小西拓槙

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小西 拓槙
基本情報
本名 小西 拓槙
階級 ミドル級
身長 178cm
体重 80kg
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1987-07-21) 1987年7月21日(33歳)
出身地 大阪府岸和田市
プロキックボクシング戦績
総試合数 30
勝ち 25
KO勝ち 12
敗け 5
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小西 拓槙(こにし たくま、1987年7月21日 - )は、日本男性キックボクサー大阪府岸和田市出身。

経歴[編集]

父親が地元で少年野球の監督をしており、5歳から同チームで野球を始める。小・中学と少年野球チームに所属し、エースで4番打者を務める。高校はPL学園大阪桐蔭高校からスポーツ推薦を受け将来を嘱望されていたが、団体競技を嫌って大阪体育大学浪商高等学校に入学、部活は日本拳法部へ入部する。全国高等学校日本拳法選手権大会で個人有段の部3位入賞の実績を残す。高校卒業後、大阪府岸和田市の消防署員として就職する。

当時121kgあった体重を落とす為、キックボクシングを始め、キックボクシングの練習と消防の訓練で68kgまで体重が落ちる。

アマチュアではK-2無差別級優勝、NJKFアマチュア70kg級王者になっている。

2009年08月14日にKrushでプロデビューしたが、2013年頃までは消防士と兼業であり、2013年1月27日のREBELS.14で開催された「REBELS RAIDERS TOURNAMENT 2013」で優勝した後のマイクでは東日本大震災で大津波により壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町に、緊急消防援助隊として出動し、目の当たりにした捜索活動の悲惨な状況を訴えた[1]

そのため2013年4月14日のREBELS.15では、「現役の消防士キックボクサー」と紹介された[2] が、試合のREBELS 70kg級初代王座決定戦では、日菜太に判定負けを喫した[2]

その後、2014年4月までにはキックボクシングに専念するために消防士を辞め[3]タイ修行を経て上京し、クロスポイント吉祥寺に所属した。

2013年9月のパンクラス20周年・横浜大会でドイツのレオ・ズーリックに5R判定勝利でISKAインターコンチネンタルスーパーウェルター級王者になる。[4]

2017年10月1日、前回の出場から約6年半ぶりにKrushに復帰し、神保克哉に判定勝ちを収めた。その後はREBELSRISEGLORYKunlun Fightなどに出場。

2018年の大晦日に「RIZIN 平成最後のやれんのか!」でRIZINデビューしたが、内田雄大に判定負けを喫した。

2019年10月12日、「RIZIN.19」ではHIROYAに1R飛び膝蹴りでTKO勝利。RIZIN初勝利となる。[5]

2019年11月5日、「ザ!世界仰天ニュース2時間SP」で18歳の時に121kgから68kgまでダイエットした自身の物語が放送された。[6]

出演[編集]

映画
テレビ

獲得タイトル[編集]

プロ[編集]

  • REBELS RAIDERS TOURNAMENT 優勝
  • ISKAインターコンチネンタルスーパーウェルター級王者

アマチュア[編集]

  • K-2無差別級優勝
  • 初代NJKFアマチュア70kg級王者

出典[編集]

  1. ^ 【REBELS】T-98が因縁に決着!大和侑也との対戦を表明”. eFight【イーファイト】 (2013年1月27日). 2018年4月27日閲覧。
  2. ^ a b 【レベルス】日菜太がハイキックで初代王者に!再び世界へ”. eFight【イーファイト】 (2013年4月14日). 2018年4月25日閲覧。
  3. ^ 【シュートボクシング】小西拓槙が初参戦、坂本優起と王者対決”. eFight【イーファイト】 (2014年4月10日). 2018年4月25日閲覧。
  4. ^ 【パンクラス】川村亮、引退の高橋義生を秒殺KO”. eFight【イーファイト】 (2013年9月29日). 2018年4月27日閲覧。
  5. ^ 【試合結果】RIZIN.19 第3試合 HIROYA vs. 小西拓槙 - RIZIN FIGHTING FEDERATION(ライジン オフィシャルサイト)” (日本語). jp.rizinff.com. 2020年2月12日閲覧。
  6. ^ 日本テレビ放送網株式会社. “おデブに人助けは無理と言われイケメン仰天チェンジ!” (日本語). 日本テレビ. 2020年2月12日閲覧。

外部リンク[編集]