沢宗久
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時代 | 戦国時代後期 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 永禄10年(1567年) |
死没 | 寛永19年5月8日(1642年6月5日) |
別名 | 宏直、九郎次郎、九郎兵衛 |
戒名 | 伝久、空玄 |
幕府 | 江戸幕府鳥見、奥方番 |
主君 | 豊臣秀次、徳川秀忠 |
父母 | 余語宗重、沢宏茂 |
子 | 長左衛門、久吉、高屋種久室 |
沢 宗久(さわ むねひさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。
生涯
[編集]祖父の余語景宗、父宗重は織田信長に仕える。伊勢大河内城の戦いで戦死した沢佐右衛門の家督を継承する。
当初は豊臣秀次に仕えたが、秀次没後の慶長元年(1596年)からは徳川秀忠に仕える。慶長5年(1600年)会津征伐から関ヶ原の遅参、大坂入城まで秀忠に従う。また慶長19年(1614年)からの大坂の陣のいずれにも従い、戦後に褒賞として黄金を賜ったが、酒井忠世ら幕府重臣らからは「感状に等しい」と称された。
翌元和2年(1616年)に武蔵国足立郡に160余石を賜り、鳥見に任じられる。寛永3年(1626年)秀忠・家光父子の上洛に随行。寛永19年(1642年)武蔵国幡羅郡に加増されて270石となった。同年に死去。
出典
[編集]- 「寛政重修諸家譜」巻第1140