木村恵吉郎
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木村 恵吉郎(きむら けいきちろう、1877年(明治10年)1月11日 - 1945年(昭和20年)11月15日)は、日本の化学者。東京商科大学(現一橋大学)名誉教授。第2代東京写真専門学校(現東京工芸大学)校長。正三位勲一等[1]。
人物・経歴
[編集]東京府出身[1]。1900年第一高等学校卒業[2]。1904年東京帝国大学工科大学応用化学科卒業[1][3]、工学士[4]。1906年東京高等商業学校(現一橋大学)助教授[1]。1916年から1918年までアメリカ合衆国へ留学し応用化学及び商品学を研究[5][1]。1920年から東京商科大学(現一橋大学)予科教授兼大学教授として[1]、奈佐忠行とともに商品学を担当した[4]。1921年東京商科大学予科主事。1937年退官[1]、東京商科大学名誉教授[6]、東京商科大学講師[1]、叙正三位[7]。1939年東京商科大学講師退任[4]、第2代東京写真専門学校(現東京工芸大学)校長。1944年退任[1]。専門は応用化学[1]。
親族
[編集]父は木村信卿元陸軍少佐・地図課長。母は多忠寿元讃岐守の子。妻のゆきは松井直吉元東京帝国大学総長の長女[3]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j 工芸ヒストリー09東京工芸大学
- ^ 一高等学校一覧 昭和6至7年 附録 卒業生氏名
- ^ a b 木村惠吉郞 (第4版 [大正4(1915)年1月 の情報)]日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
- ^ a b c 一橋商品学の伝統Source Title 一橋論叢 Volume Number 91 Issue Number 4 Page Start 472 Page End 490 Appears in Collections 091巻4号 (1984.4)
- ^ 文部省外国留学生表 大正6年
- ^ 官報 1937年07月06日
- ^ 官報 1937年04月22日
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