富沢直綱

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富沢 直綱
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 生年不詳
死没 没年不詳
官位 日向守
主君 葛西晴信
氏族 富沢氏
父母 父:富沢直家
直景
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富沢 直綱(とみざわ なおつな)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将葛西氏の家臣。陸奥国栗原郡鶴丸館主。

略歴[編集]

富沢直家の子として生まれる。富沢氏は葛西氏の庶流で、室町時代に栗原郡富沢(宮城県栗原市栗駒)を領し、鶴丸館に拠った。同地は大崎氏の国境近くであったため去就が決まらず両氏の間で帰属と離反を繰り返し[1]天正7年(1579年)、直綱は葛西氏に背くが深堀城主・深堀武虎の攻撃を受けて降伏した[2]

また、子の直景葛西晴信に従って佐沼城の戦いで活躍するが、天正18年(1590年)の葛西大崎一揆で戦死したという[2]。その後、富沢氏は花巻に移住し、江戸時代南部藩士となった[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b 森岡浩『戦国大名家辞典』東京堂出版、389-340頁。ISBN 9784490108422 
  2. ^ a b 阿部猛西村圭子『戦国人名事典 コンパクト版』新人物往来社、1990年9月10日、549頁。ISBN 4404017529