安住忠治
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安住 忠治(あずみ ちゅうじ、1878年(明治11年)8月24日)[1] - 没年不明)は、日本の政治家。
経歴
[編集]鳥取県八頭郡那岐村大字奥本(現・智頭町)出身[1]。安住房五郎の長男[1]。小学校を卒業する[1]。農業を営む[1]。
収入役に選ばれる[1]。1917年、村会議員に当選する[1]。1918年、助役となる[1]。1919年、郡会議員に選出、同時に参事会員となる[1]。
有限責任那岐信用購買販売組合理事である[2]。
人物
[編集]那岐村に於ける有力家である[1]。1922年に刊行された『八頭鳥取地価表 弐百円以上』によると、地価所有高は「1460円64銭」である[3]。趣味は政治、植林[1]。住所は鳥取県八頭郡那岐村大字奥本[2]。
家族・親族
[編集]- 安住家
- 父・房五郎[1] - 1912年に刊行された『五百円以上所有者地価表姓名録 因幡の巻』によると、地価所有高は「1349円57銭」である[4]。
- 妻・たき(1879年 - ?、智頭町、米井豊次郎の二女)[1]
- 長男[1]
- 二男[1]
- 三男・千秋(1910年 - ?、薬学博士、神戸女子薬科大学教授)[5]
- 親戚
- 安住政吉(農業、那岐村会議員)[1]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『因幡人事興信録』832 - 833頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月26日閲覧。
- ^ a b 『官報 1922年03月03日』官報 第2873号付録16頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月26日閲覧。
- ^ 『八頭鳥取地価表 弐百円以上』96頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月27日閲覧。
- ^ 『五百円以上所有者地価表姓名録 因幡の巻』72頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月27日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第25版 下』た337頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年7月26日閲覧。