利用者‐会話:逃亡者
屋島の禿狸の改名要望とお礼
はじめまして。二年ほど前から地域住民で「屋島」の改訂に取り組んでいます。まだまだ未完成の状態です。妖怪愛好者を除いて、地域住民は頭書の記事名が、「屋島太三郎狸」又は「太三郎狸」でないことに、違和感を持っています。改名を提案いたしますので、よろしくお取り計らいください。誠に勝手ながら改名の要望理由は、屋島のノートの「太三郎狸の解説に関して」に詳述していますので、ご一読ください。また、「屋島の禿狸」のノートも、ご一読賜り度。よろしく取り計いの程、お願い申しあげます。--やしまのお城(会話)--やしまのお城(会話) 2015年6月27日 (土) 14:46 (UTC)
- ご連絡ありがとうございます。記事名の改名提案につきましては、Wikipedia:ページの改名をご一読ください。--逃亡者(会話) 2015年6月27日 (土) 15:03 (UTC)
- 屋島太三郎狸への改名要望を対処いただきました事、誠に有難う御座いました。厚くお礼申しあげます。--やしまのお城(会話) 2015年7月21日 (火) 02:22 (UTC)
- 利用者の投稿記録を拝読しました。改名のために、多数の項目の改訂が必要で有った事を知りました。お疲れ様でした。改めて感謝です。貴殿の益々のご活躍を祈念いたします。--やしまのお城(会話) 2015年7月21日 (火) 03:11 (UTC)
聖闘士星矢の登場人物について
- 現在、聖闘士星矢の登場人物についてノート:聖闘士星矢の登場人物にて議論をしています。よろしければ、ご参加ください。WEEKLY JUMP R(会話) 2015年8月21日 (金) 11:18 (UTC)
- ノート:聖闘士星矢の登場人物#整理・一部転記にてお返事差し上げました。--逃亡者(会話) 2015年8月22日 (土) 01:46 (UTC)
ご相談
逃亡者さん、はじめましてさかおりと申します。突然の会話ページへの書き込み失礼致します。実は折り入ってご相談させていただきたいことがございます。不躾なお願いで恐縮ですがWikiメールの受信設定を一時的に有効にしていただけないでしょうか。ご多忙かと存じますがよろしくお願いいたします。--さかおり(会話) 2015年10月8日 (木) 16:15 (UTC)
- はじめまして。ウィキメールはまったく利用したことがありませんもので、個人設定→利用者情報→メールの設定→他の利用者からのメールを受け取る、でよろしいでしょうか? ためしに「この利用者にメールを送信」を用いたところ、自分宛てにメールが届いたので、恐らくはこれで良いかと思いますが…… ご相談内容に助力できるかどうか自信はありませんが、どうかよろしくお願いいたします。--逃亡者(会話) 2015年10月8日 (木) 20:06 (UTC)
- ありがとうございます。メール設定確認できました。お手数をお掛けいたしますが、よろしくお願いいたします。--さかおり(会話) 2015年10月9日 (金) 01:43 (UTC)
年 ウィキメディア財団事務長採用に関する コミュニティアンケート
ウィキメディア財団の理事会は、財団の次期事務長の選出を一任するための委員会を設立しました。そして、私たち委員会の最初の任務の一つに、事務長の職務内容の記述があり、現在、ウィキメディアのコミュニティから意見を募っています。この簡単なアンケートにご協力いただくことで、私たちはコミュニティやスタッフのウィキメディア財団の事務長に対する期待をさらに理解できると考えています。 ご協力いただきましたこと、重ねてお礼申し上げます。
- アンケート (Qualtrics)
ウィキメディア財団事務長採用 運営委員会 via MediaWiki message delivery(会話) 2016年6月1日 (水) 22:10 (UTC)
こんにちは
こんにちは、あなたは私がこの記事を向上させることができます。感謝: カタリーナライルケアリー.--83.49.168.104 2016年6月23日 (木) 11:00 (UTC)
お詫びいたします
既に当該ノートをご覧になっているかもしれませんが、この度は折角執筆頂いた記事に対して不躾な発言をしてしまい、申し訳ありません。念のため、こちらでもご連絡を差し上げました。--Fusianasan1350(会話) 2016年11月26日 (土) 03:25 (UTC)
- わざわざ会話ページまでお越し頂き恐縮しております。あちらのノートにも書きましたが、自身の気持ちを引き締め直す意味で、今回のFusianasan1350さんのご指摘には感謝しております。ありがとうございました。--逃亡者(会話) 2016年11月26日 (土) 04:03 (UTC)
マジムン
会話ページに昔の話ですみません。Category:テンプレート呼び出しで引数が重複しているページを修正しておりますが、対処できないものは、加筆者の方に御願いしております。さて、マジムンの[1]この編集で「Harvnb|今野|1981|p=どこ|p=171」の箇所の「p」が2重に指定されており、今も修正されていません。御忘れでなければ修正を御願い致します。なお、Category:テンプレート呼び出しで引数が重複しているページに400記事ほど、まだ残っておりますが、もし同様のものがあれば修正宜しく御願い致します。--JapaneseA(会話) 2017年6月20日 (火) 08:18 (UTC)
- 申し訳ありません。先ほど修正しました(リンク切れや巻数未記入などの誤りもあったので、そちらも合せて)。お教えいただいたカテゴリも拝見しましたが、私が携わった記事はありませんでした。JapaneseAさんのような方がすでに草取りしてくださったお陰かもしれませんが……ご指摘ありがとうございました。--逃亡者(会話) 2017年6月20日 (火) 10:19 (UTC)
- 迅速な御対応、大変感謝致します。本来は執筆者に気づかれずに草を抜くのが醍醐味なのですが、力量不足ゆえ、御手数をかけました。今後とも宜しく御願い致します。--JapaneseA(会話) 2017年6月20日 (火) 13:53 (UTC)
感謝
こんにちは、初めまして、遅れましたが先日のこの編集ありがとうございました。助かりました^_^--道産子男子(会話) 2017年7月25日 (火) 06:30 (UTC)
- 初めまして。こちらこそ、わざわざ会話ページにお越しくださってのご丁寧な挨拶、ありがとうございます。竹野留里さんは以前テレビで見て記憶に残っており、記事がないかと見てみたところ、危うく編集合戦に陥りそうでしたので、運良く見つけることのできた情報を書き加えさせていただきました。お役に立てたようでしたら、私も嬉しく思います。--逃亡者(会話) 2017年7月25日 (火) 07:05 (UTC)
屋島陸上競技場の改名支援の要望の件
御無沙汰しています。三年前、「屋島太三郎狸」の関連の改名作業をしていただき、有難うございました。その後、屋島・屋嶋城に続いて、15項目ほどの大改訂に取り組み、現在に至っています。お陰様で投稿には慣れましたが、他の事柄は未熟な状況のままです。この度、「屋島陸上競技場」の大改訂を完了しました。しかし、「屋島競技場」への改名が未処理のままです。「屋島陸上競技場」のノートに目を通して頂き、改名作業の支援を賜わりたく。ご多忙の事と拝察いたしますが、宜しくお取り計らいの程、お願い申し上げます。--やしまのお城(会話) 2018年2月6日 (火) 09:19 (UTC)
- 高松市立屋島陸上競技場ですね。該当記事に関する知識不足につき、申し訳ありませんがお力添えできかねます。
- 太三郎狸は、別件で興味を持って執筆したものであり、私は屋島や高松市自体には特に興味を持っておらず、大した知識も持ち合わせておりません。一応、ノート:高松市立屋島陸上競技場も拝見しましたが、どの記事名が良いか判断もつきませんし、改名のための判断材料としてどんな資料を調査すれば良いかの検討すらつかないといった有様です。このような門外漢ですので、改名作業や議論は遠慮させて頂きます。ご理解頂きたく思います。
- ノート:高松市立屋島陸上競技場でも指摘されており、私も以前申しましたが、改名手続についてはWikipedia:ページの改名をご一読くださいますよう、お願いいたします。--逃亡者(会話) 2018年2月6日 (火) 10:55 (UTC)
エラー修正の御願い
ピアソン夫妻。「廃娼運動(北見)」節が丸ごと除去されており、エラーになっているので修正御願いします。工事中テンプレも貼られていないので、ミスなのか意図的なものなのか判断つきかねたので御願いに参りました。--JapaneseA(会話) 2019年4月10日 (水) 11:44 (UTC)
- 申し訳ありません、意図的なものではなく編集の誤りです。さきほど修正いたしました。ご指摘ありがとうございました。--逃亡者(会話) 2019年4月10日 (水) 11:54 (UTC)
感謝賞受賞のお知らせ
2019年4-6月期の感謝賞において、逃亡者さんへ感謝の言葉が寄せられ、感謝賞を受賞されましたのでお知らせいたします。寄せられた推薦と感謝の言葉は次のとおりです:
— Wikipedia:感謝賞/2019年4-6月期
- totti(会話): 長年の優れた記事の執筆に感謝して。過去に妖怪記事や駄菓子記事の執筆について感謝賞で投票・推薦させて頂いていたんですが、最近はピアソン夫妻、船山春子など伝記を主に執筆されており、その執筆ジャンルの広さにも驚かされます。またその合間を縫うように(?)下駄占い、日本うんこ学会、まぼろし博覧会、じゃない方芸人などのユニークな題材も執筆されており、いつもとても楽しく読ませて頂いています。
- 桜国の竜(会話): 原爆に遭った少女の話の立項や地球の秘密への加筆といった、漫画記事に対する執筆活動に感謝して。両記事とも「作風・テーマ」「制作背景」「社会的評価」といった部分の記述が充実しており、その質の高さに敬服しております。
- Assemblykinematics(会話):多方面で記事を執筆されるとともに、非常に充実した人物記事も多く手掛けられおり、感服した次第です。何かの折にブログを拝見させていただきましたが、他の編集者の方との協調や敬意が記されており、感銘を受けました。この場を借りて感謝申し上げます……。
次のテキストを利用者ページにコピーしていただければ、感謝賞受賞のユーザーボックスを置くこともできます。よろしければどうぞ。{{Wikipedia:感謝賞/受賞者用ユーザーボックス|20xx|xx}}
これからのますますのご活躍を祈念いたします。--Yapparina(会話) 2019年7月1日 (月) 09:17 (UTC)
- お知らせいただき、ありがとうございます。受賞できまして光栄です。これを励みに、さらに執筆に努力する所存です。--逃亡者(会話) 2019年7月1日 (月) 10:31 (UTC)
定期刊行物の参照IDについて
こんにちは。精力的な執筆活動お疲れ様です。以下述べることは、Wikipedia日本語版の何らかの方針に抵触することではなく、正直言って個人の好みというレベルに過ぎないことかもしれませんが、ちょっと気になったことを一つだけ。
逃亡者さんは、出典が新聞記事である場合の脚注ID(<ref name="***">
の"***"の部分)を付ける際に、(1)「朝日」「日刊」などのように新聞名のみ、(2)または「読売04」のような新聞名と発行年の組み合わせ、(3)または子ども食堂に見られるように執筆記者名などを使用されています。しかし、こういうIDのつけ方は長期的な観点で考えると大いに問題があります。例えば、その後の調査で、過去の新聞記事の中にWikipediaには書かれていないが加筆すべき価値のある記事を見つけたのでその記事を出典として加筆する場合、(1),(2)の方式ではIDが既述の別の出典に使われているものと重複してしまう可能性は非常に高いと考えられます。(3)でも、掲載時期が近くかつジャンルが同じ記事であれば同じ記者が執筆している可能性は高いでしょう。過去だけでなく将来的にも、逃亡者さんが執筆された多くの記事(人物系以外)では、その後の状況変化など追加加筆すべきことも少なくないでしょうし、そういう新しい事実の加筆も新聞報道によるところが多いでしょう。その場合はなおさらID重複の可能性は高いと思われます。もちろんiDが重複したら、新しい新聞記事のみ年号をつけるなり通し番号を振るなりの方法でも対処できますが、内容が増えると修正の際に該当箇所を探すのが困難になるなどの問題があります。
私が執筆の際に使っている方式ですが、新聞や一般週刊誌の記事を参照する場合の脚注ID(および書誌情報のID)は「誌名+発行日(のYYMMDD表示)」の形式にすることをお勧めします。たとえば「朝日」ではなく「朝日新聞19960504」などように。朝刊夕刊の区別や、同じ版から複数の別々のページを参照する場合は「朝日新聞19960504m」「朝日新聞19960504m_p15」などとして区別します。IDが長くなって煩雑になるという欠点はありますが、記事が長くなった際に、目的の脚注を探すのが容易になります。また、すでにIDを振って参照されている新聞記事の内容を、後の加筆で他の場所からも参照する必要が生じた場合にも、(1),(2),(3)の方式だと、「この記事のIDは何だったっけ」と他の参照箇所をいちいち探さなくてはなりませんが、この形式なら、その参照箇所に機械的に<ref name="朝日新聞YYYMMDD" / >
と書くだけで済みます。こういうことは、初版執筆者自身が加筆するなら(自分が覚えていれば)どうでもいいことかもしれませんが、他の編集者が加筆する場合にこの手間の差は大きいです。
もちろん、これはあくまで私の「お勧め」であり、そういう形式を強要するわけではなく(強要する根拠もなく)、採用されなくても構わないのですが、上述のような理由により、今後のWikipedia記事のメンテナンスという観点からご一考いただけると幸いです。--Loasa(会話) 2019年10月12日 (土) 02:31 (UTC)
- ご助言ありがとうございます。折しも現在作成中の記事にて、過去の自分の記事に出典に用いた資料を使い回そうとし、脚注IDで混乱していたところでした。大変助かりました。今度の参考にさせていただきたく思います。--逃亡者(会話) 2019年10月12日 (土) 07:13 (UTC)
岡田健蔵の脚注
恐れ入ります、記事「岡田健蔵」の立項者・主執筆者が逃亡者様のようでしたので、連絡させていただきます。
記事を拝見していて気が付いたのですが、いくつかの脚注で参考文献へのリンクが適切でないところが見受けられました(SfnやHarvnbのミス?)。
- 佐藤 2003, pp. 448-468(現時点の版で出典の脚注[34])
- 宮崎 1956, pp. 69-74(現時点の版で注釈の脚注[* 7])
前者は 佐藤 1957 か 藤島 2003 の間違いと思われましたが、文献がないと判別できませんでした。後者も 宮崎 1960 の間違いと推測されましたが、1956年に該当する文献が複数あってそちらへの参照であった可能性もあり、こちらでは手を付けておりません。
新しい記事の執筆などでご多忙とは思いますが、上記の箇所について修正いただけると幸いです。取り急ぎ、要件のみにて失礼申し上げます……。--Assemblykinematics(会話) 2019年10月16日 (水) 19:25 (UTC)
- ご指摘ありがとうございます。誤りの件、申し訳有りません。前者は「藤島 2003」ですと『北の文庫』第34号の記事「岡田健蔵 図書館への執念」になりますが、CiNiiによりますと、この記事は頁範囲が4-8頁、現在の脚注が「佐藤 2003, pp. 448-468」ですので、恐らく「佐藤 1957」即ち『斉藤與一郎伝』と思われます。正しい脚注をご推測いただき、非常に助かりました。新記事執筆以前に、本業の多忙のために記事執筆の時間もなかなか取れずにいる状況ですが、できるだけ早く図書館へ行って確認をとり、修正する所存でおります。よろしくお願いいたします。--逃亡者(会話) 2019年10月17日 (木) 03:02 (UTC)
- 幸い本日に図書館へ行く時間が確保でき、修正が完了しました(他にもこの会話ページの上方でのご助言や、他の微修正も合わせて)。前者「佐藤 2003」はご推察の通り「佐藤 1957」でした。「宮崎 1956」は、参考文献節にあります1956年の雑誌『海峡』収録の宮崎郁雨氏による記事「雪の細道の追憶」を指すところが、リンク先であるTemplate:Cite journal内の著者の姓「宮崎」を「間宮」と誤っていたためにリンク切れになっていました。同誌には宮崎郁雨氏と間宮不二雄が記事を寄稿されており、双方とも本記事の出典に用いたため、混同してしまったようです。
- 本記事は私の書いたものの中でも長い方で、修正はなかなか大変だったところが、修正内容をご推察いただいたおかげで、再調査が非常に捗りました。改めまして、ありがとうございました。--逃亡者(会話) 2019年10月19日 (土) 09:19 (UTC)
- 早速ご対応いただき、ありがとうございました。また、早々に一度お返事いただいたにも関わらず、反応できず恐れ入ります……。また、良質な記事の人物記事を参考にしようと眺めていたところ、たまたま見つけたので指摘させていただきましたが、要件のみの書き込みで失礼いたしました(以前に感謝賞のお礼メッセージをいただいていましたが、何もお返事しないままで申し訳なく思っていた次第です……)。いつも高品質の記事を書かれていて感服しておりましたが、返信のタイミングや報告の文章を見て、改めて逃亡者様の仕事力?に感服した次第です。自分は近日中にウィキブレイクに入りますが、逃亡者様を見習って現実世界での執筆作業に精進したいと思います。取り急ぎ、御礼まで……。--Assemblykinematics(会話) 2019年10月19日 (土) 13:38 (UTC)
渋谷黎子に加筆しました
はじめまして、Omotechoと申します。さて早速なのですがこちらの記事ではご労作に感服しました。読む楽しさに釣られ、細かい点なのですが、文中で国許にこの本を読んだらどうかと全集などを贈ったところに感じるものがあります。
そこでほとんど知識がないので、1930年代の書籍であればオンラインで読めないものかと思い、Ciniiと国会図書館オンライン検索で調べました。「関連文献」はその結果から各地の図書館経由で入手できるだろう文献を記したものです。
前者は本題とは離れますし、また「関連項目」は本文中から拾いましたが、一般読者の目で選んでおり、やはり文脈から外れていたらご迷惑かもしれません。果たして内容が正しいかどうかおぼつかないのですが、まずはお知らせまで申します。--Omotecho(会話) 2020年1月5日 (日) 10:20 (UTC)二伸、英語版プロジェクトの1月のテーマであがったことから記事を拝読したのでした。単純にウィキデータの検索から拾ったのかもしれませんが、なんだか誇らしく感じます。お邪魔しました。
- はじめまして。ノート:渋谷黎子にてご報告いただけましたので、同ノートにて返信させていただきました。--逃亡者(会話) 2020年1月6日 (月) 02:42 (UTC)
お礼申し上げます
Wikipedia:削除依頼/瑞無るくで、私の気持ちにご配慮いただきありがとうございました。被執筆者の意見が議論に影響を与えるべきではない、との観点から意見させていただきましたが確かにご指摘のように「気に病んで」いた部分は多少なりともあります。あくまで報告の形でいただいたので、「議論を惑わせ」るものでもないでしょう。もし私の意見が逃亡者さんを責めるように映ったなら、誤解を解かせて頂きたいです。そもそも削除依頼文にしては私情らしきものを含みすぎたかなと後から思ったのです。わざわざ配慮くださる優しい方もいるのだな、と少し嬉しく思ってるくらいです。ありがとうございました。--しんぎんぐきゃっと(会話) 2020年6月3日 (水) 03:54 (UTC)
- わざわざ会話ページまでお越しいただき、ありがとうございます。当該削除依頼でのお返事にて、ご意図は理解しておりますので、ご安心いただきますよう、お願いいたします。
- ご存命の人物の扱いは、難しいところはありますね。以前、とある人物記事の削除依頼に対し、当該のご本人がTwitterで「自分の活動を妨害している」のようにウィキペディアを罵っており、それこそ依頼者様が(ブログかTwitterか忘れましたが)気に病む様を拝見しましたもので、今回も気になった次第です。ともあれ、今回は当該のご本人もご納得いただけたようで、ひとまず安心でした。
- 削除依頼を始めとする精力的なご活動、以前より拝見しております。これからも一層のご活躍を、お祈りしております。--逃亡者(会話) 2020年6月3日 (水) 09:36 (UTC)