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小田切昌貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
小田切昌貞
時代 江戸時代中期
生誕 元禄14年(1701年
死没 宝暦5年12月17日1756年1月18日
別名 新左衛門、次郎左衛門
戒名 宗源
墓所 四谷松巌寺
主君 徳川将軍家
氏族 小田切氏
父母 父:小田切昌處、母:安藤氏
兄弟 昌貞、女子(横山正守妻)、昌宣
黒田氏
匡貞、女子(山崎英澄妻)、女子(吉田智見妻)、女子
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小田切 昌貞(おだぎり まささだ)は、江戸時代中期の武士江戸幕府旗本

経歴

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小田切昌處の長男として生まれ、昌處が致仕すると享保15年12月3日1731年1月10日)家督を継ぐ[1]享保18年12月20日1734年1月24日大番に列したのち、延享4年8月27日1747年10月1日新番に転じた[1]

宝暦5年12月17日1756年1月18日)死去した[1]。享年56[1]。長男の匡貞が遺跡を継いだ[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e 堀田 1923, 巻第三百九十四.

参考文献

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