河越賢在

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
河越賢在
時代 江戸時代
生誕 慶長19年(1614年
死没 不明
別名 中原朝臣賢在
官位 従五位下兵庫頭
主君 後水尾天皇
氏族 中原朝臣平田家庶流河越氏
広澄流清原朝臣
王氏
源氏
父母 父:河越重忠(兼任王)、母:平田職広
養父:舟橋秀賢河越教重
兄弟 真継久忠(河越兼久)河越兼字賢在
養子:兼久兼字
テンプレートを表示

河越 賢在(かわごえ かたあき、1614年 - 没年不明)は江戸時代地下官人有職家

伊勢使王・河越重忠(兼任王)の子で明経博士舟橋秀賢兵庫頭河越教重養嗣子官位従五位下兵庫頭。史料によっては中原朝臣賢在とも記される。

概要[編集]

実父は伊勢使王を務めた河越重忠(兼任王)舟橋秀賢の養子となった後に兵庫頭河越教重の養嗣子となったとされる[1]が、賢在の兵庫頭の職は外祖父の平田職広(深尾職久)から継承したものであり、賢在やその後継者である兼字が清原朝臣を自称した資料は存在しない[2]

元和6年(1620年)1月6日には7歳で従五位下・兵庫頭に叙任されている[3]

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ 三上景文『地下家伝 第1-7 (日本古典全集 ; 第6期)[1]』(日本古典全集刊行会、1937年)
  2. ^ 赤坂恒明「伊勢奉幣使王兼字王考[2]
  3. ^ 三上景文『地下家伝 第1-7 (日本古典全集 ; 第6期)[3]』(日本古典全集刊行会、1937年)