寝ながら学べる構造主義

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寝ながら学べる構造主義
著者 内田樹
発行日 2002年6月20日
発行元 文藝春秋
ジャンル 思想・哲学の解説書
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 新書
ページ数 216
コード ISBN 978-4-16-660251-3
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寝ながら学べる構造主義』(ねながらまなべるこうぞうしゅぎ)は、内田樹が著した構造主義の解説書。

概要[編集]

2002年6月20日、文藝春秋より文春新書として刊行された。2004年4月20日、電子書籍版が発売された[1]。2009年半ばに発行部数が10万部を超える[2]

本書のもとになったのは著者が神戸市で行った市民講座の一回分の講義ノート[3]。タイトルは、東京大学で著者の学友だった竹信悦夫の発案。竹信が大学院受験の折に「『いきなり始めるフランス語』とか『寝ながら学べるフランス語』とかいう参考書が、どこかにないかなあ」とつぶやいたのを内田は記憶にとどめ、「いつかはこの題名で本を書こう」と思ったのだという[4]

2010年、韓国語に翻訳された[5]

内田が思想・哲学の解説書を書くのは本書が初めてではない。2000年4月に神戸女学院大学の同僚の難波江和英とともに『現代思想のパフォーマンス』(松柏社)を出版した(後述)。2003年6月にはフロイトジャック・ラカンロラン・バルトの理論を解説した『映画の構造分析』(晶文社)を出版した。

内田の著作は入試問題に多く用いられることでもよく知られるが、本書は2003年度だけでも中学高校大学10数校の入試に使われたという[6]

内容[編集]

タイトル 取り上げられている学者
第1章 先人はこうして「地ならし」した
――構造主義前史[注 1]
カール・マルクス (1818 - 1883)
ジグムント・フロイト (1856 - 1939)
フリードリヒ・ニーチェ (1844 - 1900)
第2章 始祖登場
――ソシュールと『一般言語学講義』
フェルディナン・ド・ソシュール (1857 - 1913)
第3章 「四銃士」活躍す その一
――フーコーと系譜学的思考
ミシェル・フーコー (1926 - 1984)
第4章 「四銃士」活躍す その二
――バルトと「零度の記号」[注 2]
ロラン・バルト (1915 - 1980)
第5章 「四銃士」活躍す その三
――レヴィ=ストロースと終わりなき贈与
クロード・レヴィ=ストロース (1908 - 2009)
第6章 「四銃士」活躍す その四
――ラカンと分析的対話
ジャック・ラカン (1901 - 1981)

『現代思想のパフォーマンス』(2000年・共著)[編集]

『現代思想のパフォーマンス』は神戸女学院大学教授の難波江和英と内田樹の共著である。2000年4月に松柏社より刊行され、2004年11月に光文社新書として新書化された。

「大学生がツールとして使いこなせるような現代思想の本」[9]である同書は、6人の思想家についてそれぞれ「案内編」「解説編」「実践編」が書き記されている。参考として内容を以下に掲げる。括弧の中は、執筆者と実践編で用いられた作品のタイトルである。

Ⅰ フェルディナン・ド・ソシュール (難波江/『不思議の国のアリス』)

Ⅱ ロラン・バルト (内田/『エイリアン』)[注 3]

Ⅲ ミッシェル・フーコー (難波江/『カッコーの巣の上で』)[注 4]

Ⅳ クロード・レヴィ=ストロース (内田/『お早う』)

Ⅴ ジャック・ラカン (内田/『異邦人』)[注 3]

エドワード・サイード (難波江/『M.バタフライ』)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 第1章で内田はこう述べる。「私たちは自分が『ほんとうのところ、何ものであるのか』を、自分が作り出したものを見て事後的に教えられます。(中略) 自己同一性を確定した主体がまずあって、それが次々と他の人々と関係しつつ『自己実現する』のではありません。ネットワークの中に投げ込まれたものが、そこで『作り出した』意味や価値によって、おのれが誰であるかを回顧的に知る。主体の起源は、主体の『存在』にではなく、主体の『行動』のうちにある。これが構造主義のいちばん根本にあり、すべての構造主義者に共有されている考え方です」[7]
  2. ^ 集団的に選択され、実践される「好み」である「エクリチュール」(écriture)がどういうものかを、内田は次のようなたとえで説明する。「中学生の男の子が、ある日思い立って、一人称を『ぼく』から『おれ』に変更したとします。この語り口の変更は彼が自主的に行ったものです。しかし選ばれた『語り口』そのものは、少年の発明ではなく、ある社会集団がすでに集合的に採用しているのです。それを少年はまるごと借り受けることになります。(中略) 『熊ちゃんのパジャマ』のようなものを着て寝るわけにはゆかなくなるのです」[8]
  3. ^ a b リドリー・スコット監督の『エイリアン』とジャック・ラカンの「『盗まれた手紙』についてのセミネール」は、『映画の構造分析』(晶文社)でも詳細に論じられている。
  4. ^ 『カッコーの巣の上で』はジャック・ニコルソン主演の映画版が一般的に知られているが、難波江が取り上げているのはケン・キージーの原作(1962年)である。

出典[編集]

関連項目[編集]