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「戸川安利」の版間の差分

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[[庭瀬藩]]主・[[戸川達安]]の四男として生まれる。母は[[岡家利|岡元忠]]の娘。妻は[[石河貞政]]の娘、[[宮城和甫]]の娘。子に[[戸川安廣]]、[[戸川安村]]、[[岡部雄勝]]([[岡部雄救]]養子)、娘([[石尾氏一]]妻)。
[[庭瀬藩]]主・[[戸川達安]]の四男として生まれる。母は[[岡家利|岡元忠]]の娘。妻は[[石河貞政]]の娘、[[宮城和甫]]の娘。子に[[戸川安廣]]、[[戸川安村]]、[[岡部雄勝]]([[岡部雄救]]養子)、娘([[石尾氏一]]妻)。


[[寛永]]5年([[1628年]])2月、父の跡を継いだ兄・[[戸川正安]]によって[[帯江]]([[岡山県]][[倉敷市]])に3300石を分知され旗本となる。領内の仕置は安利が少年のため、庭瀬藩から遣わされた[[岸常右衛門]](のちの[[江戸]][[家老]])たちを中心にして行わせた。
[[寛永]]5年([[1628年]])2月、父の跡を継いだ兄・[[戸川正安]]によって[[帯江地区]]([[岡山県]][[倉敷市]])に3300石を分知され旗本となる。領内の仕置は安利が少年のため、庭瀬藩から遣わされた[[岸常右衛門]](のちの[[江戸]][[家老]])たちを中心にして行わせた。


[[承応]]元年([[1652年]])収入の増備のため二日市村の九郎右衛門に[[新田開発]](亀山新田)をさせる。
[[承応]]元年([[1652年]])収入の増備のため二日市村の九郎右衛門に[[新田開発]](亀山新田)をさせる。

2024年4月15日 (月) 22:27時点における最新版

戸川 安利(とがわ やすとし、元和2年(1616年) - 寛文4年5月3日1664年5月28日)は、江戸時代前期の幕臣旗本寄合)・書院番東海寺修補奉行。通称は平九郎、のち主膳、平右衛門など。

庭瀬藩主・戸川達安の四男として生まれる。母は岡元忠の娘。妻は石河貞政の娘、宮城和甫の娘。子に戸川安廣戸川安村岡部雄勝岡部雄救養子)、娘(石尾氏一妻)。

寛永5年(1628年)2月、父の跡を継いだ兄・戸川正安によって帯江地区岡山県倉敷市)に3300石を分知され旗本となる。領内の仕置は安利が少年のため、庭瀬藩から遣わされた岸常右衛門(のちの江戸家老)たちを中心にして行わせた。

承応元年(1652年)収入の増備のため二日市村の九郎右衛門に新田開発(亀山新田)をさせる。

寛文4年(1664年)5月3日没。跡目は子の安廣が継いだ。


先代
帯江戸川家当主
初代:1628年 - 1664年
次代
戸川安廣