岩下守胤

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岩下守胤
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 弘治元年(1555年
死没 寛永元年3月1日1624年4月18日
別名 幸任(諱)、角弥
戒名 玄渓
幕府 江戸幕府
主君 依田信蕃康国康勝徳川家康秀忠
氏族 称・滋野氏海野氏
父母 岩下守重
海野能登信音の娘
守久
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岩下 守胤(いわした もりたね)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。信濃佐久郡の武将依田氏蘆田氏)の家臣。

略歴[編集]

最初は依田信蕃に仕えた。天正10年(1582年天正壬午の乱の際、信蕃に従って三沢小屋に籠城し、後北条氏と対戦。また同僚の重田周防守とともに狩人に扮して山越えを敢行し、甲斐に入っていた徳川家康に援軍を求める。天正13年(1585年)第一次上田合戦では信蕃の跡を継いだ依田康国の配下として従軍。康勝の代に依田氏は改易となるが、後に守胤は同心14人を預けられて徳川氏に所属する。慶長5年(1600年)第二次上田合戦では本多正信の配下として従軍。戦後は上野藤岡に所領を与えられた。大坂の陣にも従軍した。

参考文献[編集]