条支国

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条支国(じょうしこく)は、中国の歴史書に登場する国名。西域に存在していたといわれる。

後漢書班超の部下である甘英がたどり着いた国として登場する。この「条支国」は現在のシリアに存在していた国家だといわれている(一説にはカラケネ王国のことを指したものだという)。史記「大宛伝」には次のように記されている。「条支は西海に臨み、暑くて湿度が高い。田畑を耕してイネを植えている。大きな鳥がおり、その卵は甕のようだ」。ほかに、『旧唐書 巻194下 突厥伝』には「武徳三年、遣使貢條支巨卵。」という記述がある。このことから、条支は620年武徳3年)前後に存在した異民族王朝の一つではないかとも考えられている。ただし、両者の記述の間には数百年の隔たりがあるため、果たして同一の対象を指したものなのかについては疑問の残るところである。

中国産の絹織物は当時のオリエント一帯を支配したパルティア王国ローマ帝国において非常に好まれた。甘英は一説にはローマ帝国と直接交易を行う道を求めて西進したとされるが、シリアまで到達した段階で中継貿易による利益が失われるのを恐れたパルティア人の案内人によってローマはまだ遥か彼方であると教えられ、やむなく引き返したという。