松本テアトル銀映

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松本テアトル銀映
情報
旧名称 銀映座、松本大映、スカラ座
完成 1914年
開館 1914年
閉館 2008年10月24日
収容人員 (2館合計)362人
設備 ドルビーデジタル
用途 映画上映
運営 有限会社松本興行
所在地 長野県松本市城東1丁目1-4
位置 北緯36度14分14.3秒 東経137度58分23.9秒 / 北緯36.237306度 東経137.973306度 / 36.237306; 137.973306 (松本テアトル銀映)座標: 北緯36度14分14.3秒 東経137度58分23.9秒 / 北緯36.237306度 東経137.973306度 / 36.237306; 137.973306 (松本テアトル銀映)
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松本テアトル銀映(まつもとテアトルぎんえい)は、かつて長野県松本市城東1丁目1-4にあった映画館。経営は有限会社松本興行。

歴史[編集]

開館[編集]

前身は1870年(明治3年)に開館した松本劇場であり、この劇場は筑摩県初の常設劇場だった[1]。1914年(大正3年)、松本劇場とは異なる場所に銀映座が開館した[1]

映画黄金期[編集]

1950年(昭和25年)には松本大映に改称した[2]長野県松本県ヶ丘高等学校は文化祭で松本大映を貸し切り、映画研究会が『ハムレット』などを上映したこともある[3]

1960年(昭和35年)11月2日には松本大映を大映が貸借し、大映の直営館となった[4]。なお、同年12月中旬には上土町に松本ニュー大映が開館している[4]。1960年(昭和35年)12月15日、松本大映は東宝関東興行の傘下に入り、スカラ座に改称して洋画封切館となった[5]。この際の支配人は緒方浩である[5]。1963年(昭和38年)にはテアトル銀映に改称し、主に洋画を上映した[1]

閉館[編集]

2008年(平成20年)10月24日をもって閉館した[1]。松本テアトル銀映1の最終上映作品は『幸せの1ページ』、松本テアトル銀映2の最終上映作品は『同窓会』である。閉館の理由は観客数の減少や建物の老朽化である[1]。駐車場がないという欠点があり、末期には上映の際に観客がひとりもいないこともあった[1]

松本テアトル銀映の経営会社だった有限会社松本興行は、2008年(平成20年)12月20日に松本市郊外にシネマライツ8を開館させている[1]

スクリーン[編集]

スクリーン 座席数
銀映1 275
銀映2 87

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 「老舗映画館、惜しまれ幕 松本の『テアトル銀映』劇場時代から138年の歴史」『信濃毎日新聞』2007年10月25日
  2. ^ 「テアトル銀映 シネコン建設の陰で… 半世紀以上の歴史に幕 松本」『毎日新聞』2008年11月12日
  3. ^ 『松本・塩尻・東筑・木曽の昭和』いき出版、2020年、p.102
  4. ^ a b 「映画館ニュース」『キネマ旬報』1961年1月1日、275号
  5. ^ a b 「映画館ニュース」『キネマ旬報』1961年1月15日、276号