橘常子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

橘 常子(たちばな の つねこ、延暦7年(788年)? - 弘仁8年8月1日817年9月15日))は、平安時代桓武天皇女御兵部大輔橘島田麻呂の娘。官位は従三位

生涯[編集]

生年は、薨伝に見える行年より逆算して延暦7年(788年)とされるが、『日本後紀』訳者の森田悌は、常子が延暦15年に無位から従五位下に叙されており、このとき9歳ということになってしまうので、この行年には誤りがあると注を入れている。

桓武天皇後宮に入り、大宅内親王を生む。延暦16年(797年)には従五位上に叙され、記録にはないが延暦年間に従四位下まで昇った[1]。その後、天皇が崩御するとそれを悲しみ出家して尼になった。大同4年(809年)に娘の大宅内親王の邸宅が火災に遭った際には新銭(隆平永宝)百貫を賜っている[2]。薨伝には平城天皇に重んじられ、従三位を授けられたとある[1]が、常子が従三位を授けられたのは平城天皇退位後の弘仁6年(815年)である[3]。弘仁8年(817年8月1日死去。遺言によって、死体は席(むしろ・などで編んだ敷物)にくるまれて埋葬され、棺は用いなかった[1]

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『日本後紀』弘仁8年(817年)八月戊午朔条(橘常子薨伝)
  2. ^ 『日本後紀』大同4年(809年)七月壬午条
  3. ^ 『日本後紀』弘仁6年(815年)八月丙辰条

参考文献[編集]

  • 森田悌『日本後紀 全現代語訳』 上巻、講談社講談社学術文庫〉、2006年10月。ISBN 978-4-06-159787-7 
  • 森田悌『日本後紀 全現代語訳』 中巻、講談社〈講談社学術文庫〉、2006年11月。ISBN 978-4-06-159788-4 
  • 森田悌『日本後紀 全現代語訳』 下巻、講談社〈講談社学術文庫〉、2007年1月。ISBN 978-4-06-159789-1