板倉譲治
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板倉 譲治(いたくら じょうじ、明治45年(1912年)6月3日 - 平成9年(1997年)4月8日[1])は、日本の財界人。三井銀行取締役社長、全国銀行協会連合会会長等を歴任。父親は貴族院勅選議員の板倉卓造。東京出身[1]。
経歴
[編集]- 昭和10年(1935年)慶應義塾大学経済学部卒業[1]。
- 昭和49年(1974年)三井銀行取締役社長( - 1978年)[1]。
- 昭和50年(1975年)全国銀行協会連合会会長( - 1976年)[1]。
- 昭和52年(1977年)内外編物取締役( - 1977年)[1]。
- 昭和53年(1978年)同行相談役。
- 昭和54年(1979年)富士写真フイルム監査役、台糖監査役、三井不動産相談役( - 1988年)[1]。
- 昭和55年(1980年)日本原子力事業監査役( - 1989年)、大阪商船三井船舶取締役[1]。
- 昭和57年(1982年)相模鉄道取締役[1]。
- 昭和58年(1983年)勲二等旭日重光章を受章[1]。
- 平成9年(1997年)前立腺癌のため死去[1]。
著書
[編集]- 『私の金融論』(1995年)