山田方明

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山田方明
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 天文16年(1547年)頃
別名 通称:四郎
官位 掃部允
主君 大内義隆
氏族 山田氏
言輔
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山田 方明(やまだ かたあき)は、戦国時代武将長門国大津郡国人で、大内氏家臣。

生涯[編集]

享禄2年(1529年12月22日大内義隆から長門国豊西郡富成名の3町6段50歩の地を与えられる。天文7年(1538年1月29日、方明の所望していた「掃部允」の官途の吹挙状を大内義隆から受ける。天文14年(1545年8月10日長門国大津郡日置庄立石名の16石2斗余りの所領の領有を大内義隆に認められる。

没年は不明だが、天文16年(1547年8月16日に子の言輔が方明の後を継いで、長門国大津郡日置庄立石名の16石2斗余りの所領を相続しているため、方明はこの頃に死去または隠居したものと考えられる。

参考文献[編集]