木村半兵衛

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3代木村 半兵衛(きむら はんべえ、1843年天保14年) - 1886年明治19年))は、明治時代日本実業家

木村家の初代木村半兵衛は優秀な実業家であったのでこの名前は4代目まで引き継がれた。ここでは両毛鉄道(現両毛線)の敷設にあたって、大きな功績があった3代目木村半兵衛を扱う。

略歴[編集]

1843年(天保14年)、下野国足利郡(現栃木県足利市佐野市桐生市)猿田村の小泉兵右衛門の次男として生まれる。木村家の木村平七の養子となり、織物の買継商を営み、両毛地区一帯の織物を扱う豪商となる。

1856年安政3年)11月に長男・勇三(のち4代目木村半兵衛)が生まれた記念として、1861年文久元年)には、貧困者に500両の寄付を行った。また「御橋再建寄付連名碑」に発起人総代35両寄進の名が残る。

また、尊皇思想であり、志を同じくする維新志士たちに援助を行った。

明治に入ってからは小俣小学校(現足利市立小俣小学校)創立にも私財を投入し、川上広樹を校長として足利郡の教育に尽くした。

1877年(明治10年)の西南戦争では戦争特需により事業を拡大し、半兵衛の扱う金額は40万両以上にも達した。この年には外国への織物輸出も行うようになり、フランス製ジャガード紋織機を輸入し1882年(明治15年)以降事業は更に拡大された。

1879年(明治12年)、第1回栃木県会に推薦され、栃木県会議員となる。同年、栃木町第四十一国立銀行頭取となる。

晩年の1882年(明治15年)には日本鉄道に貢献、1886年(明治19年)には両毛鉄道(現両毛線)の敷設に貢献した。

参考文献[編集]