死せる孔明生ける仲達を走らす

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死せる孔明、生ける仲達を走らす(しせるこうめい いけるちゅうたつをはしらす)とは、三国志に由来する故事である。また、この故事の原文が「死諸葛走生仲達」であるため、正確には「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」となるが、前者のほうが有名であるためか辞書にも前者が記載されていることがほとんどである。

成語の経緯[編集]

史実では[編集]

三国時代、敵対していたの戦いの一つである五丈原の戦いの最中に、蜀の丞相である諸葛亮が病没した。これを察知した魏の軍師である司馬懿は、諸葛亮のいない蜀軍を強敵ではないとみなし、撤退する蜀軍に追い討ちをかけた。しかし、蜀軍が反撃の姿勢を見せたため、司馬懿はこれを諸葛亮による自分を釣り出すための計略と勘違いし、撤退した。司馬懿は、諸葛亮がいる蜀軍とまともに軍をぶつけることを良しとせず、できる限り打って出ないようにしていた。このことを後に、習鑿歯漢晋春秋にて「死せる孔明[1]、生ける仲達[2]を走らす」と称したことにより、この言葉が生まれた。

三国志演義では[編集]

諸葛亮五丈原の戦いの最中に過労で衰弱しきっていたため自らの死期を悟り、延命の術を試みる。しかし、儀式の成功間際に魏延が報告のため儀式の祭殿に飛び入ってきてこれを壊してしまったため祈祷に失敗。その後、病没する。星占いにて大きな星が落ちるを見た司馬懿は諸葛亮が死んだと判断し蜀軍に攻め込んだ。しかし、生前に諸葛亮が作らせた彼の木像を見て肝をつぶし撤退した。このことを後に人々が「死せる孔明、生ける仲達を走らす」と言いはやした。後に司馬懿はこのことを「死者が相手ではどうしようもない」と語ったという。

現代における使用[編集]

既に死んでいた諸葛亮の威光により司馬懿を撤退させたことから、既に亡き人物が生きている人物に大きな影響を与えることの喩えとして用いられることもある。

脚注[編集]

  1. ^ 諸葛亮の字
  2. ^ 司馬懿の字

参考文献[編集]

関連項目[編集]

諸葛亮に関する故事成語[編集]