弦楽四重奏曲第3番 (バルトーク)

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バルトーク弦楽四重奏曲第3番 (げんがくしじゅうそうきょくだい3ばん)Sz.85は、1927年に完成した弦楽四重奏曲である。

成立[編集]

単一楽章から成る。この前年に作曲されたピアノ協奏曲第1番ピアノソナタでも見られた、打楽器的な器楽法が要求されており、コル・レーニョなどの特殊奏法を用いた荒々しいリズムが特徴である。その反面、音楽の構成は極めて簡素で緊密な構成で書かれている。

この作品は、フィラデルフィア音楽基金協会英語版主催の室内楽作曲コンクールに応募作品として提出され、翌1928年の10月に1等の名誉と賞金をイタリアの作曲家アルフレード・カゼッラカルロ・ヤキーノイタリア語版英語版[注釈 1]、およびイギリスの作曲家ハリー・ウォルド・ワーナー英語版[注釈 2]とで四等分する形となり、不運のバルトークはまたしても単独優勝を逃した[注釈 3]が、お祝いの電報を送ってきたフリッツ・ライナーには1928年10月29日付の手紙[注釈 4]で、賞金だけでなく宣伝効果があると、受賞したことに意義を見出していた[1]

出版時にはフィラデルフィア音楽基金協会に献呈されている。このコンクールにはシマノフスキ弦楽四重奏曲第2番を提出し予選で落ちた。

作品紹介[編集]

作曲年[編集]

1927年。完成したのは9月。

楽曲構成[編集]

  1. Moderato
  2. Allegro
  3. Recapitulazione della prima parte (第1部の再現部)
  4. Coda Allegro molt

の緩-急-緩-急という4つの部分で構成される単一楽章。演奏時間は全曲で約15分。

初演[編集]

1929年2月19日 ロンドン。ヴァルトバウエル弦楽四重奏団による。

作品の内容[編集]

第1部のモデラートは、いわば序奏にあたる部分で、小さな動機が互いに絡み合って構成されている。弦楽四重奏曲第1番と同様、冒頭の動機で8度音程内の12の音すべてが用いられるが、シェーンベルク十二音技法によっているわけではない。ピウ・アンダンテの新しい楽想は、スル・ポンティチェロ(駒の近くを弓で擦る特殊奏法)で提示される。対位法部分とリズムが優勢な部分とが交錯しながら第2部アレグロとなる。第2部はかなり変則的ではあるがソナタ形式をとどめている。チェロのピツィカートとヴァイオリンが主題を提示し、ヴァイオリンの主題によるフガートにチェロの主題が絡み、それに再現部が続くという構成である。第3部では第1部の楽想のいくつかが回想されるが、その音楽の文脈は第1部のそれとは全く異なっており、これを「第1部の再現部」と呼ぶのは適切でないとさえ思われる。最後のコーダは、第2部の雰囲気に戻り、順当に名付けるのであれば「第2部の再現部」にあたるものであるが、さすがにこれを再現部と呼ぶのははばかられたのであろう。コーダとされている。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ Carlo Jachino、クルチ社イタリア語版刊『十二音技法』で知られる。
  2. ^ Harry Waldo Warner、ヴィオラ奏者でもある。
  3. ^ 賞金は総額6000ドルであった。
  4. ^ 手紙の中では「もう1曲、もっと大きな5楽章の弦楽四重奏をすでに作曲したんだが、どこかで室内楽曲のコンクールをやってないかな?」と冗談まじりに弦楽四重奏曲第4番についても書いている。

出典[編集]

  1. ^ バルトーク・ベーラ 著、羽仁協子 訳『ある芸術家の人間像 -バルトークの手紙と記録-』冨山房、1970年5月20日、121頁。ASIN B000J91TMUdoi:10.11501/12433485 

参考図書[編集]

  • ポール・グリフィス 著、和田旦 訳『バルトーク -生涯と作品-』泰流社〈叢書ムジカ・ゼピュロス〉、1986年10月1日。doi:10.11501/12433513ISBN 978-4884705596 

外部リンク[編集]