河合甚左衛門

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河合 甚左衛門(かわい じんざえもん、天正11年(1583年) - 寛永11年11月7日1634年12月26日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武士剣客

生涯[編集]

大和郡山藩剣術指南役を務める。摂津尼崎藩槍術指南役・桜井半兵衛とは親戚にあたり、岡山藩士・河合又五郎は甥にあたる。

又五郎は岡山藩主・池田忠雄小姓の渡辺源太夫を斬り捨て、江戸へ逃亡し旗本阿久和安藤家に保護されていたが、江戸幕府により江戸を追放された。その後、再び又五郎は江戸へと向かうこととなり、桜井半兵衛とともに道中の護衛についた。ところが寛永11年(1634年)11月7日、伊賀上野鍵屋の辻において、仇討ちのため源太夫の兄・渡辺数馬とともに待ち構えていた荒木又右衛門に討たれた(鍵屋の辻の決闘)。この戦いにおいて、甚左衛門は馬上にて切りつけられて死亡したといわれる。