文挟宿
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文挟宿(ふばさみしゅく)は、日光脇往還の宿場(第二十二宿)。 現在の栃木県日光市文挟付近に位置した。
日光道中壬生通りが、1617年(元和3年)3月に竣工した日光山東照社(東照宮)への資材輸送路として整備されるなかで成立。 壬生通宿村台帳(1843年、天保14年)には32軒156人と記載され、こぢんまりとした宿場だった。これは、隣接する板橋宿と合わせて1宿の扱いとなっていたため[1]。
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