安保実員
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時代 | 鎌倉時代前期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
別名 | 七郎(通称)、阿保実員 |
官位 | 左衛門尉 |
幕府 | 鎌倉幕府 |
氏族 | 安保氏 |
父母 | 父:安保実光 |
兄弟 | 阿保実房、安保光重、実員 |
子 | 泰実、北条泰時継室 |
安保 実員(あぼ /あぶ さねかず)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府の御家人。名字は阿保とも。父は安保実光。
人物
[編集]武蔵七党の一つで丹治比真人姓を称し、武蔵国安保(現埼玉県児玉郡神川町元阿保)を拠点とした丹党の一族、安保氏の2代目。
承久の乱の恩賞として播磨国の守護に任じられる。実員の娘は鎌倉幕府3代執権である北条泰時の継室となって次男時実を産むが、時実は16歳で死去している。これ以外の孫として阿保頼泰がいる。実員の一族は本来分家の流れだが、鎌倉幕府が崩壊し、宗家が滅ぶと、代わりに惣領家を継ぐ事となる。頼泰の子孫は室町時代を生き抜いて、のちに後北条氏に属する武将として、上野国内の要衝を支えることとなる。