戸川安村

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戸川 安村(とがわ やすむら、万治元年(1658年) - 享保14年4月30日1729年5月27日)は、江戸時代中期の幕臣旗本)。知行3000。初名は安親。通称は犬之助、のち左門、五左衛門など。

戸川安利の子として生まれる。子に戸川安澄、養子に戸川安永戸川安勝の子)、戸川達作戸川達富五男)、戸川村由堀利雄四男)、養女(永井直起娘、戸川村由室)。

寛文4年(1664年)12月、兄・安廣より東庄村(岡山県倉敷市)の一部300石の分知を受ける。

宝永6年(1709年)兄の死により帯江戸川家の家督を相続したが、東庄村の領地は幕府収公された。

安村は父や兄と異なり、新田開発をせず領地の生産性の向上に目を向けたが、困難を極めた。父や兄の新田開発は遠浅干潟児島湾)を干拓したものであるため、実際に作物が収穫出来るまで時間がかかる。特に、兄が宝永4年(1707年)に開発した沖新田(倉敷市茶屋町)の知行地では年貢が納められる状態になるのに、安村の死の2年後の享保16年(1731年)までかかっている。

江戸では、使番先弓頭などを歴任した。

享保14年(1729年)4月30日没。跡目は養子の村由が継いだ。

注釈・出典[編集]

先代
戸川安廣
帯江戸川家当主
3代:1709年 - 1729年
次代
戸川村由