マリー・ボンファンティ

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マリー・ボンファンティ(1909年)
『黒衣の盗賊』のポスター
『黒衣の盗賊』のポスター、1866年。

マリー・ボンファンティMarie Bonfanti1845年2月16日 - 1921年1月25日)は、イタリア出身のバレエダンサーバレエ指導者である[1]。イタリアやロンドンで舞台に立った後にアメリカ合衆国に渡り、『黒衣の盗賊』(The Black Crook[注釈 1]という作品に出演して人気を得た[1]。アメリカ合衆国でバレエダンサーとして活躍し、現役を退いた後はニューヨークで後進の指導にあたった[1]ルース・セント・デニスの師として知られ、アメリカ合衆国のバレエ発展に貢献した人物である[1][2]

生涯[編集]

ミラノの生まれ[1]。ミラノ・スカラ座のバレエ学校でカルロ・ブラジスに師事し、個人的な指導も受けていた[1]。1860年代の前半に舞台デビューし、イタリアやロンドンで踊った[1]

1866年、ボンファンティはアメリカ合衆国に渡り、その地での活動を開始した[1]。契約に際して、彼女は常に「プリマ・バレリーナ・アッソルータ」の称号を要求していたという[1]。渡米後のボンファンティは、「大パリ・バレエ団」(Great Parisienne Ballet Troupe)に加入し、同じくミラノ出身のリタ・サンガッリとともにプルミエール・ダンスーズを務めることになった[2]

ボンファンティはその年の9月10日にブロードウェイにあったニブロズ・ガーデン劇場(en:Niblo's Garden)に初登場した[3][4]。大パリ・バレエ団は、同劇場で9月12日に初演された『黒衣の盗賊』という作品に出演した[注釈 1][2][5][6]。この作品は、人間の魂を毎年1人ずつ悪魔に捧げるという契約を結んだ通称を『黒衣の盗賊』というペテン師と、その犠牲になりかかる若い恋人たちの物語であった[6]。『黒衣の盗賊』は純粋なバレエ作品ではなく、音楽・ダンス・演劇を取り混ぜた1大スペクタクル作品で上演には4時間半を費やしたという[6][2]。この作品はニューヨークで16か月も続演するほどの大成功を収め、その後アメリカの各地を巡演した[6][2]。なお、『黒衣の盗賊』は後世の人から「アメリカ・ミュージカルの始祖」と言われるほどの重要な作品と評価され、アメリカの舞台芸術史上に大きな位置を占めている[6]

ボンファンティはその後アメリカ合衆国の各地を巡演し、『黒衣の盗賊』のようなミュージカル・レヴューにいくつか出演した[1]。1882年7月15日、メトロポリタン・アルカサル・コンサートホールでの『シルヴィア』(レオ・ドリーブ作曲)にも出演している[7]。彼女はミラノ・イタリア大歌劇団という団体のプリマ・バレリーナを務め、またニューヨークのメトロポリタンオペラ歌劇場(en:Metropolitan Opera House (39th St))のプリマ・バレリーナを1885年と1886年の両年に務めた[1]

ボンファンティの舞踊表現における活動は、1860年代の半ばから20世紀の初頭にわたって広範に継続し、アメリカ合衆国のバレエ発展と普及に大きな貢献を果たした[1][2]。彼女は1892年に一度引退したが、1901年8月に復帰して、かつて大パリ・バレエ団でともに踊ったリタ・サンガッリと合同でメトロポリタンオペラ歌劇場で公演を行った[1][8]。引退後にニューヨークで舞踊学校を開設し、1916年まで指導にあたった[1]。アメリカ合衆国におけるモダン・ダンスの先駆者の1人として知られるルース・セント・デニスは彼女の教え子であった[1][2]。ボンファンティはジョージ・ホフマンという男性と結婚している[9]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b 日本では原題通りの『ブラック・クルーク』という表記や『黒い悪人』という表記も見られる。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『オックスフォード バレエダンス辞典』pp. 512-513.
  2. ^ a b c d e f g 鈴木、pp. 208-210.
  3. ^ "Amusements", The New York Times, September 10, 1866, p. 5.
  4. ^ 『オックスフォード バレエダンス辞典』p. 177
  5. ^ 『オックスフォード バレエダンス辞典』p. 190
  6. ^ a b c d e 薄井、pp. 178-180.
  7. ^ "Amusements", New York Times, July 16, 1882, pg. 6.
  8. ^ "Revival of the Ballet", The New York Times, September 1, 1901, p. SM3.
  9. ^ "The Bonfanti Romance", The New York Times, December 31, 1876, p. 5.

参考文献[編集]

外部リンク[編集]