戸川安章 (旗本)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

戸川 安章(とがわ やすあきら、明和7年(1770年)- 天保10年6月2日1839年7月12日)は、江戸時代後期の幕臣旗本)・知行3000通称は大次郎。

先代・村眞の子として生まれる。母は小笠原政方の娘。妻は堀長尚の長女、後妻は堀長尚の次女。

文化4年(1807年)、父の死により家督相続する。

備中国は綿の産地の一つであり、和漢三才図会では摂津国備後国の次に質が良いという。天保元年(1830年)頃からは足袋小倉織佐藤栄八姫井甚七治らにより発展しつつあったが、知行所は財政難のため産業振興策をとる余裕がなかった。

天保4年(1833年)から天保の大飢饉に見舞われると、財政難に一層拍車をかけた。そのため、天保9年(1838年)から5年間の倹約令を出した。

江戸では、使番先鉄砲頭小石川門番役を歴任した。

天保10年(1839年)6月2日没。

先代
戸川村眞
帯江戸川家当主
6代:1807年 - 1839年
次代
戸川安栄