姜健

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姜 健
生誕 1918年
大日本帝国の旗 朝鮮(日本統治時代)慶尚北道尚州市
死没 1950年
大韓民国の旗 大韓民国慶尚北道安東市
所属組織 東北抗日聯軍
ソ連軍
東北民主連軍
朝鮮人民軍
最終階級 大尉(ソ連軍)
中将(北朝鮮軍)
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姜 健
各種表記
ハングル 강건
漢字 姜健
発音: カン・ゴン
ローマ字 Kang Kon
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姜 健(カン・ゴン、강건)は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の満州派に属する軍人。本名は姜 信泰(カン・シンテ、강신태)。朝鮮人民軍初代総参謀長アメリカ軍将兵からはキングコングと呼ばれた[1]。息子に北朝鮮の軍人の姜 昌柱(カン・チャンチュ、강창주)[2]

経歴[編集]

1918年、慶尚北道尚州の貧農に生まれる[3]。幼少時に両親に連れられ満州に移住[4]寧安市で学んでいる時に中国共産主義青年団に加入[5]。1930年代初めから抗日運動に参加し東北抗日連軍第5軍に所属してパルチザン活動。1936年、第5軍第3師第9団政治委員。後に第2路軍総指揮部警衛隊代政治委員[6]

1940年12月、党幹部会議が開かれ、北野営党臨時委員会書記[7]

1942年、第88特別旅団第2大隊政治委員[8]。1943年秋に柴世榮が行方不明になると後任として第4大隊長に就任[9]。ソ連軍大尉[8][10]

1945年9月、延吉市に到着しソ連軍延吉警備司令部副司令として活動[11]。同年10月に延辺自治軍司令員[12]中国共産党延辺委員会を再建し、党書記に就任[13]。警備第1、2、3団を結成[8][14]。1946年1月、東北民主連軍吉東軍区司令員兼延吉警備第1旅旅長[12]

1946年7月に帰国して朝鮮人民軍第2師団長に就任。1948年3月に朝鮮労働党中央委員に選出され朝鮮人民軍中将。1948年2月、初代総参謀長に就任。ついで1950年6月、前線指揮部参謀長。

大田攻防戦後、前線司令部を前進させ後続部隊の移動状況を視察中に乗っていた車両が地雷を踏み戦死[15]。1950年9月、最高人民会議から朝鮮民主主義人民共和国英雄を授与される[16]。後年、彼の名を冠した姜健総合軍官学校朝鮮語版が設立され1968年には姜健の銅像が建立される[4]。また、人民軍第2師団は「近衛姜健第2歩兵師団」の称号を与えられている[17]

出典[編集]

  1. ^ マシュウ・B・リッジウェイ 熊谷正巳,秦恒彦訳. 朝鮮戦争. 恒文社. 
  2. ^ 金学俊 李英訳. 北朝鮮五十年史―「金日成王朝」の夢と現実. 朝日新聞社. 
  3. ^ 和田春樹 1992, p. 356
  4. ^ a b 朝鮮戦争 (下) (歴史群像シリーズ (61)). 
  5. ^ 和田春樹 1992, p. 330
  6. ^ 和田春樹 1992, p. 262
  7. ^ 和田春樹 1992, p. 364
  8. ^ a b c 姜在彦 1997
  9. ^ 和田春樹 1992, p. 319
  10. ^ 佐々木春隆 1985
  11. ^ 和田春樹 1992, p. 341
  12. ^ a b 和田春樹 1992, p. 346
  13. ^ 李海燕 2009, p. 42
  14. ^ 李海燕 2009, p. 53
  15. ^ 和田春樹 2002, p. 175
  16. ^ 李海燕 2009, p. 66
  17. ^ 조국해방전쟁에서 위훈을 세운 근위부대들”. ネナラ (2015年7月27日). 2018年3月23日閲覧。

参考文献[編集]

 朝鮮民主主義人民共和国の旗 朝鮮民主主義人民共和国
先代:
設置
朝鮮人民軍総参謀長
1948年 - 1950年
次代:
南日