浮嶽
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浮嶽 | |
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標高 | 805.1 m |
所在地 |
![]() 福岡県糸島市・ 佐賀県唐津市 |
位置 | 北緯33度28分11.8秒 東経130度05分57.2秒 / 北緯33.469944度 東経130.099222度座標: 北緯33度28分11.8秒 東経130度05分57.2秒 / 北緯33.469944度 東経130.099222度 |
山系 | 脊振山系 |
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浮嶽(うきだけ)は、福岡県糸島市二丈と佐賀県唐津市七山との県境に位置する山である。脊振山系の西端を成し、霊峰として知られる。標高は805.1メートル[1]。山頂からは壱岐が見える。浮岳とも書く。別名は筑紫富士(つくしふじ)。
山頂に浮嶽神社の上宮が鎮座する。同神社の中宮(旧久安寺)は中腹にある。
祭神[編集]
浮嶽大神(浮嶽大権現)。
歴史[編集]
ある時、海に出て時化にあった時に「雲の上に浮かぶ山容を見つけ助かった」ことが山名の由来と、地元民は云う。神功皇后がこの山頂で戦勝祈願し、帰朝後、神社を建立したと伝説にある。後に、聖武天皇の時代に渡来した清賀上人が「浮嶽久安寺」を開き、神仏混淆の神社となるも、山体自体が信仰の対象であったという。
豊臣秀吉の九州征伐の折、兵火で寺が焼かれた。余談だが、この時に逃れたものの、「十坊山」(とんぼやま)の山上で捕まり殺された10人の僧侶の塚が今も十坊山にあり、このことが脊振山系の最西端の峰を「十坊山」と呼ぶ由来となったという。
江戸時代に藩主の寺沢広高が久安寺に山林百数十町歩を寄進し、同寺は繁栄した。後の神仏分離で久安寺は廃され、現在は平安時代作のとされる木造仏像3体(国の重要文化財)が残るのみである。信仰自体は農民漁師ともにあったが、名の由来からすると漁師の信仰の方が強かったらしい。
「山当て」の山であることから、交通安全、家内安全、厄除けなどの利益(りやく)があるという。
「真名子」側から登る途中には「白龍稲荷社」があり、この龍神の息子「竜起」は神功皇后の命を受け朝倉地方の賊「羽白熊鷲」を討伐し、武勇を天下に高めたと伝説にいう。
浮嶽神社中宮の収蔵庫には旧久安寺の仏像が安置され、以下の3体(平安時代初期の作)は重要文化財に指定されている。
- 木造如来坐像(伝薬師如来)像高90.3センチメートル
- 木造地蔵菩薩立像 像高175.5センチメートル
- 木造如来立像 像高179.4センチメートル
登山ルート[編集]
例祭日[編集]
- 4月初午
- 9月9日
- 秋分中日(10月第2日曜日)、「御下り」(神輿が浜に下りる神事)がある。
出典[編集]
- ^ “土地条件調査解説書「糸島地区」”. 国土地理院. 2022年9月2日閲覧。
参考文献[編集]
- 怡土志摩地理全誌 由比章祐著
- 糸島伝説集 糸島新聞社刊