朝潮 (白雲型駆逐艦)
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艦歴 | |
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計画 | 1900年度[1] |
起工 | 1901年4月3日[1] |
進水 | 1902年1月10日[1] |
就役 | 1902年5月4日[1] |
その後 | 1905年12月12日駆逐艦に種別変更[1] 1912年8月28日三等駆逐艦[1] 1922年4月1日特務艇編入、二等掃海艇類別[1] 1923年4月1日雑役船編入、標的船指定[1] |
除籍 | 1923年4月1日[1] |
廃船 | 1925年5月2日[1] |
売却 | 1926年4月5日[1] |
性能諸元 | |
排水量 | 常備:322トン |
全長 | 65.9m |
全幅 | 6.3m |
吃水 | 1.8 m[2] |
機関 | 2軸推進、7,000shp |
最大速力 | 31ノット |
航続距離 | |
乗員 | 62人[3] |
兵装 | 8.0cm単装砲2基 57mm単装砲5基 45cm水上発射管2門 |
朝潮(あさしお / あさしほ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、白雲型駆逐艦の2番艦である。同名艦に朝潮型駆逐艦の「朝潮」があるため、こちらは「朝潮 (初代)」や「朝潮I」などと表記される。
艦歴
当初の艦名は第十六号駆逐艦。1902年1月10日に進水し「朝潮」と命名[4]。同年5月4日、イギリスのソーニクロフト社で竣工、軍艦に編入され駆逐艦に類別[1]。同年7月7日、日本へ回航[5]。同年11月20日、横須賀に到着[1]。
1904年、日露戦争が勃発した際には第1艦隊第1駆逐隊に所属していた[6]。旅順口攻撃、黄海海戦に参加[1]。同年8月12日、僚艦霞とともに芝罘でロシア駆逐艦「レシーテリヌィ」(後に「山彦」へ改名)を捕獲した[6]。1905年の日本海海戦では第2艦隊第4駆逐隊に所属して参加した[6]。
1914年、青島の戦いに参加[1]。1922年4月1日、特務艇(二等掃海艇)に類別変更。1923年4月1日、雑役船(標的船)に編入。1925年5月2日、廃船。1926年4月5日に売却された[1]。
艦長
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 回航委員長
- 堀内権三郎 少佐:1901年9月10日 - 1902年1月23日
- 艦長
- 堀内権三郎 少佐:1902年1月23日 - 1903年2月7日
- 松永光敬 少佐:1903年2月7日 -
- 南里団一 少佐:1904年9月11日 - 1905年8月5日
- 駆逐艦長
- 別府友次郎 少佐:1905年12月12日 - 1906年3月14日
- 柴内豪吉 大尉:1906年3月14日 - 4月1日
- (兼)中原弥平 大尉:1906年4月1日 - 4月23日
- 岡田雄三 大尉:1906年4月23日 - 1908年2月1日
- 山本泰洋 大尉:1908年2月1日 - 11月20日
- 荒城二郎 大尉:1908年11月20日 - 12月14日
- (兼)副島慶一 大尉:1908年12月14日 - 12月23日
- (兼)秋吉照一 大尉:1908年12月23日 - 1909年2月20日
- (兼)山中義勇 大尉:1909年2月20日 - 12月1日
- 太田浄信 大尉:1909年12月1日 - 1910年12月17日
- (兼)荒城二郎 大尉:1910年12月17日 - 1911年4月28日
- 及川古志郎 大尉:1911年4月28日 - 1912年12月1日
- 藤好鉄之助 大尉:1912年12月1日 - 1913年12月1日
- 中川文一 大尉:1913年12月1日 - 不詳
- 宮部光利 少佐:不詳 - 1915年12月13日
- 岩城茂身 大尉:1915年12月13日 - 1916年7月3日
- 菊地豊吉 大尉:1916年7月3日 - 1917年8月11日
- 隈部信夫 大尉:1917年8月11日 - 12月1日[7]
- 成田二郎 大尉:1917年12月1日 - 1918年12月1日
- 中円尾義三 大尉:1918年12月1日 - 1920年12月1日
- 宮崎平 大尉:1920年12月1日[8] -
脚注
参考文献
- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。