日 (火) 11:18 (UTC)

2015年5月12日 (火) 11:21時点における版

進捗状況
翻訳の確認 - 済み
おおまかな内容 - 済み
細部の調整 - 済み
ページ名の決定 - 済み
最終合意の形成 - 済み
  • 過去ログ1……「進捗状況」「「腕ずく」の意図するところ」について
  • 過去ログ2……正式にガイドライン化するまでの節(ただし、過去ログ1を除く)

「公式な方針」を目指すべきか?

一応、正式なガイドライン化までこぎつけることができました。しかし、ガイドライン止まりでいいのだろうか?という思い(私の個人的なものかもしれませんが)もあります。そこで、「公式な方針」化を目指すべきか否か、ご意見を下さい。--かげろん 2009年5月13日 (水) 14:55 (UTC)[返信]

Wikipedia:翻訳のガイドラインを考慮すべきガイドラインにした際の反省を込めて書きます。将来的に「公式な方針」を目指すとしても、まずは 1 年か 2 年くらい考慮すべきガイドラインとして運用してみてから考える方が良いと思います。当時、「翻訳のガイドライン」を公式な方針とする方が良いと思っていましたが、今振り返って見ると、考慮すべきガイドラインで引き止めておいていただいたのは他の公式な方針とのバランスという観点から良かったと思います。なお、「正式なガイドライン化」という表現は誤解を招きかねないので避けた方がよろしいかと…。--Jms 2009年5月13日 (水) 15:40 (UTC)[返信]
世間では普通は「方針」は目的・目標を示す文書で、「ガイドライン」は方針を達成・実地運用する上での評価基準を示すものです。つまりガイドラインは方針の前段階のものとか下級なものという役割分担ではないです。言い換えるとガイドラインの各条が合目的であるかどうかを比較する文章が「方針」です。Wikipediaではよくはわからない理由で 「公式な方針」の 前段階は「考慮すべきガイドライン」とは呼ばれますが、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないは目的・目標を示すものの基準は示していないので(つまり基準はあやふやです)本来は、「考慮すべき方針」と呼ぶべきものです。Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないのガイドラインは何かといえば、ルールの悪用や行為の正当化において「正当行為」と「悪用」とを線引きする基準を示すものになるはずですが、そんなものはまだない(コミュニティで合意するまで意見が固まっていない)というのが現状であると考えます。各案件について「正当行為」と「悪用」との線引き(基準)は「コメント依頼」か日本版にはない調停委員会でもっぱら扱うと役割なのでそれらページの運用ルールかWikipedia:論争の解決の条文に反映されると考えます。逆に基準が明文化されないと「公式な方針」にはなれない(公式であるための必要条件)と考えます。--あら金 2009年5月13日 (水) 21:44 (UTC)[返信]
とはいえガイドライン(基準)については上の説明だけではわからないでしょうから、例(つまり基準案でもありますが)をあげると。
  • 特定な観点の出典の存在を唯一の理由に現在記事に存在する文章の単純削除を求める行為はルールの悪用ですが、出典の存在を理由に存在する文章を説明を構成する上でもっとふさわしいその記事上の別の節に移動したり、さらに別の記事に一部転記を求める行為はルールの悪用には当たりません。(ただし合意の確認なしに別の記事に一部転記してはいけません)
  • 広告自体の内容・存在を記事中で説明しており且つ記事の理解を補助するのに必要不可欠で別の方法が皆無の場合は広告を外部リンクに掲載するのはルールの悪用には当たりませんが(ただし、広告を外部リンクに掲載しなくてもよい別の方法が見つかった場合は外部リンクを置き換えて是正してください。)、広告の存在・内容が記事の論旨ではないにも関わらず単純に記事またはタイトルと関連があるという理由で広告を外部リンクに掲載するのはルールの悪用に当たります。
  • リンク切れを理由に外部リンクを削除することはルールの悪用になりませんが、リンク切れを理由に直ちに出典情報を削除するのはルールの悪用に当たります。(リンクは外してもリンクしていた文言は出典情報として残します)。
  • 信頼できる情報源の内容を要約したり理解しやすい平易な文章にしている記事中の文章にその情報源を出典として掲示することは正当な行為ですが、信頼できる情報源で言及していないことに拡大解釈した記事中の文章や、語句に関連があるという理由のみで情報源の専門性と異なる分野の記事の文章にその情報源を出典として掲示することはルールの悪用に当たります。
とか、そんなもんです。すぐ気づくと思いますが、「腕ずくで解決しようとしない」の節でガイドライン化が容易な部分と、基準を設定するにも手をつけられそうもない部分とがあり、かなり格差があるので網羅的というわけにはいかないと考えます。--あら金 2009年5月13日 (水) 22:50 (UTC)[返信]
なるほど、基準に関することはかなり難しい問題ですね。お二方ともコメントありがとうございます。--かげろん 2009年5月14日 (木) 14:00 (UTC)[返信]
これらの基準の明文化は論争処理のスピートアップと属人的な恣意的判断の排除につながるという利点がある一方、特定のノート(紛争)だけ見ればよいというわけにゆかないのでメンテのメンバーは大変というのが欠点です。プロジェクト○○にその手のネタ(基準の候補案)を定期的にもらえるようにするというのが運用が回りそうなメンテ体制ですね。
その辺の仕切り体制の要点や運用のノウハウはシステム監査とか企業内部統制の教科書を読むと山ほど出てきます。組織論に興味のある方はそういう教科書を速成本としてお勧めします。--あら金 2009年5月14日 (木) 16:50 (UTC)[返信]

「スピード違反の論理」について

Wikipedia:井戸端/subj/「スピード違反の論理」という言葉をよく使う利用者がいるでの問題提起からです。

「スピード違反の論理」を使うにあたっての問題点
  • 他利用者を注意するにあたり、「スピード違反の論理」という文言を用いる利用者が多く存在するが、「スピード違反の論理」はウィキペディア日本語版のローカルなスラングの一つであり意味を分かる者が多いとは言えない。
  • 「スピード違反の論理」が載っている方針や文書が存在せず、言われた側が意味を調べようにも使った本人に聞くしか方法がない。また、厳密には根拠となる方針が無い形になるので、俺様ルールと受け取られる可能性がある。
  • 「スピード違反の論理」を使う利用者によってその解釈に揺れがある可能性がある。

簡単には以上のような問題点が考えられます。

改善案

以下にこれまでに井戸端で出された改善案を列挙します。改善案を提供してくださった皆様にはこの場を借りてお礼申し上げます。

  • 方針文書上に「スピード違反の論理」という言葉を載せる--Ohgi
  • 用語集的なものを用意しておく--iwaim
  • 用語集としてまとめるのであれば、既にあるWikipedia:ウィキペディア用語集に加筆する形とするのがよろしいのでは--森藍亭
  • WP:SPEEDに加筆するなどの整備を行うことには反対しない(積極的ではないけど無意味とは思わない)--ろう(Law soma)
  • 「スピード違反の論理」という訳し方は直訳すぎであって、本来なら「スピード違反者の詭弁」とでも訳すべき--Gyulfox

まず、どのような改善方法がよいのか妙案を模索したいと思います。既に出た案に肉付けでも構いませんし、新しい案でも構いません。ざっくばらんに議論していただければと思います。ただし、意見者を萎縮させるような不必要な批判等は自粛して頂きたく思います。--akane700 2011年1月7日 (金) 02:03 (UTC)[返信]

質問 一点明確にしておきたいのですが、この議論は「『スピード違反の論理』という言葉はスラング的な用法であり、初心者には意味が伝わりにくい。何とかしましょうよ」という趣旨でしょうか。それとも「『スピード違反の論理』の根拠となるような方針やガイドラインは、現時点では存在しない。何とかしましょうよ」という趣旨でしょうか。私は前者だと理解していたのですが、もしかして、後者なのでしょうか。前者なら議論の意味はありそうですが、後者なら議論の余地はないような気がしますが。--Scoopy 2011年1月7日 (金) 08:35 (UTC)[返信]
方針としてはWP:POINTで触れられている内容で間違い無いようですので前者の意味です。--akane700 2011年1月7日 (金) 08:43 (UTC)[返信]
コメント なるほど、言葉について議論するのですね。了解しました。--Scoopy 2011年1月7日 (金) 08:51 (UTC)[返信]
コメント ちょっと苦言を呈したいのですが、「意見者を萎縮させるような不必要な批判等は自粛して頂きたく思います」といっておきながら、先行議論のこのページでは、他の参加者に対して「お開きと申し上げているのに、そのようなことをわざわざメモとして記載させる意図が分かりません。まぁ、嫌がらせの一種として記憶しておきます」などとおっしゃっていますね。ちょっとおっしゃっていることの一貫性のなさにとまどいを覚えるのですが。もう少し冷静に議論できないものでしょうか。--Scoopy 2011年1月7日 (金) 08:51 (UTC)[返信]
私の苦言に対しての苦言ですね。先行議論においてあのような不必要な発言があったための覚え書きです。一貫性はあります。--akane700 2011年1月7日 (金) 08:59 (UTC)[返信]
反対 ちょっと待ってください。「意見者を萎縮させるような不必要な批判等は自粛して頂きたく思います」といっておきながら、Akane700さんご自身がSureturnさんに対して意見者を萎縮させるような不必要な批判を行っているように見受けられますが。自覚がないのですか? あなたの発言の「まぁ、嫌がらせの一種として記憶しておきます」は明らかに不必要な批判だと思いますが。--Scoopy 2011年1月7日 (金) 09:06 (UTC)[返信]
そのような考え方もあるということを留めておきましょう。--akane700 2011年1月7日 (金) 09:12 (UTC)[返信]
コメント 私の会話ページにお詫びのコメントを戴きましたが、結局、何も反省していないということでしょうか。これ以上はここでやる話ではないと思いますので控えますが、なぜ他人に対しては挑発的なコメントを繰り返すのか理解できない。抑制的な行動がとれないものか。--Scoopy 2011年1月7日 (金) 09:20 (UTC)[返信]
コメント 「スピード違反の論理」に限らず、初心者には意味が伝わりにくい言葉は多数存在します。たとえば、「雪玉条項」なる言葉はかなりちんぷんかんぷんです。ただ、きちんと「Wikipedia:雪玉条項」というページが用意されている点が大きな違いですね。「スピード違反の論理」はスラング的との指摘があるので、方針文書にスラング的な表現を掲載することに抵抗を感じる方もいるかもしれません。まして、「Wikipedia:スピード違反の論理」なる独立ページを用意するなどというのは難しそうです。しかし、わかりにくいことは確かですので、Wikipedia:ウィキペディア用語集への追記が妥当かなと感じます。「スピード違反者の詭弁」の併記も検討が必要かもしれません。--Scoopy 2011年1月7日 (金) 09:20 (UTC)[返信]

コメントこのガイドラインには、このような記述があります。

「#もしあなたの感覚では普通の発言なのに「暴言は慎んでください」といわれたら……
* 良い例 - 素直に謝って誤解を解く。
* 悪い例 - 指摘した利用者の発言のあら捜しをして、「そもそもあなたが、…」で始まるコメントを返す。」

上記のやりとりを見るかぎり、Akane700さんの対応はこの例に準ずるようなものだと思われます。これではAkane700さんはこのガイドラインが意味することを理解出来ていないのではないかという懸念が生じてしまいます。「そのような考え方もあるということを留めておきましょう」などとおっしゃらず、まずは上記例に従って誤解を解くところから始めていただかないことには、折角提案を頂いた今回の議論も、有益なものにならないような気がします。このままではAkane700さんがこの議論に参加すること自体が不適格と思われてしまう可能性もありますので、少なくともScoopyさんに対しての態度を改めていただけることを望みます。まして今回のご提案は、Akane700さん自身が、ある言葉の使い方の解釈に揺れがある可能性があることを問題点の一つとして挙げているのですから、尚更でしょう。ScoopyさんがAkane700さんの発言意図を正しく解釈していないと感じるならば、Scoopyさんの会話ページで説明する努力を厭わないでいただきたいです。--海獺 2011年1月7日 (金) 09:29 (UTC)[返信]

報告 Akane700さんが私の会話ページにいらっしゃったのですが、その態度にはほとんど改善がみられませんでした。--Scoopy 2011年1月10日 (月) 07:41 (UTC)[返信]
報告 その後は態度が改善しないばかりか、嘘に嘘を重ねるといった問題行動が散見され、編集姿勢が改まる兆しは見えませんでした。--Scoopy 2011年1月19日 (水) 18:05 (UTC)[返信]
議論妨害です。おやめ下さい。--akane700 2011年1月22日 (土) 00:06 (UTC)[返信]

コメント「スピード違反の論理」と言われる主張には一定の正当性がある場合に使われていると思います。そのため、その主張を一方的に退けるべきではなく議論を重ねて納得してもらうことが求められると思います。ところが「スピード違反の論理」を方針化してしまうと、あたかも「スピード違反の論理」的主張が許されない状況、つまり一定の正当性がある主張が許されない状況をつくるような気がします。したがって、方針化はすべきではないと考えます。また、用語集の作成も方針に準じると受け取られかねないため避けるべきだと思います。提案者があげている問題点ではその都度議論して理解してもらうべきだと思います。--みや1229 2011年1月7日 (金) 11:20 (UTC)[返信]

本人が正当だと思っている場合には、スピード違反の論理にならないでしょう。一定の正当性がある場合とはなんでしょうか。みや1229さんが何を想定しているのかわかりません。よろしければ何か架空の例を出して説明してもらえませんか。--Kinori 2011年1月7日 (金) 11:57 (UTC)[返信]
「同じような状況の先例では批判されず、私の場合はなぜ批判を受けるのか?」というような例です。批判を投稿ブロックに変えてもかまいません。同じ状況では同じ対応がなされるべきという考え方には正当性があるということです。もちろんそこには状況の認識の違いがあるわけですが。--みや1229 2011年1月7日 (金) 17:15 (UTC)[返信]
コメント 私が思うに、それは、「同じような状況の先例では批判されず、私の場合はなぜ批判を受けるのか?」というような例は、単に他の方が気付いていないだけか、多数の方による合意を得ているものかによっても考え方が変わってきます(Wikipediaは一貫性のないものでもありますし、許容しがたいものも意図してかせずかはわかりませんが見逃されているだけかもしれません)。それに、個々の案件によって背景事情が異なるわけですからね。WP:SPEEDの述べんとしているところを考えてほしいと思います。--かげろん 2011年1月8日 (土) 00:42 (UTC)[返信]
コメント ≪同じような状況の先例≫について、例えば「既に先例では論破されている理論に対して、その指摘を行っても反対意見の相手は聞く耳を持たず、そして、まさに今回の案件が他の多数の利用者からは≪見逃されているだけ≫に思える」と感じたことは、例示できるほどに具体例を覚えていませんが、削除依頼の場であったような気がします。≪他の方が気付いていない≫ということに対して、かげろんさんは多分先例が≪他の方が気付いていない≫という主旨で書かれているのだろうと思いますが、今回の案件に≪他の方が気付いていない≫という場合もあると思うのです。後、≪個々の案件によって背景事情が異なる≫ということと≪「スピード違反の論理」と言われる主張には一定の正当性がある場合に使われている≫場合もある(みや1229さんの発言には≪場合もある≫とはついていませんが、詭弁とされるその論理に正当性のない場合があることは既に前提ですから、場合もあるとしても間違ってはいないでしょう)ということは、表現が異なる/微妙にニュアンスが異なるかもしれませんが、同じことなのだろうと思います。そしてその発言をベースに考えると「そういう個々事情を一律で考えて方針化されるべきでない」とする理由に足るものだと思います。用語集への掲載はあってもいいと思います。--NISYAN 2011年1月8日 (土) 01:24 (UTC)[返信]
典型的に当てはまる例として、別のユーザーAの制止をふりきってユーザーBが、出典を示さずに色々記述しているとします。 その時の言い訳が多くの他のページでは出典など出てないじゃないかというものがあるでしょう。 Bはアドバイスを聞いたなら、ただちに記述を中止して、根拠のある出典を付ける義務があるはずです。 
当てはまるかどうか微妙な例として、同様の状況に対して、Aが言語道断とばかりに、「出典のない記述は除去されても文句は言えません」を理由として、Bの書いた出典のない記述を消しまくれば、一概に一方が悪いとは言えません。戻せというBの主張に一理あるかも知れないですよね。--Gyulfox 2011年1月8日 (土) 04:59 (UTC)[返信]


コメント 「スピード違反の論理」と、真逆のものにWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんがあって、「方針の字面の解釈に固執するあまり、方針の原理原則を損なうことをしないでください。もし規則が百科事典の改善をどうしても妨げるものなら、それらを無視してください。」というものがあったりします。 で、どちらが強いかというと、意外にも前者が「考慮すべきガイドライン」、後者の方が「公式の方針」だったりします。 早い話が「方針の運用は字面の解釈ではなく、方針の精神の方を重んじて下さい。」ということにつきるのでしょう。 相手にもよりますが、違反した相手があまりにも強く抗弁する時は、いったん追求の手をとめて、もしかしたら自分が記事を台無しにする側に立ってやしないかという観点を持ったり、そもそも違反されてしまった方針の原理原則は、いったい何なんだと考えるくらいのゆとりが欲しい感じがします。--Gyulfox 2011年1月7日 (金) 12:54 (UTC)[返信]

iwaimさんの用語集的なものを用意しておく、森藍亭さんの用語集としてまとめるのであれば、既にあるWikipedia:ウィキペディア用語集に加筆する形とするのがよろしいのではという意見は、同様の事例が予想されることから、今後の役に立つと思われます。 一種のスラングであって、解釈上注意が必要である点や、必ずしもこのことばは使用者側を擁護するものではありません。の説明を加えれば良いでしょう。--Gyulfox 2011年1月8日 (土) 08:07 (UTC)[返信]

WP:SPEEDに加筆整備するなどの場合は、良い機会ですから投票の上「スピード違反者の詭弁」に変更して欲しいですね。--Gyulfox 2011年1月8日 (土) 08:13 (UTC)[返信]

ウィキペディア用語集に追加する案

活発な議論ありがとうございました。改善案のうち、特に反対の無かったWikipedia:ウィキペディア用語集へ追加するという案から攻めていこうと思います。追加するにあたりその説明文としては、

  • 議論を重ねて納得してもらうことが求められる--みや1229さん
  • 「同じような状況の先例では批判されず、私の場合はなぜ批判を受けるのか?」--みや1229さん
  • 一種のスラングである--Gyulfoxさん
  • 解釈上注意が必要である--Gyulfoxさん
  • 必ずしもこのことばは使用者側を擁護するものではない--Gyulfoxさん

を盛り込む方向で考えております。この他にも盛り込んだ方がこれからの議論などに役立つというものがありましたらお教え下さい。--akane700 2011年1月26日 (水) 00:12 (UTC)[返信]

  • (私の意見として)「論点のすり替えと同義である」という文言も加えたらわかりやすくなると思います。--akane700 2011年1月27日 (木) 15:08 (UTC)[返信]
  • (コメント)「スピード違反の論理」はリダイレクトで論点のすり替えに飛ぶようになっており、今後ウィキペディア内で語句の意味がわからない事態が発生したとしても、解決するでしょう。この提案は「この議論は「『スピード違反の論理』という言葉はスラング的な用法であり、初心者には意味が伝わりにくい。何とかしましょうよ」という趣旨[1]」であることが、提案者によってはっきりしていることから、リダイレクトによって目的は達成されていると思います。論点のすり替えの記事中にスピード違反についても触れられており、用語集への追加はもはや必要ないでしょう。--海獺 2011年1月26日 (水) 02:29 (UTC)[返信]
  • リダイレクトを作成したのはOhgiさんのようですね[2]。「スピード違反の論理」は日本語版Wikipedia内のスラングであるというのに通常の記事にリダイレクトさせるというのはどうかと思います。また、記事内でも「スピード違反の論理」という言葉は出てきていません。用語集への追加はやはり必要でしょう。--akane700 2011年1月26日 (水) 02:53 (UTC)[返信]
率直な感想ですが、リダイレクトの削除依頼をすぐさま提出する行為は、腕ずくで解決を試みているように見えます。このノートでそのように見られてしまう行為は、このガイドラインの趣旨を理解していないと思われてしまうに十分な拙速な行為であり、全くの本末転倒ですので謹んでいただけないでしょうか? 当初の目的である「言葉の意味はわかるようになった」以上のことを、Akane700さんが望んでいるスタイルでウィキペディアで行いたいという希望があり、それに当てはまらないものはこのような手段をとるという風に見えています。Akane700さんに伺いたいのですが、当該リダイレクトの削除依頼を提出する前に、リダイレクトでも良いかどうかここで議論する時間はなかったのですか? --海獺 2011年1月26日 (水) 14:02 (UTC)[返信]
結論から言うとありませんでした。Ohgiさんの会話ページでも述べましたが、Wikipedia日本語版の俗語を標準名前空間に持って行くのはどう考えてもおかしいし、外部サイトのサーチエンジンに反映されると、Wikipediaと関係無い方が一般的な語であると誤認する危険性もあります。--akane700 2011年1月26日 (水) 14:41 (UTC)[返信]
どう考えてもおかしい、危険性がある、というあなたの意見や印象について、広く議論する段階は飛ばして、削除依頼を提出することが最適だと今でも思っていますか? その行為はこのガイドラインが諌めていることのひとつだとは思いませんか?--海獺 2011年1月26日 (水) 14:55 (UTC)[返信]
削除依頼を提出することが最適だと今でも思っておりますし、ガイドラインが諌めていることのひとつだとは思いません。理由はこことOhgiさんの会話ページで述べた通りです。本件とは関係ない同様のリダイレクトが作成されたのを発見したとしても同様に削除依頼を提出しています。さて、(本論に戻って)海獺さんは私が述べた理由についてはどのようなお考えですか?--akane700 2011年1月26日 (水) 15:45 (UTC)[返信]
今回の行為が、このガイドラインが諌めていることのひとつだとAkane700さんが思わないのであれば、Akane700さんはこのガイドラインの議論に関わるのには不適格ではないかと思います。私の個人的な意見ですが、Akane700さんがこのガイドラインの意味することを理解出来ていないと思われる行動が、この議論内だけでこれで2例目だからです。もう一度WP:SPEEDを読み返して、ご自身に思い当たるふし、或いは誤解されてしまいがちな行動がなかったか考えてみることをおすすめします。
本論ですが、一般的な単語を二つ組み合わせた語句の意味がわからないという人が多ければ、それが何処の発祥だと思われるものであってもリダイレクトを削除する理由にはならないと思います。「この語句はウィキペディアのスラングである」という意見は検索結果から類推したウィキペディアに参加している方の意見であり、実際の検索結果ではウィキペディア以外には全く使われていないわけではありません。すると、「ウィキペディアのスラングだから」という理由で、削除依頼を提出するというのはウィキペディアンの驕りであるかも知れません。いつの間にか「ウィキペディアのスラングである」「ウィキペディア日本語版ローカルの専門用語」「Wikipedia日本語版の俗語」「Wikipedia日本語版の中でしか通用せず」ということをウィキペディアンが決めてしまった可能性はないでしょうか? 「132人目方式」なら字面で内容が想像しにくいことからウィキペディア日本語版のスラングと言いやすいかも知れません。
さて、そもそも、「スピード違反の論理」という語句の意味が分からないと言っている方は、何処にどれくらいいるのですか? 参照できる差分をお願いします。語句の意味が分からないという事例が非常に沢山あれば、なんらかの案内は必要だと思いますが。--海獺 2011年1月26日 (水) 16:51 (UTC)[返信]
「スピード違反の論理」という語句をwikipediaを除外して検索するとわずか7件です[3]。これは「Wikipedia日本語版の俗語」であることの証明になりませんか?「スピード違反の論理」という語句の意味が分からないと言っている……の件ですが、Wikipedia:井戸端/subj/「スピード違反の論理」という言葉をよく使う利用者がいるでは、「一定期間参加していないと分かりにくい「スラング」(Law somaさん)」、「「スピード違反の論理」という語句が大半の人に親しみのないもの(かげろんさん)」という意見が見られました。長めに参加されている方ですらこのような意見をお持ちですので意味が分からない方は多くいると類推できます。--akane700 2011年1月26日 (水) 17:22 (UTC)[返信]
まず、「類推」にすり替えるのではなく、実際に分からないと言っている方は、何処にどれくらいいるかの「差分」をお願いします。
また、検索の結果を非常に重視されているようですが、ウィキペディア内では約2年も前のこの差分にて[4]「いわゆる」という言葉付きで追加されています。この時点で「いわゆる」という言葉付きなのですから、検索結果がWikipedia日本語版の俗語であることの証明にはなりません。ご自身の意見や想像よりも、客観的なしっかり裏打ちされた情報からのお話をお願いします。仮に、「スピード違反の論理」という語句が「論点のすり替え」という記事へのショートカットでは不適切なら、性急に削除依頼を提出せずとも、「Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#考えは議論の場で—実地証明は無用」にリダイレクトし直せばよいだけの話でしょう。
用語集に追加するのであれば、折角Gyulfoxさんが提案してくださった「スピード違反者の詭弁」を無視せずに、言い換えが考えられる例を出していった上で適切なものだけを用語集に加えればいいでしょう。しかしながらAkane700さんの懸念は「スピード違反の論理」という語句の意味が分からない人が多くいるだろうというところから全く動いていないようですので、「スピード違反者の詭弁」という別の語句については、ないがしろになっているような印象があります。
いずれにせよ、単に「スピード違反の論理」という語句を「Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#考えは議論の場で—実地証明は無用」にリダイレクトすれば、Akane700さんの「この議論は「『スピード違反の論理』という言葉はスラング的な用法であり、初心者には意味が伝わりにくい。何とかしましょうよ」という議論の趣旨は達成されるでしょう。--海獺 2011年1月26日 (水) 17:55 (UTC)[返信]
差分を出せと言われると厳しいのですが(一つ一つ集めるのは非常に手間)、もし差分を提示したとしても、今の海獺さんの口ぶりをみると納得されるとは到底思えないんですよね。なぜ私の考えを挫くことにそこまで必死になられるのか分かりません。実際問題、「意味が分かりにくいかも知れない。」という意見があり、「じゃあ、用語集に追加するなり、方針に追加するなりしよう」という意見が多くあればそれでいいじゃないですか。――個人的には「スピード違反の論理」という言葉が第一で、「スピード違反者の詭弁」に変更というのは二の次だと思っています。「スピード違反者の詭弁」という句が使われている所をみたことはありませんから。――2者だけでの議論ですと、水掛け論になりやすいですのでしばらく発言は控えて第三者のコメントを待つことにします。--akane700 2011年1月27日 (木) 09:46 (UTC)[返信]

(インデント戻す)どうもAkane700さんは、個人的な感情をあからさまに含めて、手間を惜しんで差分を示さなかったり、議論する気がないのではないかと思えてしまうのですが、Akane700さんの考えをくじくために私はお話をしているのではなく、客観的なソースから意見を言っているだけです。議論があちこちに飛んでいますので、私からの視点で、私の意見を含めここまでをまとめてみます。

  • Akane700さんの目的は「『スピード違反の論理』という言葉はスラング的な用法であり、初心者には意味が伝わりにくい。何とかしましょうよ」というものである。
  • その初心者がどこにいるのか差分は示されない。「確かにわからない人が多い」と客観的にわかる資料が示されていない。集めるのが非常に手間なら、客観的な資料が必要ないわけではありません。
  • わからないといっている利用者の発言事例は、私が知っている限りこれだけである。しかしながら初心者とは言いがたい。
  • 「確かに初心者にはわかりにくいだろう」という意見を持つ利用者が複数いる。
  • ウィキペディア内で『スピード違反の論理』という語句は2年ほど前からWP:SPEEDというショートカットの説明の中で使われており、しっかり調べれば意味はわかる状態である。
  • Akane700さんが提案した文章[5]のうち、二番目の要素である、「「スピード違反の論理」が載っている方針や文書が存在せず、言われた側が意味を調べようにも使った本人に聞くしか方法がない。また、厳密には根拠となる方針が無い形になるので、俺様ルールと受け取られる可能性がある。」というのは正しいとは言えず、WP:SPEEDのショートカットの説明に存在しており、検索結果をきちんと調べれば意味もわかり、一定の根拠がある状態だった。
  • きちんと調べなければわからない状態なら、単に「スピード違反の論理」という語句を「Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#考えは議論の場で—実地証明は無用」にリダイレクトすれば、Akane700さんの目的は達成される。
  • 仮にこの語句がウィキペディア内のスラングであることが証明されるあるいは合意に至ったとしても、現状のリダイレクトを「Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#考えは議論の場で—実地証明は無用」に向けて変更すれば済む話であり、拙速に削除依頼を提出し、削除という権限を使う必要はない。

という見解です。

Akane700さんだけでなくこの議論で意見を書いた何人かの利用者に対する苦言にも聞こえてしまうため、非常に心苦しいのですが、ある語句に関する議論で意見を出す前に、検索結果の中身をきちんと精査したほうが良いのではないでしょうか? どなたか一人でも精査なさっていたら、「その語句はWP:SPEEDの説明に使われているよ」で済んでいたことではないかと思います。そもそも、どうしてWP:SPEEDというショートカットがあり、いつ、どういった意図で作られたのか誰も言及しないまま、ここまで議論が進んでいたことが不思議でなりません。--海獺 2011年1月27日 (木) 14:48 (UTC)[返信]

(追記)編集対応でスピード違反の論理を「Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#考えは議論の場で—実地証明は無用」へ行き先を変更しておきました。さしあたって標準記事空間に対するリダイレクトであるべきではないという懸念を回避するためのものです。--海獺 2011年1月27日 (木) 16:09 (UTC)[返信]
節が勝手に削除されたので戻させて頂きました。リダイレクトの可否は実質私と海獺さんによる2者だけの議論になっており第三者の意見がまだ無いことと、リダイレクトも解決策の一策であるような形になっているためです。第三者の意見をなぜ待てないのでしょうか。まず、議論優先、意見を集めましょうよ。--akane700 2011年1月27日 (木) 21:18 (UTC)[返信]
節名は消します。
実質2者だけの議論ということをAkane700さんが認め、その2者の一方が認めていない節分けを行い削除したら「議論誘導」[6]と批難するのは奇妙です。削除が議論誘導であるならば、勝手に加えたこと自体も議論誘導であるはずです。Akane700さんは第三者を出汁にして自らが公平な立場に立っているように振る舞われていますが、自らには節分けを決める権利があり、相手にはそれに反対する権利は無いという不公平な立場に立たれているように思います。提案者だからといって自分にとってのみ都合良く分けてしまうような優越する権利は無いように思います。
初心者経験者問わず利便性を考えると文書関連は少なくて済むなら少ない方がいいのでリダイレクトで済むのであればそれでいいように思います。
2者だけでの議論だから水掛け論になりやすいとは思いません。具体的な事例の山を元にきちんとした提案がなされていれば、問題点も特定しやすく問題解決に結び付きやすいと思いますが、差分無しでの半ば作り話から出てきたような提案であると水掛け論にならざるを得ないと思います。提案者の頭の中にしかない事例で話すことになりますから、どんな反対意見を述べても提案者側が都合良く話をすり替えることができてしまうので水掛け論にならざるを得ません。したがって全部の差分を集めきれとまでは言いませんが、Akane700さんがその結論・提案に至るまでに参考とした「差分」は出すべきだと思います。それが量的に多ければ参加者は納得しやすく問題分析をしやすくなり具体的な議論に入る事ができ水掛け論になりにくいと思います。少なければもっと事例が頻出したときにでも再提案してくださいということになると思います。--Sureturn 2011年1月28日 (金) 04:23 (UTC)[返信]
他者の言動行動を悪意にしか取れない癖どうにかなりませんか?リダイレクトを作成するというのも一つの案なんでしょう?節分けを行っても議論誘導にはなり得ません。私はリダイレクト案に積極的賛成はできませんが、コミュニティーがその方向なら従いますよ。リダイレクトがいいと思うからこれまでの用語集に入れるという複数の意見は揉み消しますねなんて考えには到底賛同できかねます。--akane700 2011年1月28日 (金) 09:04 (UTC)[返信]
再び消します。
勘違いされているように見受けられますが、節分けを行うことが議論誘導になると言ったわけではありません。削除が議論誘導だという批判は、Akane700さん自身が他者の言動行動を悪意にしか取っていないことによるものです。Akane700さんがそのように節名の削除を議論誘導だと批判するならば、節分け自体も議論誘導であるはずだという事を言いました。つまり議論誘導というのはAkane700さんの意見があってのことです。削除が議論誘導で、節分けが議論誘導ではないというダブルスタンダードを解消すべきです。節は作り放題で削除は議論誘導だから駄目というのはAkane700さんのよくやるダブルスタンダードだと思いますので、そこをきちんとすべきだと思います。私がAkane700さんの行動を悪意にとったと言うのであれば、Akane700さん自身が海獺さんの言動を悪意に取っているということに他なりません。Akane700さん自身の行動はどうなのか?議論誘導になっていませんか?と返したに過ぎませんから。いい加減自分だけはやってもいいが、同じ事を自分がされたり言われたりするのはどうしても許せないというダブルスタンダードなAkane700さんの性格はどうにかなりませんか?そうでなければAkane700さんが他の利用者より偉く強い権利を持っているということを示していただければと思います。節分けを行っても議論誘導にはならないなら、消しても議論誘導にはならないでしょうというだけの話なのですが。
Akane700さん自身が実質2者だけと言われたとおり話し合っていた人が2者しかいない部分についての節分けで複数の意見がどうとか関係無いでしょう。2者といったり、複数といったり「ええとこどり」で都合良く変更したりするのも議論に参加する姿勢としてあまりよくないことと思います。
用語集に入れるという意見が複数出ていたとしても、議論の流れによっては変わることもあります。リダイレクトなど新案が出てきたから新案と旧案を比べることも議論の一面になると思います。新案の無い時の意見は比較対象の一つで揉み消すのとは違います。ただ案が出そろってない時の意見を新案が出た後の意見と100%同格に扱い続けるというのはあまり無いかなとは思いますが。それは議論を軽視しすぎです。--Sureturn 2011年1月28日 (金) 10:31 (UTC)[返信]
編集合戦も辞さないし悪癖も直すつもりが無いということですか。またこじつけでダブルスタンダード呼ばわりですか。他者の言動行動を個人的な考察で非難しても何の説得力もありませんよ。あなたのような議論のやり方を「人格攻撃」(詭弁術の一つ)というんですよ。--akane700 2011年1月28日 (金) 13:04 (UTC)[返信]
<撤退宣言>私に対する個人的な敵対感情、人格攻撃があまりにも激しいため誠に残念ではありますが、私akane700は本議論より撤退させて頂きます。私はどこかで書いた通り個人攻撃にめっぽう弱いです。このような疲弊しかしない議論と、記事を作成する事とを天秤にかけますと、やはり記事を作成する方が重要という考えです。よって撤退いたします。どうか、発起人のくせに無責任だとか思わないで下さい。私も辛いのです。--akane700 2011年1月28日 (金) 13:17 (UTC)[返信]
撤退宣言をした以上、こちらにはもう一文字も書かれないと思いますが気になる所は述べておきます。
まず、編集合戦についてですが編集合戦とは少なくとも2者間で行われるもので相手が編集合戦を辞さないと思った時、Akane700さん自身も編集合戦を辞さない態度でいるということを認識してください。Akane700さんは何の合意も無くこのように3回[7][8][9]節名の記載を行っています。ダブルスタンダードでないというのであれば、どういう理由で自分の行為は正当で相手の行為は不当であるということを論理的に述べてください。提案自体もそうですがAkane700さんは議論に参加されるには非論理的すぎるように思います。
「他者の言動行動を悪意にしか取れない癖どうにかなりませんか?」[10]という一方で自分にとって都合が悪ければそれがコミュニティの決定であっても逆恨み[11]ということにしてしまう。Akane700さん自身の悪癖はどうすることもできないのでしょうか?Akane700さん自身は他者の言動行動を悪意にしか取っていないけれど、Akane700さんの行動を悪意に取る人は許さない。というのはあまりにも身勝手が行きすぎているように思います。
自分に対する批判を個人攻撃としてしか受け止めることができないなら議論の場に来ない方がいいと思いますよ。議論とは強引に自分の思い通りに会話を運ぶことではありません。提案を通す事が議論の成功とは限りません。廃案へと向かう議論も前進の一つです。Akane700さんの見る方角が前方とは限りません。人ぞれぞれ違った前方があり、違う方向に前進するので議論というものがあります。自己中心的すぎる性格をどうにかしないと実生活上もかなり困る事になりますよ。Akane700さんの「自分だけは他者批判でも何でもしていいが、他人が自分を批判するのは許さない」というダブルスタンダードはどうにか直してください。
発起人としての責任を感じるのであれば提案時に十分な材料を揃えて、どういった問題が起きていたのか差分と考察を添えて提案されることをお勧めします。その責任を果たせていないのもこういうことになっている一因です。議論参加者はそれを見て似たような事例を出し合ったり問題分析や解決方法を模索できるようになるでしょう。現状Akane700さんの頭の中にしかない事例に対して解決を模索しても議論が成立しにくく水掛け論に陥りやすくなります。なので発起人として責任を感じるなら最初から十分な材料を揃えた提案が出来ず、要求されても全く出せなかったことを恥じていただければと思います。
今後、議論系に顔を出されるならばダブルスタンダードな性格を直し、提案するときは十分な材料を揃えて提案するなど責任を果たせば辛いと思う事も無くなるでしょう。それらができていなくて再びこのような場に参加し、辛いと感じるのであれば全ては自業自得と思っていただければと思います。--Sureturn 2011年1月29日 (土) 02:51 (UTC)[返信]
コメント Akane700会話 / 投稿記録 / 記録さんは「私akane700は本議論より撤退させて頂きます」と発言し、議論の提案者でありながら議論から手を引くことを表明しました。議論から撤退すること自体は個人の自由ですので、それはやむを得ないかと思います。しかし、代わりに議論のまとめを買って出てくれた方に対して「後から議論に参加してきていきなりまとめに入りますか。やり方が酷いですな」との暴言を吐いています。Akane700会話 / 投稿記録 / 記録さんには何度も繰り返し言っているのですが、議論の提案者には他の参加者を思い通りに動かす権能はありません。議論のまとめは提案者しかできないわけではありませんし、提案者が議論から撤退したら議論自体が自動的に打ち切りになるわけでもありません。撤退したにもかかわらず、自分以外のユーザがまとめ役をやるのが気に食わないからといって暴言を吐くなど、許されることではありません。議論で対立したユーザに対して片っ端から投稿ブロック依頼を出したり自分の立場を有利にするため虚偽の発言を繰り返したり、提案者の代わりにまとめ役を買って出てくれた方に対して暴言を吐いたり、といった行動を繰り返しており、ウィキペディアでのコミュニティーや議論に対する理解が欠如しているように見受けられます。きちんと理解されるまでは、本議論だけでなく全ての編集の手を止めることが必要だろうと思います。--Scoopy 2011年1月30日 (日) 10:24 (UTC)[返信]
  • 削除依頼でどれを消すとか何を作るとか名前を変更する編集するといったことは全体としてどうするかということが決まった後ですることと思いますので、Wikipedia:リダイレクトの削除依頼/2011年1月に保留が望ましいと書きました。自分の発言の辻褄を合わせるために急いで削除依頼を行うというのは、何か根本的な所で本末転倒が起きている気がします。全体として何をどうするか決めてからが望ましいと思います。その方が削除を行う管理者の方も判断しやすいでしょう。--Sureturn 2011年1月26日 (水) 11:17 (UTC)[返信]
  • 追記ですが一連のやりとりが利用者‐会話:Ohgiにもあります。利用者‐会話:Sureturn利用者‐会話:Scoopyなどこちらに影響を与えかねないやりとりもあり、このページだけ見ていても流れが掴みにくくなっています。その他ウィキメールなんかでもやりとりが行われているようです。ここだけ見ていてもほとんど止まっている感じですが裏で隠れた部分で激しいやりとりが多すぎどこが議論の本体なのか分かりづらくなっていて現状、議論の体裁を成していないように思います。--Sureturn 2011年1月26日 (水) 12:46 (UTC)[返信]
    • ウィキメールは本件とは全く関係ない内容ですのでご安心下さい。--akane700 2011年1月26日 (水) 13:08 (UTC)[返信]
    • コメント 追記のようなことを書いたら余計議論の体裁をなせなくなります。追記のような直接こちらと関係ない話は他所でやってもらえませんか。お願いいたします。--かげろん 2011年1月26日 (水) 14:02 (UTC)[返信]
      • いえ、こちらの会話と繋がっているものを裏でやられては、各々がどういうやりとりの上で話しているのか重ねて読まないと公平ではありません。こちらの流れが止まったり黙ったり態度が変わったりと、他所でされている事を読まないと分かりにくい部分があります。他でやるにしてもそういった会話が行われているページへのリンクは出しておくべきだと思います。裏工作だらけで表の流れがあっちいったりこっちいったりするのは議論というのとは別の何かと思います。リダイレクト作成については直上でされている会話に直接関係するものです。--Sureturn 2011年1月26日 (水) 16:14 (UTC)[返信]
        • コメント 利用者‐会話:Scoopyさんの方は、関連はあったところでこちらに影響を与えるようなことはあまりないでしょう。大本は井戸端のときにあなたがakane700さんを煽る発言をし、釣られたakane700さんにScoopyさんが喰い付いたのが原因ですから。まあ、利用者‐会話:Ohgiさんの方はたしかに影響はあるでしょう。ですが、「関連する話題(もしくは最初の話題)が利用者‐会話:Ohgiにあります。」とでもシンプルに書けば済む話ですよね。追記のごとく膨らます必要性は感じられませんね。--かげろん 2011年1月27日 (木) 00:50 (UTC)[返信]
          • 必要性というのは人それぞれが必要だと思えば書く事で、かげろんさんが私の代わりに必要性を判断してあげましょう。Sureturnの書く事はかげろんさんが全て必要か不必要かを判断します。それに従いなさいとはならないわけです。かげろんさんの思うシンプルさはかげろんさんが自分の意見を書くときにそう気をつければいいと思います。私は私が必要だと思った事と必要とまでは言えなくても参考になるだろうと思う事を私の判断の下に書きます。かげろんさんと違って書くべき事と思う範囲が少し広いのかもしれません。必要性とかどうすれば済む話というぎりぎりの線だけで対話をしたいのであれば、このかげろんさんとのやりとり自体が「こういうページでのやりとりがあります。」「そうですか。」で済む話なんですよね。「そうですか。」だけで済ませられないかげろんさん自身も個人的な膨らみがあるわけです。そこらへんはご自身で自分の膨らみも見詰めていただければと思います。もちろん絶対必要とまではいえない膨らみをかげろんさんが書いていることを責める気はありません。ただ、かげろんさんが他人の膨らみを気にするならば、かげろんさん自身が究極に無駄を省いた最もシンプルな形だけで発言されるようお願いします。個人的には議論というものは必ずしも誰かが個人的に必要と判断しただけの内容だけで進んでいくわけではないと思います。ブレインストーミングのようにある意味無駄だらけの議論もありますし。参考になるもの影響を与えるものなどが全てオープンに絡み合って成り立つものと思います。全ての発言が絶対必要なものだけで構成されるべきとお思いなら、かげろんさん自身が先にそういう人になってください。--Sureturn 2011年1月27日 (木) 04:39 (UTC)[返信]
  • (インデント戻す)んー、なんかAkane700さんはご自分の考えに拘りすぎているような気がします。用語集に追加ってのは筋が通っているように見えますが、「スピード違反の論理」という用語を探している利用者にとっては、正解にたどり着くまでに経る必要があるステップが多くなるんですよね。一方、今回話題になっているリダイレクトは、確かに一見すると「Wikipedia日本語版の俗語を標準名前空間に持って行くのはどう考えてもおかしい」と思えるかもしれませんが、例えば赤リンクなどはWikipedia:赤リンクへのリダイレクトとして標準名前空間にあります。他にもビューロクラット編集合戦など、Wikipedia日本語版の俗語について標準名前空間からWikipedia名前空間へのリダイレクトとして作成されている例はいくつもあります。今回もそれらと同様の便宜的なものと考えられないでしょうか?--ろう(Law soma) D C 2011年1月28日 (金) 07:41 (UTC)[返信]

まとめ

議論提案者が撤退宣言をなさり、この議論が宙ぶらりんになっております。そこでいくつかの要素を共通認識として確認をしながらまとめてみたいと思います。いくつかは先だってまとめたものと同じです。

  1. この議論および議論提起者であるAkane700さんの目的は「『スピード違反の論理』という言葉はスラング的な用法であり、初心者には意味が伝わりにくい。何とかしましょうよ」というものである[12]
  2. 具体的に、誰が、どのように困っていて、どれくらいたくさんの初心者がいるのかの差分は示されない[13][14]
  3. 「確かに初心者にはわかりにくいだろう」という意見を持つ利用者が複数いる。
  4. 他方、ウィキペディア内で『スピード違反の論理』という語句は2年ほど前からWP:SPEEDというショートカットの説明の中で使われており、検索結果をきちんと調べれば意味もわかり、一定の根拠がある状態だった。
  5. 上記要素から、Akane700さんが提案した文章[15]やこのノートに移動する際の文章[16]には、事実誤認や誤解が多く含まれていることがわかる。
  6. 実際に、困っている初心者の存在が確認できず、提案者からの協力が得られない以上、具体的事例が得られないことになり、対処としてどのように語句の説明や、整備をすればわかりやすいかを議論することは難しく、「スピード違反の論理」という語句をWP:SPEEDというショートカットを持つ「Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#考えは議論の場で—実地証明は無用」にリダイレクトすれば、当初の目的は達成される。

現時点で「スピード違反の論理」という語句は「Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#考えは議論の場で—実地証明は無用」にリダイレクトにいたしました。これにより、この議論は終了ということでよろしいでしょうか? 他の話し合う要素がある、また差分を提示できるので、より初心者にもわかりやすく出来るかもしれないなどありましたら、この場でお願いします。--海獺 2011年1月30日 (日) 00:01 (UTC)[返信]

コメント 今回のakane700さんの提案は初心者の方にわかりやすいようにWP:SPEEDの文章をブラッシュアップする、用語集に整備するという総合的な趣旨で私は受け取っています。まとめ1のような意見を持つ利用者が複数いるという状況ですから、文案のブラッシュアップ案を求めるのが筋だと考えます。まとめ2についてですが、具体的な差分はあった方がより良いのですが、なくても皆で思考を凝らせば問題はないと思います(海獺さんは具体的な差分にこだわっていますが、そこまで差分にこだわる理由は何でしょうか)。まとめ4についてですが、たしかに検索すれば意味は分かります。しかし、それが一般に浸透した語句なのかと言われれば、それは断言できないでしょう。現に、「"スピード違反の論理" -Wikipedia」でGoogle検索すれば、たったの6件しか該当しません(何らかの説明をしておくべきと言われればそうだなと言わざるを得ないレベルではないでしょうか)。本当に必要なのはまとめではなくて仕切り直しなのではないかと思います。今からでもお考え直し頂ければ幸いです。--かげろん 2011年1月30日 (日) 01:17 (UTC)[返信]
差分にこだわる理由は、下記Sureturnさんのおっしゃるとおりです。ここまでは具体的問題点が共有できていないままのお話であったように思います。語句の説明は現に2年前から説明はなされていたし、「WP:SPEED」という文字列でショートカットが作成されたことも、少し調べればわかることだったのです。仕切りなおしでもまとめでも良いのですが、現時点でリダイレクト以上に何か説明をする必要があるのかなあというのが率直な私の感想で、もし説明文をみんなで修正するにしても、どのような混乱が起きていたのかの問題点を共有する上において、ウィキペディアに長く活動している方の印象ではなく、差分を参考にしないことには、初心者にわかりやすいものが出来にくいと思うんです。逆に差分があるのに出さない理由って何でしょうか?--海獺 2011年1月30日 (日) 04:12 (UTC)[返信]
  • (コメント)文面を改良しようとするのなら、具体的にどういう初心者が居てどのような混乱が起きたのか?文面の変更によってその問題が解決するのか?という所が問題になると思いますが、現時点でそのスラングによって起きた混乱の具体事例が全く無いので想像だけでの作業になります。この手の提案にしては具体事例が何故皆無なのか?ということは非常に奇妙です。誰かが考えた架空の話を元にして頑張って作ったけれど誰も利用しなかった。想定した混乱の解消に役立たなかった。では意味がないので現時点ではリダイレクトで十分であるように思います。問題とされる所が根本的に架空の話だけであるという現状のままであれば、このまま続けても仕切り直しても何も変わらないと思います。真面目にやるのであれば問題がどれだけ存在するのか?をまず明らかにして、混乱の原因を考察・分類した上で解決方法や文面調整を模索するということになるように思います。いつまでも架空の話だけをネタにした議論は中身が無く好ましくないように思います。やるのであれば具体的な混乱の解決に向かうような中身のある意味のある議論にすべきかと思います。架空の混乱についての議論のままであれば、議論の存在意義自体が疑問です。--Sureturn 2011年1月30日 (日) 02:22 (UTC)[返信]
    • コメント 文案を考えられていた方はいらっしゃいます。ですが、あなたがここで発言して以降議論の筋が完全にずれたものになったため、議論に参加する意思が失せたとのことです(詳しくはあなたを被依頼者としたコメント依頼に書いてあります)。言わんとしていることはすでに書かれています。しかし、そのままではスピード違反の論理と言われても何のことかさっぱりということがあるだろうから、スピード違反の論理にも言及してよりわかりやすい文面にブラッシュアップする、ただそれだけのことです。ややこしく考えすぎではありませんか。--かげろん 2011年1月30日 (日) 02:41 (UTC)[返信]
      • 議論の筋が完全にずれたと言われますが、提案が 2011-01-04T08:37:34[17]にされ、私の方で差分を示した発言は2011-01-05T02:45:37[18]なので提案から約18時間後です。このたった18時間以内に行われた会話が議論の本筋で変えてはいけない決定事項であるかのように話されているように思いますがそれは削除依頼なんかでの緊急案件レベルの判断ですよね。かげろんさんにとって、たった18時間での流れはそんなに重いものですか?緊急案件でなくてもたった18時間だけどかげろんさんが勝ち取った内容だと思えば他の人にとってもそれは確定なんでしょうか?それはまさに腕ずくでの解決ではないでしょうか?短時間のうちに異論が出ないうちに確定事項にしちゃえ。という感じですよね。この手の提案としては意見を集めるのに十分な時間を経ていない僅かな間に提案者も私も含めて8人での会話が本流であるかのように言われるのはあまり良くないように思います。文案を考えられていた人がいたとしても問題が確定しない以上どうしようもないように思います。具体事例が全く無いので、まずこの提案はどういった経緯で出てきたのだろう?どこでどういう混乱があってそういう話になったのだろう?という所に目を向けた時、その差分が元になったのではないかと思い提示しました。私の感覚では問題が確定しないのに文面を考えるというのは解消に結び付くかどうかはっきりしなしあまりないかなと思います。あるだろうからという架空話ではなく、実際に何が起きて提案へと結び付いたのか?ということを明確にしないと全ての作業が無駄になりやすいと思います。私の方で原因と見られる差分を示した時でも、提案の下敷きにした差分を沢山並べてこれらの混乱を元に考えて提案しましたと言えば遅くは無かったように思います。現時点で私の出した差分以外に提案の根拠となる差分が全く出てきていないというのはやはり奇妙な状態と思います。--Sureturn 2011年1月30日 (日) 03:20 (UTC)[返信]
        • コメント 場所がこちらに移るだけで肝心の議論はそのまま継続されるわけですから問題はないでしょう(akane700さんは近々こちらに提案しますと言ったわけだし)。ですから「18時間」にそこまでこだわる理由は無いと思います。あと、あなたの2011-01-05T02:45:37の差分提示はもっと穏当な文章でやってほしかったですね。「本当に初心者の事だけを考えての提案かどうか疑問も残りますので」というような悪意にとれる表現を使ったら紛糾しかねないのは予測できたと思いますが。--かげろん 2011年1月30日 (日) 04:26 (UTC)[返信]
上記「あと、あなたの2011-01-05T02:45:37の差分提示は」から始まる部分など、かげろんさんとSureturnさんの個人間でのこのようにすべきだという議論は、他の場所でお願いできますか?--海獺 2011年1月30日 (日) 04:33 (UTC)[返信]
コメント もともとの議論の出発点は「Wikipedia:井戸端/subj/「スピード違反の論理」という言葉をよく使う利用者がいる」です。節名、および、節冒頭の文章からもわかるように、もともとは「初心者の事だけを考えての提案」などではなく「『スピード違反の論理』という言葉を使う利用者を問題視し糾弾しようとした」ものだったと思います。Akane700会話 / 投稿記録 / 記録さんは「Wikipedia内を検索してもそれを扱った方針は無く」「外部の検索エンジンで調べてもWikipediaのとあるコメント依頼がヒットするのみ」「『俺様ルール』を持ち出すな! と返されるのが落ち」「方針に無い意味不明な論理を持ち出すのは間違っている」などと発言し、「スピード違反の論理は方針で認められたものではない」とのロジックを展開しようとしていました。しかし、他の利用者から「ガイドラインとなったWP:POINTの中のWP:SPEEDで述べられている」と反論されたため、主張の根拠を失ったことからやむなく方向転換し「初心者の事を考えた提案」に舵を切ったというのが経緯でしょう。--Scoopy 2011年1月30日 (日) 10:58 (UTC)[返信]
差分のご提示ありがとうございます。私が見る限り上記のうち1つの例「ノート:広角打法」に関してはスピード違反の論理という言葉の意味合いそのもので論争になっているようです。他の例は残念ながらショートカットの説明の前の案件であったり、初心者が困った案件とはいえないようです。ノート:広角打法しかサンプルにならないのは残念ですが、そこで起こっている誤解は説明の整備に有意義な資料となりそうです。--海獺 2011年1月30日 (日) 08:17 (UTC)[返信]
Wikipedia:ショートカット/リストには、『いわゆる「スピード違反の論理」』と書かれてはいますが、普通の参加者はWikipedia:ショートカット/リストのページには行かないでしょう。また、「スピード違反の論理」という語句がWP:SPEED内に記入されていないため定番と化したやり取りが行われている現状も考慮に入れて頂ければ幸いです(特にLTA:SANNET案件あたり)。--かげろん 2011年1月30日 (日) 08:32 (UTC)[返信]
かげろんさんとしては、少なくともWP:SPEED内に「スピード違反の論理」という語句が追加されたほうが良いだろうというご意見ですね。分岐としてお伺いしますが、用語集に入れるという案についてはどう思われますか? 現状、語句はリダイレクトになっているので、このままではせっかく用語集で説明しても、今度は用語集にたどり着かないという事態が発生しそうです。また現状のWP:SPEEDの内容において「スピード違反の論理」という語句の説明の過不足は、どのように感じていますか? また、現状のリダイレクトについてもご意見を伺えればと思います。--海獺 2011年1月30日 (日) 08:44 (UTC)[返信]
WP:SPEEDの文面の改良(「スピード違反の論理」を文章内に取り込む)、用語集への記載は積極的に取り組むべきと考えています。リダイレクトについてはWP:SPEEDへのリダイレクトとなっていますので現状のままでいいと思います。--かげろん 2011年1月30日 (日) 08:54 (UTC)[返信]

(インデント戻す)用語集への追加をするにあたり、短くてシンプルな説明のほうが良いと個人的に感じていますので、こちらのLaw somaさんによる文章を一部拝借し、以下の文案を提示します。

"スピード違反で捕まった運転者が、『自分だけでなくスピード違反をしている他の運転者も捕まえろ』と主張するような論理をいう。「WP:SPEED」および論点のすり替えを参照。"

WP:SPEED内の「自分が受けた対処がいかに不当かを訴える方もいます」という文章の後に、

"このような論理に対して「スピード違反の論理」という語句が使われることがあります。"

と加筆する。というのはいかがでしょうか。ブラッシュアップをお待ちしています。--海獺 2011年1月30日 (日) 09:25 (UTC)[返信]

コメント (この位置にレスしてよいのかわからないのですが)用語集に書くべきものは、まず用語の意味だと思います。Akane700会話 / 投稿記録 / 記録さんが提示された文案の中の「議論を重ねて納得してもらうことが求められる」「一種のスラングである」「解釈上注意が必要である」「必ずしもこのことばは使用者側を擁護するものではない」というのは、用語の意味そのものではありません。もちろん、用語の意味そのもの「だけ」を書く必要はないと思いますが、用語の意味なのかそうでないのか区別しておかないとわけがわからないと思います。また、Gyulfox会話 / 投稿記録 / 記録さんの「良い機会ですから投票の上「スピード違反者の詭弁」に変更して欲しいですね」との指摘もありますので、見出し語をどちらにするのかは要検討かもしれません。ただ、「スピード違反者の詭弁」という言い方が(本来は正しいのかもしれませんが)それがコンセンサスを得ている言い回しなのかどうか、「スピード違反の論理」は単なる誤訳と断じていいのか、といった点からも慎重に判断すべきかと思います。--Scoopy 2011年1月30日 (日) 10:58 (UTC)[返信]
"「スピード違反の論理」または「スピード違反者の詭弁」という語句が使用されることがある。" ではいかがでしょうか? 議論提案者の方が「スピード違反者の詭弁」という語句は二の次と発言していらっしゃることから[19]自重しておりましたが、こうして他の方が取り上げてくださいましたので、併記をするという案を提示します。なお語句の訳語としての正しさは、ここでは論点としません。--海獺 2011年1月30日 (日) 11:10 (UTC)[返信]
「スピード違反者の詭弁」という言い方はウィキペディア以外ではおそらく使われていません。「"スピード違反者の詭弁" -Wikipedia」でGoogle検索したところ1件もヒットしませんでした。新しい訳語をわざに使う必要はないと思います。--かげろん 2011年1月30日 (日) 12:06 (UTC)[返信]
◆俗語って「これに決めましょう」という類のものではなく「自然とこうなった」という類のものだと思うのです。より少数、数人が「これに決めましょう」として決めたものが広まったというケースもあると思いますけど、コミュニティ全体で「これに決めましょう」なんていうのは異様かなと。私が「スピード違反の論理」と初めて遭遇したのは多分「Wikipedia:削除依頼/はじるす」でそれ以降何度か見かけたように思いますし、ここまでの話にあるように流通している俗語である以上、(上で書いたことの繰り返しですが)載せていいのではと思います。対して「スピード違反者の詭弁」は、それを使いたい人、より妥当だと考える人が使い、Wikipedia内で充分使われている状態になってから載せればよいのではと思いますし、今は載せる段階にないと思っています。--NISYAN 2011年1月30日 (日) 12:37 (UTC)[返信]
ありがとうございます。では、現段階では「スピード違反者の詭弁」という語句を載せないという方向で考えましょう。--海獺 2011年1月30日 (日) 21:57 (UTC)[返信]
「スピード違反者の詭弁」という語句は載せないとして、「主張するような論理」「このような論理」という部分の「論理」を「詭弁」ないし「論点のすり替え」とするのは如何でしょう。かかる主張が論理か、といわれると論理的でないのは確かなので、論理以外の言葉で説明する方が良いと思います。--Jms 2011年1月30日 (日) 22:11 (UTC)[返信]
コメント なるほど、「スピード違反者の詭弁」という言葉はコンセンサスを得ているとは言いがたそうですね。でしたら、見出しは「スピード違反の論理」とすることでよいかと思います。海獺会話 / 投稿記録 / 記録さんの「現段階では「スピード違反者の詭弁」という語句を載せないという方向で考えましょう」とのご提案、了解しました。--Scoopy 2011年2月1日 (火) 15:08 (UTC)[返信]

早速、実際の文章に入れ込んでみました。

"スピード違反で捕まった運転者が、『自分だけでなく、スピード違反をしている他の運転者も捕まえろ』と主張するような詭弁・論点のすり替えをいう。「WP:SPEED」および「論点のすり替え」も参照。"
"このような詭弁に対して「スピード違反の論理」という語句が使われることがあります。"

いかがでしょうか。--海獺 2011年1月30日 (日) 22:27 (UTC)[返信]

「スピード違反者の詭弁」は本来はこういう意味でしょうという、より日本語に近い訳語なので、スラングでもなく、jwp内でもまだ誰も使ってはいないはずです。成り行き上今回採用されなかったみたいで残念ですが、仕方ありません。海獺さんのひとつ前の提案と今回の文では、今回の方が整理されていて分かりやすいと思います。--Gyulfox 2011年1月30日 (日) 23:09 (UTC)[返信]
ご理解いただきありがとうございます。少し脱線してしまいますが、Jmsさんの発言を読んで思ったのは、発言者からすると論理的なつもりであり、傍から見ると詭弁でしかないという状態なんだろうなということでした。つまりGyulfoxさんの訳語のほうが、より指摘する側の立ち位置なのではないかというのが感想です。--海獺 2011年1月30日 (日) 23:48 (UTC)[返信]
コメント自分だけでなく、スピード違反をしている他の運転者も捕まえろ」ではなく「スピード違反をしている他の運転者は捕まらないのに、どうして自分だけ捕まえるんだ」の方が、「スピード違反の論理」の実態により近いように思います。前者の場合「俺だけじゃなく、スピード違反している他の運転者も皆捕まえろよ!」というようにとれますので「自分も含め一網打尽」を主張しているように聞こえます。しかし、後者は「なぜ俺だけ捕まえるんだ? スピード違反している他の運転者も捕まっていないのに!」というように「自分も無罪放免しろ」と主張しているように聞こえます。どちらかというと「スピード違反の論理」って、後者により近いように思いますが……。細かい話で恐縮ですが。--Scoopy 2011年2月1日 (火) 15:08 (UTC)[返信]
では、ここにて私が使用した文章を持ってきます。
"スピード違反で捕まった運転者が、『私の他にもスピード違反をしている人がいるのに、何故私だけを捕まえるのか』などと主張するような詭弁・論点のすり替えをいう。「WP:SPEED」および「論点のすり替え」も参照。"
いかがでしょうか?--海獺 2011年2月1日 (火) 15:36 (UTC)[返信]
コメント んーと。他者の違反を理由に自分の違反を正当化しようとする論理は認められない、というのは常識とか社会規範に属するもので、ウィキペディアの文書としてもすでに明文化されている。だから、やっちゃいけない。「スピード違反の論理」というのは、それを端的に、比喩的に短く言い表したもののひとつ。スピード違反の論理を振り回す利用者に言うべきは「他者の違反を理由に自分の違反を正当化しようとする論理は認められない」とか、そういうことで、スピード違反とかと同じことですよ、と言えばわかりやすいでしょうか、ということで言葉を補っているはずです。「駐車違反」でもいいし、「詭弁」「抗弁」「言い訳」でも同じですよね。交通法規じゃないほうがいい場合もあるでしょう。「特定版削除」や、よりスラング的な「132人目方式」なんかはウィキペディア独自の意味を持ちますけれど、それとは違う。「スピード違反の論理」自体が説明のために用いられている余分な表現のひとつなのであって、それを確定した表現として取り上げて、どこかに説明・解説を書く必要はない、むしろ好ましくないんじゃないかな、と思いました。
加えて、ありがちな有効でない抗弁なのにそれと知らずに、というようなニュアンスから、小馬鹿にされているとか威圧的とかいうふうに受け取られる可能性もある。表面的には同じ事例に見えるために抗弁しているけど、実は状況が異なる先例を参照していた、というような場合は、「スピード違反の論理」ではないはずだけど、「スピード違反の論理」と指摘してしまうこともありそう。あと、誰もが参加できて共同作業で百科事典を作るというプロジェクトでは、自分の編集の成否を判断する上で先行する記事を参照するというのはある程度避けられないと思うので、注意なり警告なりするときには、使う側に、そういう配慮は欲しい(交通の流れに合わせているとスピード違反になる、てのと通じますけれど)。といった点では、積極的に使用しようしたほうがいいものではないと思う。
せいぜいWP:SPEEDの節に「自分が受けた対処がいかに不当かを訴える方もいます。」の後ろに「こうした主張は、論点のすり替えであり、ウィキペディアではスピード違反の論理と称されることもあります。」と加えるくらいでよいのではないでしょうか。--Ks aka 98 2011年2月1日 (火) 19:12 (UTC)[返信]
もともと、わかりにくい語句なのでどこかに説明が必要である、という意識を私は持っていませんが、行きがかり上進行役となっていることを先に書いておきます。意識としてはKs aka 98さんのコメントの前半部分に同意します。
ただ、注意や警告と呼ばれるような他者への働きかけをしたときは、最大限の配慮をしたとしてもネガティヴな受け取り方しかされない場合もあります。これはこの語句に限らず字面ではインパクトが少ない「特筆性」などの語句も同様でしょう。そういう意味では積極的に使用する/しないについては、同意は出来ません(積極的に使いましょうという意味ではなく)。
さて、たくさんの意見を反映する形で進行し、それを受けていくつか自ら文例を提示し、Ks aka 98さんからもアイディアをいただいたものの、私はこの語句を進んで表に反映するつもりはありません。この議論の進行で、各所に説明の加筆が必要だと感じる方がいらしたら、引き続き進めていただいていいと思いますし、このままで良いと思う方が多ければ議論が止まるという形での一種の結論としても良いと思っています。
個人的には、この語句の意味が全くわからなくて困っている人には、論点のすり替えWP:SPEEDを参照していただくように促すだけでいいのかなと思っています。--海獺 2011年2月2日 (水) 01:19 (UTC)[返信]
かげろんさんが調べてくれた8件[20](前3件は同一人物間と思われるので実質6件)を読んでみたところ、私人のプライバシーの掲載可否だったり、独自に調査した機械の稼働実績の掲載など争点は別の所にあり、スピード違反の論理という言葉に初心者が戸惑って萎縮したり、トラブルが酷くなったというような感じの所はあまり見られないように思います。意味が分かってもどうにもならない対立はどうにもならず、言葉の解釈に齟齬もあり聞き返された時にどういう意味でこの言葉を使いましたと説明したほうがいいこともあるかなという印象です。聞き返された時の解説まで含めて使う人に委ねたままでいいように思います。文書として積極的に使う事を推奨するものでもないし否定するわけでもない。もっとこの言葉が一因かなと思われるようなトラブルが沢山出てこない限り現状維持で変更無しでもいいように思いますね。--Sureturn 2011年2月2日 (水) 04:21 (UTC)[返信]
事ここに至っては現状維持もありだと思います。私は元々用語集なりリダイレクトの整備なりで何らかのヒントが与えられることには意味がない訳ではないので反対しないというスタンスですが、「スピード違反の論理」というリダイレクトが適切に作成されたという現状を踏まえると、もはやこれ以上に何もする必要はないように思えてきます。議論自体は、別段続けたい方が続けても否定するものではありませんが、必要性が薄くなったと思うのです。--ろう(Law soma) D C 2011年2月2日 (水) 07:08 (UTC)[返信]
文章内で一言でも触れておけば多少なりとも効果はあるものと思います(特にLTA:SANNET案件に対しては効果は見込めるでしょう)。『このような主張は、ウィキペディアでは「スピード違反の論理」と称される論点のすり替えの手法の一つであるため、一般的に好ましくありません』ぐらいは入れておいた方がいいと思います。もっといい文案があればそちらに賛成するつもりです。--かげろん 2011年2月2日 (水) 07:32 (UTC)[返信]
LTA関連についてはそのLTA対策として何が効果があるのかを別途話し合うべきでここでやることではないと思います。それによって効果がでるならおそらくLTAにはなっていないようにも思います。このような全体的な文書よりは関係プロジェクトでどういう編集はしないといった取り決めでもした方が有効だと思いますよ。現状で手段と目的が入れ替わっていて文章変更の目的の根拠となる事例が無くどうした方がいいという判断は難しいように思います。いくつかこちらに関わるような事例が出てきてからそれらを横断的に解決するために再提案するというのでも遅くないように思います。--Sureturn 2011年2月5日 (土) 10:42 (UTC)[返信]
コメント 補足しておくと「スピード違反の論理というものです」→「スピード違反の論理なんてガイドラインは存在しない」という定型と化したやり取りはなくなるだろうという意味合いです。この点は上に提示したページで確認できると思います。--かげろん 2011年2月5日 (土) 11:22 (UTC)[返信]
◆ぼくとしては、別に変える必要は今のところないんじゃないかと思ってます。わかりにくい使われ方をされることはあるだろうし、その人がきちんと対応できないときの保険として、変えてもいいとも思う。その場合、ぼくが書いたものや、かげろんさんの提案程度に留めておくのがよいだろう、と。その意味では、「スピード違反の論理」のリダイレクトは、どっちかというと削除のほうがいいと思ってます。残してもいいけど。--Ks aka 98 2011年2月5日 (土) 10:51 (UTC)[返信]
コメント履歴的経緯からすると、WP:SPEED利用者:Emk会話 / 投稿記録さんが、唐突にリンクを作ったことに起因します。(Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない2008年2月8日 (金) 11:03時点における版WP:SPEED2008年2月8日 (金) 11:02 の版)それで英語版のWikipedia:Do not disrupt Wikipedia to illustrate a pointの2008年2月8日 (金) 11:02時点の版を見てもWP:SPEEDは無いですし、いまの英語版にはWP:SPEEDリダイレクトすら存在しません。つまりWP:SPEEDが、「Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない」と関連があるというのは利用者:Emk会話 / 投稿記録さんのご厚意でつけられたもので、なにか検証があってつけられたものではないと考えます(当時の英語版にはWP:SPEEDに相当するページはあったかもしれませんが、Wikipedia:Do not disrupt Wikipedia to illustrate a pointの当時の版から本文にWP:SPEEDの内容が存在したという証拠は皆無です)。なので、WP:SPEEDがここに存在には内容の記述が必要という利用者:Akane700会話 / 投稿記録さんの主張はごもっともだと考えます。つまり、WP:SPEEDの内容がこの文書に書かれたという証拠は今のところないのです。だとすると「なし崩しにWP:SPEEDを根拠あるものとして扱うこと」は、事実誤認に基づく「砂上の楼閣」に過ぎません。WP:SPEEDが必要なのかどうかの議論をするひつようがあります。次の段階としてWikipedia:腕ずくで解決しようとしないにマージさせるか、独立ページにするか、とりあえずWP:SPEEDの定義を明文化しなくてはなりません。重ねて言いますが、「なし崩し」はいけません。合意には根拠が必要です。(つまり正式化の時の見落としです、正式化に関与した当人の一人としては「見落としは、すみませんでした」ということです。)--あら金 2011年2月11日 (金) 00:17 (UTC)[返信]
コメント会話ページから呼ばれて来ました。当時の英語版にもリダイレクトはなかったと思いますが、3年前のことですし、しばらくウィキペディアの編集から離れていたので何を考えてショートカットを作成したのかはすっかり忘れてしまいました。お役に立てなくてすみません。--emk 2011年2月11日 (金) 06:12 (UTC)[返信]
あら金さんが何を言おうとしてるのかよく分かりませんが、この言葉自体はWP:SPEEDが作られる前から存在し[21][22]、内容としてはかげろんさんの指摘[23]もあり、Akane700さん自身もWP:POINTで触れられている内容で間違い無い[24]と認め、この部分に異論は出ていないので現時点で検証する必要はないと思います。別の意味でしばしば使われるなどの異論(差分)が出てきてからでも遅くはないでしょう。そもそもスラングということですので何を以て正しいのか?検証といえるのか?も分かりませんがCalveroさんの訳された初版[25]にも含まれています。
そしてWP:SPEEDの存在の可否についてはAkane700さんは言及していないようですので「WP:SPEEDがここに存在には内容の記述が必要という利用者:Akane700(ノート / 履歴)さんの主張」がどの発言の何を意味しているのかよく分かりません。正確な差分付き引用をお願いします。
そもそもこの議論は目的の根拠が無いために目的自体が定まっていません。
方針に無い意味不明な論理を持ち出すのは間違っていると思います。--akane700 2011年1月4日 (火) 08:37 (UTC)[26]
では論法を使う事自体の正否が窺われますが、#ウィキペディア用語集に追加する案という節をAkane700さん自身が作られていること[27]からも分かる様に使う事の正否とは別次元の話にもなっています。用語集は用語の説明でしかなく、方針として論法の効果を裏付けるものではありませんから。
「砂上の楼閣」という言葉を使うのであればAkane700さん自身が類推と言われているように、実例の無い個人的な予想、個人の妄想話の類であることを認めていますので、この提案自体が砂上の楼閣であるとも言えます。
意味が分からない方は多くいると類推できます。--akane700 2011年1月26日 (水) 17:22 (UTC) [28]
砂上の楼閣にならないためにはまず具体的にどういう問題が起きていて何を解決しなければならないかが無いといけないと思いますが、架空話以外は全く出ていません。それで各人が想像で発言しなければならないという異常な議論というよりただの談話になっています。
結局、一連の提案が何に起因したかというと私が示した[29]Akane700さんが暴走されて投稿ブロックされるに至った原因の一つになったWikipedia‐ノート:管理者の辞任#妥協案における
Triglavさんも合意形成を無視して動議をだされましたが、私にだけそう仰るのはなぜでしょう?--akane700 2010年6月20日 (日) 05:05 (UTC)[30]
及び海獺さんによって示された[31]初心者とは言い難いAkane700さんの件が関係あるように思います。去年の7月にこれだけヒートアップしていた人が全く関係無しに提案したとか初心者が面食らうのを避けるための提案というにはかなり無理があると思います。
事実誤認という言葉ですがこちらでも、使われていましたが誰がどのような誤認をしているのか差分を用いて言わないと何を言いたいのかよく分からない上に、あら金さん自身が事実誤認しているのではないかといったことにもなってきますので、できる限り差分付きの引用を使って理由をつけて誤認であると言ってください。それが無いと何が誤認なのか伝わりにくく、話が噛み合わなくなりやすいと思います。--Sureturn 2011年2月13日 (日) 03:38 (UTC)[返信]
事実誤認なのは「WP:SPEEDの指し示す内容が、Wikipedia‐ノート:腕ずくで解決しようとしないの文章中にあるということを誰一人確認して合意したことがない」ということです。つまり誰かが確認したというのは差分で示せますが、誰一人確認しなかったというのはすべての履歴が対象です。したがって差分は示す必要はないです。本文とノートとノートのアーカイブ全ての履歴に、内容が存在するという要約欄なり対話なりそんな記録はないということです。そして、リンクを作った「人も覚えていない」といいます。私が虚構をいっているというのは「WP:SPEEDの指し示す内容が存在することを確認した」履歴を示すだけで簡単に崩れます。とりあえず、本文の履歴とノートの履歴を一通り読みなおして、議論がなかったと判断しましたので「なし崩し」はいけないといいました。見落としがあるならば、正式化の前に「本文にWP:SPEEDの指し示す内容が存在する」根拠となる履歴をお示しください(正式化後ではWP:SPEEDの存在が合意に基づくという根拠にはならないですから)。履歴の見落としをご提示いただければ「事実誤認」は撤回します。--あら金 2011年2月13日 (日) 05:54 (UTC)[返信]
あら金さんが誤認だと叫んだところで何がどうなるわけでもないので撤回するしないはどうでもいいんですが、Akane700さんの会話ページの件[32]も含めて誤認という言葉を本来とは違う別の意味で使っているのではないかと思うのです。
誤認という言葉は読んで字のごとく誤って認めることです。ある事を認めた主体とその認識が誤りである根拠という2つをもってその主体が誤認したと言えるわけです。認識するどころか誰も考えていなかった、そこを問題点とは思っていないし争点にもなっていなかったということであれば誤認とは言わないと思います。なので誤認というからには「認めた差分」と「誤りである理由」の2つがあると思います。誰かが合意した結果であると思い込んでいるような差分があるならば誤認という表現は意味があるかもしれませんが、WP:SPEEDの作成に何らかの集団の合意が関係したかどうかというような話も無かったように思います。なので誰も話していなかったことに対して、あら金さんが思い込みだけで誤認と騒いでいるだけに見えるので、誤認しているといいたい人の発言の差分を示してください。これまでの対立点にすらなっていなかった事について、誤認だと言われても何のことかわからないので発言の引用・差分を示してくださいと言っているのです。
単にあら金さんがこれまでとは全く別の切り口について話したいなら、誤認という言い方は日本語としてかなりはずれた表現であろうと思います。単にあら金さんが個人的に望むようなネタを誰も話していなかったというだけと思います。提案以後の会話が、この言葉に力を持たせたわけでも削ったわけでもなく、用語の説明を書くか書かないかという話で落ち着いているので何かが「なし崩し」にされたわけでもないように思います。
合意に基づくかどうかという話をするのであれば、異論が無かった争点になっていなかった部分について確認を取って合意しあう必要が何故あったのか?文書で規定されていることであれば文書を用いて示してください。また方針文書などでリダイレクトの作成に合意が必要だったなら作成者がそれに従わず勝手に作ったなどと述べてください。あら金さんが個人的に必要だったと思っているだけであれば理由をつけて争点になっていない部分もこの場で合意していくべきである必要性を説いてください。
あら金さんについては議論するしないの前に言葉の意味の認識に違いがあり、言葉が通じ合っていないのではないかと思っています。--Sureturn 2011年2月13日 (日) 09:49 (UTC)[返信]
(あまり頻繁に議論すると「Cool down」といって水入りでひどい目に合うので、まあこの程度の頻度でしか返事をしませんがご容赦のほど)まず、勘違いしてほしくないのは、ここはWidipedaの方針・ガイドライン文書ですからSureturnさんと私とで「談合して落としどころを決める」とか「Akane700さんの人格や資質がどうのこうの」とかは、私は議論するつもりもないです。そして、Sureturnさんが理解したくないのは私の責任の範疇にはないです。他人の意見を自分の意見で上書きしたり、定義を変更してもそれはSureturnさんの意見であり、私の意見とは「それはそれ、これはこれ」という独立した意見に過ぎません。Sureturnさんの意見を調伏しようなどという気はこれっぽちもないので、そのままの意見をお持ちいただければ結構です。つまり特に「自分の意見と私の意見比較して批評したり・現代国語を添削としていただかなくても体制に問題はなし」です。Akane700さんの提案をSureturnさんがまとめるというのは「Akane700さんからSureturnさんにまとめの委任があったような記録もないので、かなり「倫理的にいかがなものか」の行動」です。なにをやっておられるのでしょうか? あなたの意見には根拠がちっとも出てこないこないことは「残念」で「遺憾」です。--あら金 2011年2月18日 (金) 12:55 (UTC)[返信]
既に会話の少ないこのページの現状で頻繁な議論と判断されることはあまり無いと思います。私は言葉が噛み合っていないと思うので言葉の意味を噛み合わせるために私は意味と事実の確認を求めています。誤認とは「誤ってそれと認めること。」[33]なので、誤認逮捕であればこちらのように警官が犯人として認めて逮捕し、カメラによりそれは誤りであると分かったというような主体の行動と誤りの理由があって誤認となります。そういう言葉が噛み合っていないと何を言われているのかよく分からないので確認しています。
こちら[34]でも「RfAについて次の問題点があります。」とあら金さんは切り出していますが、WP:RFAen:Wikipedia:Requests for adminshipWikipedia:管理者への立候補)の略で、管理者の立候補の問題点については何も述べられていませんよね。なのであら金さんの使われる言葉とのすれ違いがあると思うので言葉の意味を確認しているわけです。そういうわけであら金さんとの間では、まだ議論と呼べるものには入っていないと考えています。共通の言葉を使って相互に理解しあわないと意見交換もできませんから。
私はAkane700さんの提案をまとめてはいません。私は私の考えを述べているに過ぎません。しかしながらまとめの委任とは何の話でしょうか?Akane700さんには、誰かに何かを委任するような特別な権限は与えられていません。Akane700さんは何の権限も無いごく普通の利用者の一人です。そして自発的に<撤退宣言>[35]をされているので提案者としての立場さえも放棄されているように思いますので、Akane700さんの現時点での意図がこちらの議論に関わる事は無いだろうと思います。撤退された人が何かを委任するというのは無いと思います。
提案者であろうと自由に仕切る権利があるわけではありません。むしろまとめ役というのは意見の対立があったときに公平に両方の意見を聞かなければならないわけですから、意見を言いたい人は難しいように思います。提案者のような立場だとまとめ役は結構難しいと思いますね。反対意見があれば自分の提案を抑えてまとめないと自分有利なまとめになりやすいですから。通常、まとめ役というのは調停のような立場で何か権限が与えられているわけではないと思います。その場の人達が特定の人を信頼してまとめ役をというのならわかりますが、Akane700さんのように何の権限も無い方が誰かに委任という発想自体がおかしいように思います。仮にそういうことがあったとしてもその場の人達がその人はまとめ役として不適当と言えば通らないでしょうから。私はまとめ役をしているつもりはありませんし、私がまとめ役だからとわけの分からない架空の権限を振り回した覚えもありません。むしろまとめ役ではないから自由に発言しているとも言えます。私はできる限り差分やリンクを提示したり、根拠を述べたりしているつもりですが、根拠がちっとも出てこず言ってることも変だという部分があれば差分付きの引用をして指摘していただければと思います。--Sureturn 2011年2月20日 (日) 04:31 (UTC)[返信]
まずSPEEDの解釈に何かしらのコンセンサスがあるという根拠はなく、だれも合意したという履歴は存在しません。(ない履歴はリンクできませんので、あるという証拠で対抗ください。それを執拗に要求するのは悪魔の証明の強要であることを指摘しておきます。)。まず、SEEDという語が「交通違反の抗弁」と関連がありそうだという容易類推はできます。また英語版に「SPEED違反の論理」というページがかつて存在し、今は痕かともなく消滅したという事実はあります。そして日本語版にも「SPEED違反の論理」というページはありません。しかし、「SPEED違反の論理」が「腕ずくで解決しようとしない」と関連があるという検証をしたことがないというのはこのガイドラインの草案を作った私も背番号9氏も記憶がないですし、議論したという記録もないです。議論したという記録もないことに「合意が成立している」というのは事実誤認に過ぎません。
つぎに「SPEED違反の論理」には少なくとも二つの解釈が成立します。ひとつは違反者が「他の人がやっている真似をして何が悪いか」という抗弁と「ほかに違反者がいるのに執行しないのはタイミングの問題に過ぎない」という執行者の抗弁です。まず、「腕ずくで解決しようとしない」というのは執行者である管理者のためのガイドラインではないです。特別なアクセス権を持つ管理者の執行は常に「腕づくでの解決」です。執行者の抗弁についてはここではなく、「管理者マニュアル」で合意されるコミュニティに対して明文化して公開されるべき内容です。したがって、「管理者マニュアル」で議論され必要があれば明文化される問題です。--あら金 2011年2月26日 (土) 02:00 (UTC)[返信]
その「二つの」抗弁の類型があるということをこの本文では何ら言及していないのはこの文書の明らかな瑕疵です。したがって、丁寧に説明する場を作るか、リンクするのをやめるのが妥当です。「ノートでの議論」とは異なり、ウィキペディアコミュニティ全体に影響を与える文書である以上は、一時的にリンクを外して、議論の結果でリンク再生させるというのが「ウィキペディアコミュニティ」に対する誠実であって、「臭いものに蓋をする」が如くの「まとめ」がウィキペディアコミュニティに対して誠実というよりは、議論当事者の都合に過ぎないと考えます。--あら金 2011年2月26日 (土) 02:00 (UTC)[返信]
繰り返しになりますが、私にはあら金さんがこれまでの話とは全く別の話を持ち出しているようにしか見えないのです。私が求めているのはあら金さんが今話そうとしていることについて「合意が成立している」と事実誤認しているのは誰でどの発言(差分)での事なのか?ということを訪ねているのです。事実誤認だというからにはその事実誤認をしたという人が存在するはずですよね。その事実誤認とはどなたに対して向けられている言葉なのでしょうか?そのあたりから分かりませんので差分をお願いしています。
そしてこれまでであれば、ウィキペディア日本語版のローカルなスラングの一つと言われその差分が示されてきたと思いますが、二つの解釈が成立するということであれば、そのあら金さんの主張されるもう一方の解釈での事例(差分)をお願いします。使われておらず、あら金さんが思いついただけということならスラングにもならないと思いますので。その使われ方によっては形態や説明文のあり方は変わると思います。--Sureturn 2011年3月3日 (木) 02:02 (UTC)[返信]

文書の要旨を変更する提案

英文のnutshellは現在、以下のようになっています。

This page in a nutshell: When you have a disagreement with other users, state your point plainly and continue to discuss the matter if necessary. Do not try to win an argument by playing games.

訳すなら「この文書の要旨:他の利用者と意見が異なる場合、必要なら自分の真意を率直に述べ、そのことについて議論を続けてください。不真面目な態度で議論に勝とうとしてはいけません。」といったところでしょうか。現在の「自分の意見が正しいと思っても、何か別の問題を起こしたり破壊行為を行うのは、あなたの意見を示すのに最悪の方法であり、投稿ブロックされる結果になりかねません。腕ずくで解決するよりも誠実な行動で。」より、すべきことがはっきり示されるのでこれに沿って行動していただければ要旨に破壊行為などという不穏当な言葉を用いずとも済みます。--Sweeper tamonten 2011年9月1日 (木) 00:44 (UTC)[返信]

この文書はつまるところそういうものだと解釈できますが、実際のところは「こういう行動はだめですよ」という解説がほとんどですから現在の要旨を支持します。
自分の意見が正しいと思っても、その意見を通すために何か別の問題を起こしてはいけません。
腕ずくで解決するよりも誠実な行動で。
言葉の選択がまずいだけであればこんな感じでどうでしょうか。--NNMM 2011年9月5日 (月) 08:09 (UTC)[返信]
意見を頂き、ありがとうございます。
さて今後の議論のために過去の記録を調べたところ、日本語版では要旨自体の決定についてノートで話し合われた形跡はありません。しかし、Wikipedia‐ノート:腕ずくで解決しようとしない/過去ログ2にあるタイトルの決定に関する「タイトルはどうするのですか?」に参考とすべき内容があるものと考えます。
なお、その中の「タイトルの日本語化を改めて」には今ある案として
  1. .「何か意見があっても、適切な行動で」
  2. .「Wikipediaを混乱させないで」
  3. .「権利行使する前に、まず対話を」
  4. .「主張するよりは、まず対話を」
  5. .「改革を断行するよりは、まず対話を」
  6. .「腕ずくで解決しようとしない」
と対話が候補の三つに示されていることに注目しました。英文の中の「自分の真意を率直に述べ、そのことについて議論を続けてください。」も同じ傾向を示すものと考えています。具体的な手段として対話を求めています。
NNMMさんのコメントでは、実際のところは「こういう行動はだめですよ」という解説がほとんどですから、としているので内容を反映させる中心は「問題を起こすな」ということですね。これに関するものは上記の記録の中にもありました。
--関西オフ会で、このWP:POINTの話も少ししてみました。管理者の方も多かったですが、やはりこの草案の理解は難解とのことでした。タイトルから分からないというところでしたが、Simple English版のタイトル「Do not make problems to solve something (直訳:何かを解決するために、問題を起こすな)」を伝えると、結構納得頂けたようです。(背番号9さん 2008年9月16日 (火) 21:07 (UTC) )--
単純な妨害ではなく、何かを解決する為に問題を起こすなということで、正当な理由があっても問題を起すことは認められない。という点については納得していただけるでしょう。そして、その問題を起こそうとする意欲をどこかに向けることで安全性に厚みを増すべきと考えます。単純に禁止だけを述べると、「ともかくそれをやってみるという誘惑に駆られるかもしれません」とする傾向が心配されることはWikipedia:鼻に豆を詰めないでにあります。手段だけがあっても無害ですが、意欲があれば手段が実行されますので、その意欲が間違った手段に向うより、明示された正当な方向に向うように案内されるべきと考えています。つまり正当な方向である議論や対話を要旨に含めるべきと考えます。
なお、現在のWikipedia:腕ずくで解決しようとしないの目次の内容には節として「解釈の例」、「具体例」、「投稿ブロックの適用に関して」、「関連項目」のよっつから成り立っています。しかし、英語版の内容は導入部とExamples, Important note, See alsoから成り立っています。よって元の和訳がされた英文の内容の一部が他の文書に移管されている可能性を調べようと思います。これは報告まで。--Sweeper tamonten 2011年9月6日 (火) 06:26 (UTC)[返信]
自分の意見が正しいと思っても、その意見を通すために何か別の問題を起こしてはいけません。
自分の意見を率直に述べ、誠実に議論してください。
自分の意見が正しいと思っても、その意見を通すために何か別の問題を起こしてはいけません。
自分の意見を率直に述べて議論するなど誠実に行動してください。
こんなものでしょうか。やれることは議論・対話に限りませんので後者の方がいいかもしれません。--NNMM 2011年9月7日 (水) 12:17 (UTC)[返信]
NNMMさん、私も後者の方がいいと考えます。Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#具体例には15例あり、その良い例として議論・対話の範疇に入らないと考えるものは3例のみでした。3例で求めていたのは「再考する」「出典をみつける」「移動、または新たな項目を作る」という作業です。今後、具体例の内容が加筆されたり、削除されることまで考えれば、文書の要旨では議論・対話を中心とした表現としておけば問題はなく、逆に3例の具体的な内容に言及することは適当ではないと考えます。--Sweeper tamonten 2011年9月8日 (木) 06:36 (UTC)[返信]

一週間待ちましたが他の意見はありませんでした。消極的な合意が得られたと判断し、NNMMさんの文案に基づき、文書の要旨を変更しました。--Sweeper tamonten 2011年9月16日 (金) 01:46 (UTC)[返信]

このページの存在意義について

そもそもWikipediaの編集者全員の合意が得られればこのページは必要ないので、投票をすれば良いと思います。 Wikipediaの編集者全員のノートにこのことを求める文を書くのを手伝って頂けませんか。 --Wa-wa-1992会話2012年6月17日 (日) 10:37 (UTC)[返信]

提案/「いつまでも納得しない」の部分改訂

いつまでも納得しない」の部分改訂を提案します。具体案は次のとおりです。改訂の目的は、これを「主張を否定された側」にも受け容れやすいものにすること、「合意」を優先することを明確にすることです。詳細は後述します。変わる部分に下線を引いてあります。

現在の文(oldid=53107588) 改訂案
いつまでも納得しない

ときに悪意ある編集者や、自説を何とか通したい編集者は、自分の主張や観点が否定された後も ぐだぐだと固執し、いつまでも言い続け、他者の言葉を受け入れたり自らの過ちを認めたりすることを拒否して、いつまでも論争を続けようとします。そして、しばしばこのような編集者は、要点をはっきりさせようとしてなされた、他者のささいな発言を根拠にして、次なる攻撃や妨害的編集を続けようとします。

ウィキペディアは協力的で、善意に基づいた編集、そして合意の上に成り立っています。だからこそ、ある主張をしつづけることが常識的な程度を超え、方針ではこうであると明示されても、あるいは根拠に裏打ちされた意見を熟練した複数の編集者、管理者、調停者から示されても、「納得する」ことを意図的に拒否していることが明らかになった場合、納得の拒絶を継続することは、もはや正当性のある態度、方針に準拠している態度とはいえません。それは、自説を通したいがために合意形成の方針を悪用した、妨害行為です。

いつまでも自説を曲げない

ときに編集者は、「他の議題に移るのが生産的なことだ」とコミュニティにより合意がなされた後も、同じ主張を続けていつまでも論争を続けようとします。

この様な振る舞いは、ウィキペディアを妨害するものです。自身が「正しい意見」を持っていると信じているからといって、その意見をコミュニティに受け入れさせる権利があるわけではありません。

ウィキペディアは協力的で、善意に基づいた編集、そして合意の上に成り立っています。だからこそ、ある主張をしつづけることが常識的な程度を超え、方針ではこうであると明示されても、あるいは根拠に裏打ちされた意見を熟練した複数の編集者、管理者、調停者から示されても、「主張を収める」ことを意図的に拒否していることが明らかになった場合、合意形成の拒絶を継続することは、もはや正当性のある態度、方針に準拠している態度とはいえません。それは、自説を通したいがために合意形成の方針を悪用した、妨害行為です。

改訂の主旨は次の点です。

  • 判断基準を「主張者目線」から「コミュニティ目線」へ移動する。
  • 「悪意」や「攻撃」といった観点をはずす。
  • 「納得」を「自説を曲げない」「合意形成の拒否」に置き換える。

変更後の文のベースは英語版の最新のen:Wikipedia:Disruptive editingと、その訳文であるWikipedia:妨害的編集(提案中)です。Wikipedia:妨害的編集は12月以降議論が停まっていますが、今回はその訳文から一部を導入するものです。全文だと「制裁」に直接言及したり、日本語版にない文書を参照しており、現時点では時期尚早と考え、穏当な一部のみの導入提案としました。

1段落め
  • 大きく変える前半部分について、現在の文案のもとになった古い英文と、いまの英文、それらの訳文を比較のために引用します。(違いを明確にするため、個人的な訳文も併せて書いておきます。)
旧版Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない(oldid=14229128)より 最新の版en:Wikipedia:Disruptive editing(oldid=653339050)より
In some cases, bad-faith editors have perpetuated disputes by sticking to an allegation or viewpoint long after it has been discredited, repeating it almost without end, and refusing to acknowledge others' input or their own error. In some cases,      editors have perpetuated disputes by sticking to an allegation or viewpoint long after the consensus of the community has decided that moving on to other topics would be more productive.
個人的直訳 個人的直訳
ときに悪意ある編集者は、主張や観点が否定されたあとも他者の記述を加えることや自らの間違いを認めるのを拒絶し、自説にしがみついて際限なく繰り返して延々と続ける。 ときに編集者は、コミュニティの合意によって「次の話題に移ることが生産的だ」と決めたあとも、自説にしがみついて際限なく繰り返して延々と続ける。
現在の文書 改訂案
ときに悪意ある編集者や、自説を何とか通したい編集者は、自分の主張や観点が否定された後もぐだぐだと固執し、いつまでも言い続け、他者の言葉を受け入れたり自らの過ちを認めたりすることを拒否して、いつまでも論争を続けようとします。 ときに編集者は、「他の議題に移るのが生産的なことだ」とコミュニティにより合意がなされた後も、同じ主張を続けていつまでも論争を続けようとします。

原文を比べていただくと違いが明確になると思うのですが、いまは「悪意」「自説が否定された」がトリガーになっています。しかし、「俺は正しい・俺はまだ論破されていない・まだ否定されていない・こちらの質問に答えていない・間違っているのはそっちだ」と主張することで、トリガーの発動自体を拒むというケースがあるように思います。トリガー発動条件を「コミュニティの合意」へ移すことで、イニシアチブを「いつまでも納得しない人」からコミュニティの側へ移すことになります。

「ぐだぐだと固執」というような表現はマイルドになります。「他者の言葉を受け入れる・過ちを認める」も関係なくなります。「正しい/間違い」ではなく、合意があるかどうかが基準になります。合意に参加することは「自分が間違っていると認めた」ことになる・「謝罪しなければいけない」、というわけではないです。

2段落め

中段部分はWikipedia:妨害的編集(提案中)からほぼそのまま持ってきています。主語を「利用者」から「自身」へ修正しています。

3段落め

後段部分はほぼ従前のままです。

  • 「納得」を「自説を曲げない」「合意形成の拒否」と言い換えています。
「納得」は内面的ですが、「自説を曲げない」「合意形成の拒否」は外形的です。納得してなくても自説を撤回する・合意形成に参加する、ということを可能にします。この「いつまでも納得しない(Refusal to 'get the point')」はもともと「結論の拒否」と訳されており、2007年に訳語の置き換えが行われ、そのままでした。この訳に異論は出てきませんでしたが、「納得する=自分の間違いを認め、相手の正しさを認める」というニュアンスが、「俺が正しい」と考える人にとっては歩み寄りの障壁になっているようにも思います。そこで「合意形成」とか「主張をおさめる」というようなニュアンスに変えることで、「まだ自分のほうが正しいと思っているけど、みんながいうならしょうがない」ということで合意形成に参加する、ということを促す効果を期待しています。

以上、賛否、修正、ご意見を頂きたく思います。--柒月例祭会話2015年4月19日 (日) 14:53 (UTC)[返信]

  • (賛成)いい変更だと思います。bad-faithを悪意としたのは誤訳でむしろ無礼とか不誠実といった意味だと思います。LTAになってしまっている方々も悪意というよりは、彼等なりの善意でこうした方がいいに違いないという想いが行きすぎて、そうなってしまったということは十分考えられます。同様に、下線がついていませんが「善意に基づいた編集」のgood-faithも善意というよりは礼儀とか誠実さを意味しているように思います。--Sureturn会話2015年4月19日 (日) 15:27 (UTC)[返信]
    • 提案自体は良いと思います。「結論の拒否」を「いつまでも納得しない」に変えたのは私ですが、草案の作業中の一案としての編集ですし、それこそ「納得」という語にこだわるものではありません(ずいぶん昔のことなので何を考えて変えたのか正確には思い出せませんが、おそらく、硬い表現を避けつつ、英語のget the pointのニュアンスを出そうとして「納得」を選んだのだと思います)。ただ、提案された改定案の「ときに編集者は〜論争を続けようとします」は、日本語としてかなり座りがわるいと感じます。「論争を続けようとする編集者がいます」とか、「一部の編集者によりいつまでも論争が続けられることがあります」などのほうが良いのではないでしょうか。もし英語版の完了形のニュアンスを尊重するのであれば、「これまでしばしば〜編集者がみられました」とかも考えられますが、そこまでする必要もないかなと個人的には思います。あと、2段落目と3段落目はやや冗長なので、もう少しコンパクトにまとめられるのでは?個人的には、いきなり「これは妨害だ」と来るよりも、「ウィキペディアは協力的で〜」というのが先にあったほうが、感じがよいかなと思います。また、ここでのfaithは礼儀よりはやはり意図ではないかと思います。誠実というのはよいと思いますが、礼儀を持ちだしてしまうと、論点がずれてしまうように思います。--Aotake会話2015年4月20日 (月) 02:13 (UTC)[返信]
  • コメント 提案自体は悪くはないかなと思いますが,2段落目の振る舞いにつながっていくことを考えれば,改訂案の1段落目は改訂の趣旨に基づいたものとはいえ,あっさりし過ぎです。1段落目については「悪意」あたりの文言の手直しは必要でしょうけども,現状の文面も残していただきたいです。なお,2・3段落目に異存はありません。--かげろん会話2015年4月21日 (火) 01:07 (UTC)[返信]
  • 1週間ほどたちましたが、方向性としては3名の方にご賛同いただけました。ありがとうございます。細かい文言は調整を行いたいと思います。文言の修正案については少しお時間を頂いて案を作成したいと思いますが、その間も引き続きご意見があればいただければと思います。--柒月例祭会話2015年4月28日 (火) 05:51 (UTC)[返信]

第2案(2015.4.28)

  • ひとまず第2案です。現行版と比べるとだいぶ変わりますが、第1案を下敷きにしています。第1案は現行文をあまり変えず・直訳的な感じでしたが、第2案は日本語的なスムーズさを重視しました。「(カッコ)」で括った部分は、冗長さを考えるとなくてもいいかな、と感じた部分です。
第1案 改訂案 その2
|いつまでも自説を曲げない

ときに編集者は、「他の議題に移るのが生産的なことだ」とコミュニティにより合意がなされた後も、同じ主張を続けていつまでも論争を続けようとします。

この様な振る舞いは、ウィキペディアを妨害するものです。自身が「正しい意見」を持っていると信じているからといって、その意見をコミュニティに受け入れさせる権利があるわけではありません。

ウィキペディアは協力的で、善意に基づいた編集、そして合意の上に成り立っています。だからこそ、ある主張をしつづけることが常識的な程度を超え、方針ではこうであると明示されても、あるいは根拠に裏打ちされた意見を熟練した複数の編集者、管理者、調停者から示されても、「主張を収める」ことを意図的に拒否していることが明らかになった場合、合意形成の拒絶を継続することは、もはや正当性のある態度、方針に準拠している態度とはいえません。それは、自説を通したいがために合意形成の方針を悪用した、妨害行為です。

いつまでも自説を曲げない

「他の議題に移るのが生産的なことだ」とコミュニティにより合意がなされた後も、一部の編集者がいつまでも論争を続けようとすることがあります。

ウィキペディアは協力的で、(礼儀正しく、) 誠実な編集、そして合意の上に成り立っています。

自身の意見を「正しい」と信じていても、その意見が必ずコミュニティに受け入れられるとは限りません。そのなかで、(他者のささいな発言を根拠にして次なる攻撃を続けたり、) 自説にしがみついて延々と繰り返すような態度が常識的な程度を超えると、妨害的になります。

方針や根拠を示した複数の熟練した編集者や管理者の仲裁や調停にもかかわらず、「主張を収める」ことを拒否し続けたり、妥協や合意形成を拒絶し続けることは、もはや正当性のある態度(、方針に準拠している態度) とはいえません。自説を通したいがために合意形成の方針を悪用しているとみなされることになります。

賛否、修正、ご意見ををお願い致します。--柒月例祭会話2015年4月28日 (火) 11:29 (UTC)[返信]

  • コメント 概ね賛成いたしますが、4〜5人などある程度の人数ではなく、ほとんどの場合は、一人の人が自説を通そうとする場合だと思いますので、「一部の編集者がいつまでも論争を続けようとすることがあります。」→「いつまでも同じ主張を繰り返して、論争をやめようとしない人がいます。」など、ほとんど一人による議論への固執であるニュアンスに、より近い表現のほうが良いのではないかと思います。--Childofacrow会話2015年5月2日 (土) 09:34 (UTC)[返信]

コメント 少し気になったのが、「常識的な程度を超えると、妨害的になります」の部分です。「常識的な程度」の基準が分からない利用者がいるから延々と自説を通そうとする試みが続くものだと思います。そういった事から「常識的な」を少し明文化しておく必要があるかと思います。また、「Disruptive editing」を「妨害的編集」と訳すのもどうかと思います。「妨害的」というのは完全に悪意がある場合に用いられるべき言葉であり、意図せず妨害行為になってしまった時に使うべき表現ではないです。「非建設的」とした方がマイルドな表現になるのではないでしょうか。

  • 参考までに、以下の文章は英語版において「Disruptive editing」を行った者に対して先ず案内する文章です(「いつまでも自説を曲げない」とは関係がありません)。
Welcome to Wikipedia. At least one of your recent edits did not appear to be constructive and has been reverted or removed. Although everyone is welcome to contribute to Wikipedia, please take some time to familiarise yourself with our policies and guidelines. You can find information about these at the welcome page which also provides further information about contributing constructively to this encyclopedia. If you only meant to make some test edits, please use the sandbox for that. If you think I made a mistake, or if you have any questions, you may leave a message on my talk page. Thank you.
  • 以下の文はそれでも改善しない場合に用いる案内です。
Please refrain from making unconstructive edits to Wikipedia. Your edits appear to be disruptive and have been reverted or removed.
  • If you are engaged in an article content dispute with another editor then please discuss the matter with the editor at their talk page, or the article's talk page. Alternatively you can read Wikipedia's dispute resolution page, and ask for independent help at one of the relevant notice boards.
  • If you are engaged in any other form of dispute that is not covered on the dispute resolution page, please seek assistance at Wikipedia's Administrators' noticeboard/Incidents.
Please ensure you are familiar with Wikipedia's policies and guidelines, and please do not continue to make edits that appear disruptive, until the dispute is resolved through consensus. Continuing to edit disruptively could result in loss of editing privileges. Thank you.

--Infinite0694会話2015年5月2日 (土) 10:57 (UTC)[返信]

コメント まず,1文目に「「他の議題に移るのが生産的なことだ」とコミュニティにより合意がなされた後」となっていますが,いきなり最初からその段階? という点が何でかなあと不思議に思います。改定案の2段落目の,自説が必ず他のウィキペディアンやコミュニティに受け入れられるとは限らないことを最初に持ってきた方がいいのではないでしょうか。その上で,現状の文面の1段落目をベースとして,改定案2案の1段落目を足して問題行為の事例というか系統を示し,こういう行為はウィキペディアの目的を妨げる行為ですよと〆た方が通りがいいと思います。その後,改定案の4段落目はほぼそのまま利用する感じで,再構築した方がいいのではないでしょうか。--かげろん会話2015年5月2日 (土) 14:31 (UTC)[返信]

コメント このままGW開けぐらいまでは、さらにほかの方のご意見も待とうと思いますが、Infinite0694さんのご指摘に関しては、私もなるほどと思いました。

  • 「常識的」というのは扱いにくい表現ですね。「常識」を説明しようとするよりも、「常識」という言い回しを止めるか、別の表現に変えるかしたほうがいいように思います。
  • 「Disruptive」を「妨害的」と訳すのが妥当かどうかはなんとも言えませんが、ウィキペディア内ではぼちぼちみられる訳し方ではあります。おっしゃるように、やってる側は悪意を持って妨害してやれというつもりではないのでしょうけども、コミュニティの側からはもはや妨害にほかならない、ということでしょうね。つまり「Disruptive」と判断する主体は、やってる側ではなくコミュニティの側だということです。「非建設的」というのはいい表現ですね。--柒月例祭会話2015年5月2日 (土) 15:06 (UTC)[返信]

コメント Wikipedia‐ノート:妨害的編集で「Disruptive editing」は「妨害的編集」ではなく「破壊的編集」と訳すべきだと主張していたipです。議論場所は違えど「妨害的」どころか「非建設的」などという超訳にしようという意見が出てきたので、また口を挟ませていただきます。en:Wikipedia:Disruptive editingの冒頭を読んでください。曰く「This page in a nutshell: Disruptive editors may be blocked or banned indefinitely.」だそうです。en-0なりに訳してみますと、「破壊的な編集をするとブロックされるぞ」、となります。まあ破壊なんかしたらブロックされてもしょうがないですね。次に日本語版のWikipedia:妨害的編集(提案中)も見てみましょうか。「この文書の要旨:妨害的編集を行う者は無期限のブロックや追放の対象となり得ます。」だそうです。なんだかよくわからないけど日本語版では妨害したらブロックされちゃうそうです。怖いですねー。まだ提案中でよかった。で、今度はこれを「非建設的な行為をすると無期限のブロックや追放の対象となり得ます。」と書きかえて正式な方針にしてみましょうか? ますますよくわからなくなったけど非建設的だと判断されたらブロックされちゃうことに! うわ、もしかすると私なんかはブロック対象!?

とはいえ。「非建設的」だの「妨害的」だのでブロックできたら、すごく「楽」になるのは事実です。たとえば、定期的に現れる、井戸端やコメント依頼で上から目線で語るだけの利用者たちとか。問題を解決する気などなく、ただ他の利用者を罵倒し、自分のちっぽけな自尊心を満足させるためだけにコメントする連中の行為は、まさに「非建設的な行為」そのもの。他にも、プロジェクトで合意されている基準を守らず速報的に立項する利用者とか、出典を付けずに好き放題書き逃げしていく利用者とか、注意されたら次々とアカウントを乗り換えていく確信犯とか、無責任なこのipとか、後始末をさせられる方からすれば、まさに「妨害的編集」でしょう。連中をまとめてブロックできればすごく「楽」ですよね。でもこの連中が「破壊的」かというと微妙なところです。なので現状ではコメント依頼なんかの面倒な手順を踏まないと追い出せない。日ごろから問題利用者の対処に悩まされている執筆者の皆様にはご愁傷様です、としか。「楽」をさせてあげたいなあとは思うところです。

要するに。日本語版全体に影響が及びかねないので慎重にお願いします、ということです。多数の利用者の合意で「非建設的」や「妨害的」が採用されるなら、いいんです。--210.197.220.22 2015年5月3日 (日) 14:41 (UTC)修正--210.197.220.22 2015年5月3日 (日) 15:51 (UTC)[返信]

コメント まず、Wikipedia‐ノート:腕ずくで解決しようとしないにおいては「非建設的」とした方がマイルドな表現になるのではないかという提案であり、Wikipedia:妨害的編集全般に「非建設的」を適応するべきだとは思いません。実際、「破壊的編集」は「荒らし/Vandalism」の意味も含まれています。というのも、日本語版では考えられないことかもしれませんが、英語版では「荒らし=破壊的」[36][37][38][39]のような行為が、ひどい時では数秒に1回の割合で発生し、基本的に4回繰り返すと管理者の裁量で投稿ブロックされます(項目の除去も含める)。また、「Not to be confused with Wikipedia:Vandalism.」と書かれており、その中に「破壊的」という言葉が出てきています。
良い機会なので(IP氏を批判してるつもりは全く無いです)これらについて例え話を用いて説明させて頂きます。上のIP氏が言う「で、今度はこれを…正式な方針にしてみましょうか?」の部分は本項目のWikipedia:腕ずくで解決しようとしない#具体例に抵触しているような感じがします。さらに、これに対して、私が「では、訳として『非建設的』としかならないような英語にすれば良いのなら、英語版で議論しガイドラインを変えてきます。そしたら翻訳として『非建設的』で問題ないでしょ? 他の表現は誤訳。よって方針の悪用とみなし反対する人には投稿ブロックを依頼します(WP:悪用)」とコメントしたらどうでしょうか。これは「破壊的」にあたるのでしょうか。恐らく、グレーゾーンですが議論としては悪くはないです。しかし、このような「非建設的」な議論を続けていたら合意形成されるものもされなくなるのではないかと思われます。もしかすると傍から見たら「茶番」としか思われなく、コミュニティ全体のやる気を削ぐ行為に繋がりかねません。また、議論が紛糾し、仲裁に入られた他の利用者に「妨害行為」だと言われても恐らく当事者たちは「ウィキペディアのため思ってやっている行為」であると主張することでしょう(破壊活動が目的なら、わざわざ英語版まで赴いてガイドラインを変えたりしようとはしないでしょう)。Wikipedia:腕ずくで解決しようとしないの「Disruptive editing」はそういう事を言わんとしているのだと思います(まあ、独自解釈として聞き流してください)。
最後に、こちらの主張としては無理して翻訳にこだわるのではなく、臨機応変に語句を選んで使ったほうが良いのではないかと思います。--Infinite0694会話2015年5月3日 (日) 16:40 (UTC)[返信]
コメントノー文案なので茶々入れみたいになってしまうのですが………
自身の意見を「正しい」と信じていても、その意見が必ずコミュニティに受け入れられるとは限りません。
どうも私の経験から、この「信じて」いる人の中には、それまでの議論の中で「他の議論参加者が論点回避をしたり揚げ足を取ったり発言を曲解したり話を無視したりしている(=誰も真面目に話を聞いてくれない)」と認識しているケースが何割かを占めているように思えます。なのでこの部分の後半(と次の文)が、「いつまでも駄々捏ねてんじゃねぇ」という言葉と共に此処へのリンクを提示された時に、その「信じている人」が状況を理解し建設的な行動を執れるようになる文面であったら嬉しいなぁ、と思います。以前からそうでしたがこの部分の内容はつまり、「皆はお前の意見を気に入らないと思っているんだから黙れよ」なわけですし、酷い言い方をすれば「多数派に従え」なわけですから、「正しいと信じている人」は余計依怙地になるんじゃないかと。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年5月4日 (月) 15:28 (UTC)[返信]

第3案(2015.5.12)

  • ひとまず予定していましたGWが終わりました。以前より幅の広い意見をいただけたように思います。
基本的な考え方として最初に示しましたように、この文書は「(一人が主張する)正しさ」よりも「コミュニティの合意」を重視しましょうという考えに基づいています。
今回の提案は「自分はこっちのほうが正しいと今でも思うが、合意があるならそれに従う」という選択肢を示すもので、言ってみれば「名誉ある退路」というようなものを用意してあげる、というようなものだと考えています。合意に従うことが「自説が正しくない/間違っていることを認めた」というわけではないよ、という感じです。
「こうするべき」というポジティブな文書はWikipedia:合意形成です。この文書はWikipedia:腕ずくで解決しようとしないという「べからず集」なので、「こういうのはダメよ」という表現や文意に傾くのは自然な成り行きでしょう。その中でも「こうするべき」という観点を盛り込みました
第3案では「disruptive」(「破壊的」「妨害的」)という表現を避けました。「生産的」・「建設的」に対する「非建設的」・「非生産的」という表現にとどめています。一般に「非生産的」「非建設的」という言葉にはネガティブな(建設的じゃない、よくない、悪い)という意味があるように思いますが、字面からいけばこんな感じになるはずです。
いきすぎると「合意形成の方針の悪用」とみられる、というのにとどめました。
  • ご意見をお願い致します。
建設的
よい行動
非建設的
ニュートラル 破壊的
ダメな行動
非破壊的

「常識的な程度を超えると」とかいろいろな表現はありますが、「建設的ではない」のが行き過ぎると「破壊的・妨害的」(disruptive)に至るわけで、IPさんが心配されているように、非建設的だと即ブロック、というようなものでもないと考えます。

改訂案 その3
いつまでも自説を曲げない

自身の意見が「正しい」と確信があったとしても、その意見が常に必ずコミュニティに受け入れられるとは限りません。

自説を何とか通そうとして、競合する観点の受け入れを一切拒んだり、同じ主張を何度も繰り返したり、他者を攻撃したり、論争を蒸し返そうとするのは、建設的とはいえません。

ウィキペディアは共同作業です。協力的誠実な編集、そして合意の上に成り立っていることを忘れないで下さい。論争を解決して合意をはかるためには、他者の意見を汲んだり、時には譲歩や妥協も必要です。合意を形成するために譲歩や妥協をすることは、その人の主張が「正しくない」「間違っている」と決めつけるものではありません。(Wikipedia:論争の解決

これに対し、「他の議題に移るのが生産的なことだ」というコミュニティの合意にもかかわらず、自説にこだわって「正しさ」を主張したり、一歩も譲らない姿勢をとっていつまでも妥協や合意形成を拒絶し続けることは、非生産的とみなされます。

方針や根拠を示した複数の熟練した編集者や管理者の仲裁や調停にもかかわらず、「主張を収める」ことを拒否し続けたり、コミュニティの合意を否定し続けることは、もはや正当性のある態度とはいえません。自説を通したいがために合意形成の方針を悪用しているとみなされることになります。

--柒月例祭会話2015年5月12日 (火) 09:01 (UTC)[返信]

  • コメント だいぶいい感じになってきたと思います。文面のブラッシュアップに関することでは,「たり」を使うのであれば他の「たり」を使っていないところも「たり」を使用して体裁を揃えた方がいいでしょう。あと,3段落目についてですが,「他者の意見を汲むことや、譲歩や妥協も時には」とした方がいいかなと。それと,「(Wikipedia:論争の解決)」を句点の前に移動して「(Wikipedia:論争の解決も参照)」と変えるぐらいでしょうかね。4段落目の「これに対し」というところだけがちょっと違和感を感じます(「これ」は自説を曲げないことに対応しているのだと思いますが)。そういう意味では4段落目は次ぐらいの感じでいいかもしれません。

「中には、「他の議題に移るのが生産的なことだ」というコミュニティの合意が形成されたにもかかわらず、自説にこだわって「正しさ」を主張したり、いつまでも譲歩や妥協・合意形成を拒絶し続けたりする利用者もいますが、こういう利用者の態度は非生産的とみなされます。」--かげろん会話2015年5月12日 (火) 10:24 (UTC)[返信]

  • コメント 既に入れた茶々を除けば、基本かげろん氏と同意見です。異論としては「(Wikipedia:論争の解決も参照)」のある場所は「合意を形成するために譲歩や妥協をすること」の次、「は、」の前が良いかな、と思う程度です。
気になる点としては、第一段落の「「正しい」と確信があったとしても」という表現が多分に第三者視点であり、「俺は「正しいと確信している」のではない、俺の主張は誰がどう見ても客観的に正しいのだ」と思い込んでいる問題行為者が「俺の場合には当てはまらない文書だ」と誤認するかも知れない点があります。口が悪い私からすると、第一段落は「どんなに正しい意見であっても、それが常に必ずコミュニティに受け入れられるとは限りません。」ぐらいの勢いでも良いのではないかと考えます。そうするなら第二段落の頭も「自説を何とか通そうとして」よりは「正しいというだけの理由で」のようにしないとテンションが合わなくなってしまいますが。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年5月12日 (火) 11:18 (UTC)[返信]