コンテンツにスキップ

御都合主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Syokomae (会話 | 投稿記録) による 2015年2月15日 (日) 15:04個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎御都合主義が用いられる例)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

御都合主義(ごつごうしゅぎ)とは

  1. 言動や主張に一貫性がなく、その時々の当人の"御都合"(=その場の状況や雰囲気)に流されて行動する様のこと。それを蔑みつつ指している語。オポチュニズム(英語:opportunism)ともいう。類義語に日和見主義がある。
  2. 上記から転じて、ストーリーの進行に都合のよいように作られた強引もしくは安直な設定・展開のこと(デウス・エクス・マキナもあわせて参照)。

本項では後者について扱う。

概要

「御都合主義」という表現は、物語の展開に関して用いる場合は、それまでの設定や伏線を無視し、強引な後付設定やでき過ぎた偶然などを用いることで、製作者側に都合よくストーリーを進行させる技法を指す。特に十分な伏線、因果関係、合理的説明が準備できていないと、物語の盛り上がりを損ない、場をしらけさせ、それまでの流れを台無しにする、として、これを批判する言葉として用いられることが多い。

ただし因果関係や合理的説明にこだわると話が面白くなくなると言う面もあり、芥川龍之介は『侏儒の言葉』においてこれに近い趣旨のことを記述している。

一般的には御都合主義は否定される立場にあるが、官能小説アクション映画など御都合主義が許容(あるいは黙認)されるジャンルもある。

御都合主義が用いられる例

製作者の構成力不足によるもの
御都合主義と呼ばれるものの典型例。十分な伏線が用意されていない、あるいは用意されていても十分な関連付けや説明がないまま物語を急展開させることで発生する。物語の流れに関係なく唐突に発生するため、観衆がこの展開を理解することは難しく、作品の質を低下させることもある。
物語の展開を意図したもの
物語において筋道が立てられていることは、作品を評価する上で重要な要素であるが、そればかりでは物語を大きく展開させることは難しく、少なからず都合のいい出来事が必要となる。
たとえば多くのミステリー作品において、主人公の行く先で殺人をはじめとする難事件が発生し、これを解決しうる人物が居合わせる。また、シリーズ作品ではそのような都合のよい展開が作品ごとに何度も発生する。物語の進展に必要不可欠な要素であるとはいえ、あまりにも都合の良すぎるこの展開も御都合主義のひとつといえる。ただし、この場合は全体的な構成で筋道が立っているため、この部分だけを取り出し「御都合主義」と捉えることはなく、「お約束」と呼ばれることが多い。
かつてテレビドラマ『ウルトラQ』がこのパターンで物語を引っ張ったが、あまり長く続けると不自然に感じられるため、次回作の『ウルトラマン』では主人公たちが積極的に難事件に絡んでいける様に「科学特捜隊」という設定を盛り込んだ。
恋愛ものケータイ小説においてしばしば導入される、物語を劇的な方向へ導くための事故・難病といったインパクトの強い展開の連続もご都合主義的であると批判されることがある[1]
物語進行の円滑化を意図したもの
物語の進行を円滑にするために、現実的に考えると不可避な問題であっても、進行上さほど重要でなかったりする場合、これを省略することがある。
たとえば地球にやって来た宇宙人がいきなり地球の言葉を話せるのは典型的な御都合主義であるが、ここで意思疎通に時間をかけては進行が滞ることから、何の説明も無く言葉が通じたり、高性能な翻訳機を使用したり、偶然同じ言語体系であったり、事前に地球の言語を研究・学習して来たということを宇宙人の口から説明させたりする。また、刑事ものや探偵もので、事件関係者からの指紋採取や警察側の資料(いわゆる「指紋台帳」)照合などを省略して「現場におまえの指紋があったんだ!」と言い切ってしまうというのも、よくあるパターンである。こうしたパターンは観客や読者など、受け手の側もある程度了解する。
製作者の意図しない事態によるもの
製作者が十分な構成力を持つにもかかわらず、製作者の意図しない形で御都合主義を用いらなければならなくなることがある。物語を作るのは製作者であるが、これを世に出すためにはスポンサーやたとえば書籍なら出版社など多くの協力が必要となり、作品に協力者の意向を反映させなければならないこともあり、その過程で御都合主義となる場合がある。
たとえば漫画『ドラゴンボール』は作品が人気を博した結果、掲載誌の屋台骨となるほどの存在となり、編集部の意向により作者の意思で作品を完結させることができず、物語を継続させるためにさらなる強大な敵役やそれを打ち破るための新たなる力を御都合主義的に登場させなくてはならなくなった(いわゆる「力のインフレ」、「パワーインフレ」と呼ばれ、対決型やトーナメント型のストーリーが多い少年漫画に起こりがちな現象でもある)。
また、漫画『赤ずきんチャチャ』は、アニメ化する際に、原作の作中に玩具として商品化できるアイテムが登場せず、また当時、変身少女もののアニメである美少女戦士セーラームーンの人気が高かったなどの理由により、スポンサーの意向によりストーリーが大幅に変更され、原作とは異なる変身少女もののアニメとなった。
御都合主義であることを意図したもの
あまりにも御都合主義的な展開をあからさまにやってみせることで、観衆に受け入れやすくする演出とすることもある。
たとえば空から理想の異性が落ちてきたり(落ちもの)、大勢の異性から一様に好意を持たれる(ハーレムもの)、離散した母と子の再会、記憶喪失とその記憶の(都合の良いタイミングでの)復活、異母兄妹とは知らぬ二人の恋、またはスティーブン・スピルバーグによる『インディ・ジョーンズ』シリーズの様な、あえて御都合主義の連続で冒険活劇を転がしていく作品など、あまりにも都合のよすぎる展開・状況そのものを楽しませることを意図する場合もある。
官能小説やピンク映画では濡れ場を最優先にするため、お座なりの(あるいは単純な)ストーリー展開をする作品が多い。

脚注

  1. ^ 中西新太郎 『シャカイ系の想像力 (若者の気分) 』 岩波書店、2011年、48頁。ISBN 978-4000284530

関連項目