検校 (中国)

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検校(けんぎょう、満洲語ᠪᠠᡳ᠌ᠴᠠᠰᡳ, baicasi)は、中国歴代王朝に存在した官職。本来の意味は検査・監査のこと。または、官職名の上に付加することで代理の意をあらわす。

官職の変化[編集]

南北朝時代には「検校秘書」などがあったが、正式な官職ではなかった。と前期のでは、「検校」は正式に拝授されたわけではないが、職権は行使できた。魏徴の検校侍中李勣の検校洛州刺史、などである。唐の後期、「検校」の官職は散官または加官となり、職権はなくなっていた。

宋初年、検校は十九階あった:

三師(太師、太傅、太保)、三公(太尉、司徒、司空)、左僕射、右僕射、吏部尚書兵部尚書戸部尚書刑部尚書礼部尚書工部尚書、左散騎常侍、右散騎常侍、太子賓客国子祭酒水部員外郎

宋の神宗による元豊の改革ののち、「検校」の官職は、検校三公と検校三師だけが残った。

役職として検校があったのは、元朝から初までの中書省行中書省。それに明の六部都察院承宣布政使司提刑按察使司、および地方各府の属官としてである。では検校があるのは江蘇省の各府だけだった。

これらの検校は下級官吏で、検査文書の出入りを管理した。

参考文献[編集]