江山焼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

江山焼(こうざんやき)は、現在の愛媛県伊予市で活躍した陶芸家、槇江山(まき こうざん、安政7年(1860年) - 昭和11年(1936年))による焼物。

槇は伊予国浮穴郡上灘(現在の愛媛県伊予市)出身。明治中期から昭和初期にかけて活躍した。本名は鹿蔵、「江山」は号である。

明治より大正にかけて郡中殿町(ぐんちゅうとのまち)に住み、庭に窯を築いて作品を焼いた。

その作品は、楽焼に似て素朴で風雅な趣があり、人々に珍重された作品には、茶器、火器、人形などが多く、中央の文人、政治家との交遊も少なくなかった。

伊藤博文、元帥海軍大将東郷平八郎、陸軍大将秋山好古、旧伊予松山藩主久松勝成、高浜虚子、下村為山、河東碧梧桐等、文人、軍人、政治家との交流が多く、名士が江山を招いて邸内に窯を築き、陶磁器を焼かせる「お庭焼き」も行われた。

明治42年(1909年)春、伊藤博文を郡中彩濱館に迎えもてなした時、江山が庭に用意した窯で、伊藤は茶碗に「水光山色沙白松青影裏之人家 春畝山人」、徳利に「一片之氷心」と揮毫して楽焼を楽しんだ。その年の秋、伊藤は満州で安重根の狙撃に遭い亡くなったので、死の数ヶ月前に、江山と交遊があったことになる。

また、明治36年(1903年)に大正天皇、大正11年(1922年)には昭和天皇に、江山焼お買い上げの光栄を賜る。

大正11年(1922年)、松山城の城山の麓に、旧松山藩主久松家の別邸として萬翠荘が建設された。その際、松山市の会社団体からは砥部焼の鶴が贈られた。銀行団体からは亀を贈ることになり、江山がその制作を行った。萬翠荘の庭園に鶴と亀が置かれて、大いに瑞相を添えていたという(戦災等の為、現在は亀は残っていない)。

代表作[編集]

  • 伊予市湊町大師堂 金剛力士像(伊予市有形文化財)
  • 伊藤博文公染筆茶碗