岡部金治郎
岡部 金治郎(おかべ きんじろう、1896年3月27日 - 1984年4月8日)は、電気・電子工学の研究者。マグネトロンを実用的なマイクロ波源とする分割陽極マグネトロンを発明した。大阪帝国大学、近畿大学などで教授を歴任。文化勲章の受章者。
人物
1896年(明治29年)、名古屋市に生まれる。1916年(大正5年)に名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大学)を卒業し、1922年に東北帝国大学(現・東北大学)電気工学科を卒業する。
卒業後そのまま東北帝大に奉職し、同年講師、1925年助教授となる。アメリカのアルバート・ハル (Albert Hull) により低周波用増幅管として発表されていた単陽極マグネトロンを用いて学生と実験をしているときに印加磁界Hと陽極電流Iとの関係が理論値からずれていることに気づき、何らかの発振現象が起きていることを発見した。
1927年(昭和2年) に円筒状陽極を軸方向に2分割しその間に振動回路を形成したものが効率良くマイクロ波(当時は波長3cm、周波数10GHz、振動モードとしてはA型振動とB型振動)を安定して発振できることを見出し、多分割陽極マグネトロン(Multi-Split-Anode Magnetoron)の開発の端緒となった[1][2]。
この発見は優れた研究として国内外から着目された。その時点までの最短の発振波長(最高周波数)がドイツで発表されていたバルクハウゼン-クルツ振動管による波長24cm、周波数1.25GHzのものであったためである。
1929年から1934年まで名古屋高等工業学校教授。東北帝国大学時代の恩師八木秀次教授が大阪帝国大学(現・大阪大学)理学部を創設する際、要請を受けて1935年より大阪帝大理学部助教授就任、1939年に教授昇任、同大学産業科学研究所、近畿大学教授等、長年にわたり学生の教育指導と研究に携わった。
電磁波に関する研究会である輻射科学研究会を熊谷三郎教授らとともに開催し,電磁波工学の発展にも努めた。
1935年には大阪管を発明し、マイクロ波発生装置の開発とその機構解明に卓越した業績を残した。1944年文化勲章を受章した他、朝日賞、学士院恩賜賞、勲一等瑞宝章など数多くの栄誉を受けている。
1984年(昭和59年)、老衰のため逝去。
愛弟子には元富士通研究所所長を務めた三杉隆彦、京都大学教授を務めた佐々木昭夫等が居り、他にも多くの人材を育成した。