山本寺定長
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山本寺 定長(さんぽんじ さだなが、永正16年3月14日(1519年4月13日) - 没年不詳)は、戦国時代の武将。越後国の人物で、山本寺上杉家当主。山本寺勝長の父。伊予守。別名・景定。
概要
山本寺上杉家は上杉氏庶流で、不動山城主。天正3年(1575年)の軍役帳によれば、上杉一門としては6番目の家格に位置している。
父は山本寺定景(伊豆守景良ともいうがこの名を示す史料は少ない)、母は長尾能景の娘か?。上杉房能に殉じた山本寺定種の孫といわれる。不動山城城主。長尾氏と争っていたが、上杉定実を傀儡の守護として擁する長尾晴景に従う。弘治元年(1555年)には、上杉謙信の家臣として川中島の戦いに従軍し、軍功を挙げた。その後越中戦線に派遣され、元亀3年(1572年)、一向一揆に包囲された越中火宮城救援のために出陣したが、神通川渡し場の戦いで敗れた。
のちに上杉景虎(北条三郎)が謙信の養子となるとその傅役に任命された。その縁で、天正6年(1578年)の御館の乱では上杉景虎方に付いて敗北。居城を捨てて失踪した。家督は弟(息子ともいわれる)の景長(孝長)が継いだ。