志保田鉎吉
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志保田 鉎吉(しほた しょうきち、1873年(明治6年)9月[1] - 1959年(昭和34年)2月1日[要出典])は、日本の教育者。
経歴
[編集]京都府天田郡福知山町(現在の福知山市)出身[2]。清水道勝の三男として生まれ、志保田六兵衛の養子となった[1]。1895年(明治28年)、京都尋常師範学校を卒業し、天田郡中部の高等小学校訓導を務めた[1]。1900年(明治33年)、東京高等師範学校文科を卒業し、沖縄県師範学校教諭となった[1]。1901年(明治34年)、台湾総督府国語学校教授に就任[2]。その後、台南高等女学校校長、台南師範学校校長、台北師範学校校長、台北第一師範学校校長を歴任した[1]。
後に帰国、1959年(昭和34年)2月1日に京都市で死去[要出典]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 人事興信録 1931, p. シ之部 志(波、保、摩、水) シ五.
- ^ a b 台湾之官民 1924, p. 206.
参考文献
[編集]- 橋本白水『評論 台湾之官民』南国出版協会、1924年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
公職 | ||
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先代 (新設) |
台湾総督府台北第一師範学校長 1927年 - 1931年 |
次代 浜武元次 |
先代 (新設) |
台湾総督府台北第二師範学校長 1927年 |
次代 根井久吾 |
先代 太田秀穂 |
台湾総督府台北師範学校長 1922年 - 1927年 |
次代 (台北第一・第二師範学校設置) |
先代 (新設) |
台湾総督府台南師範学校長 1919年 - 1922年 校長事務取扱 1919年 台湾総督府国語学校分校主任 1918年 - 1919年 |
次代 田中友二郎 |
先代 (新設) |
台湾総督府台南高等女学校長 1917年 - 1919年 |
次代 清水儀六 |