本宗寺
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本宗寺 | |
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所在地 | 愛知県岡崎市美合町平地50 |
位置 | 北緯34度55分31.10秒 東経137度11分33.12秒 / 北緯34.9253056度 東経137.1925333度座標: 北緯34度55分31.10秒 東経137度11分33.12秒 / 北緯34.9253056度 東経137.1925333度 |
山号 | 土呂殿 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 1468年(応仁2年) |
文化財 | 絹本著色芳春院妙西尼公像(絵画) |
公式サイト | 本宗寺ホームページ |
法人番号 | 2180305000312 |
本宗寺(ほんしゅうじ)は、愛知県岡崎市美合町にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は土呂殿。本尊は阿弥陀如来。
概要
[編集]1468年(応仁2年)、本寺は蓮如上人によって創建された。創立当時は土呂(現在の福岡町)にあった。蓮如上人に続いて、第九世実如も本宗寺を拠点として三河門徒教化につとめ、四男の実円を本宗寺の初代住職に任じた。
三河一向一揆(1563年〜1564年)の際、徳川家康は本願寺門派の寺院道場をことごとく破壊。本寺も永禄7年(1564年)2月28日に焼失した。家康は「国内宗門御停止」を命じ、寺の住職は他の地に移った。その後、石川家成の母で家康の叔母である妙西尼の再三の嘆願によって、天正13年(1585年)12月に宗門再興の赦免状が発せられ、本宗寺は復興を許された。
1611年(慶長6年)、現在の地(美合町)に移転。幕府より75町歩を与えられる。この寺領は明治維新後に国有化され、現在は愛知県立農業大学校の敷地となっている[1]。
1968年(昭和43年)、不審火で本堂を焼失。現在の本堂は1973年(昭和48年)に再建されたものである。
1987年(昭和62年)7月15日、絹本著色芳春院妙西尼公像が岡崎市の文化財に指定された[2]。
交通手段
[編集]脚注
[編集]- ^ “岡崎まちものがたり 21 緑丘学区” (PDF). 岡崎市 市制100周年記念サイト (2017年1月). 2020年7月26日閲覧。
- ^ “岡崎市指定文化財目録”. 岡崎市ホームページ (2020年9月8日). 2021年7月19日閲覧。
参考文献
[編集]- 『新編 岡崎市史 総集編 20』新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日、333頁。
- 『岡崎 史跡と文化財めぐり』岡崎市役所、2003年1月1日、94頁。