本多助賢

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本多 助賢(ほんだ すけとし、寛政3年1月4日1791年2月6日) - 安政5年9月17日1858年10月23日))は、信濃飯山藩の第6代藩主。江戸幕府若年寄。広孝系本多家10代。

経歴[編集]

美濃大垣藩主・戸田氏教の次男。正室は信濃飯山藩第5代藩主・本多助受の娘。子は賢承(長男)、娘(酒井忠績正室)、娘(本多忠陳正室)、娘(朽木綱張継室)、娘(松平正倫室)、娘(本多至充室)、娘(本多助愿室)、娘(畠山基徳正室)。官位は従五位下、豊後守。

文化3年(1806年)2月、飯山藩第5代藩主・本多助受の婿養子となる。同年4月1日、将軍徳川家斉に拝謁する。同年7月26日、養父助受の隠居により、家督を相続する。同年12月16日、従五位下豊後守に叙任する。文化8年4月、日光祭礼奉行を命じられる。文化11年(1814年)8月4日奏者番に就任する。天保3年(1832年)2月9日、若年寄に就任する。天保12年(1841年)8月7日、若年寄を退任し、従四位下に昇進する。また、帝鑑間取締を命じられる。安政5年(1858年)4月22日、隠居し、先代・助受の三男で養子の助実家督を譲るが、まもなく没した。