太陽系儀

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水星金星地球の運行を再現する小さな太陽系儀
オランダのフラネカーに現存するアイゼ・アイジンガー惑星運行儀
1812年にRobert Brettell Bateによって製作された太陽系儀。現在はシンクタンク・バーミンガム博物館で展示される
俯瞰型の太陽系儀

太陽系儀(たいようけいぎ 英語 orrery)とは、地動説を基にした太陽系の模型である。中心に太陽を置き、歯車の回転によってアームに取り付けた惑星の模型を回転することにより、惑星相互の位置を再現する。

概要[編集]

キケロの著作によれば、紀元前1世紀ギリシャの哲学者、ポセイドニオスアンティキティラ島の機械と現在呼ばれているものを作ったと書かれている。この機械は太陽と、その当時知られていた、水星金星地球火星木星土星の惑星運行を再現するものであったらしい。1901年アンティキティラの沈没船英語版からアンティキティラ島の機械が発見されたことにより、そのような天体の運行を再現する装置は紀元前に既に存在していたことが実証された。

ヨハンネス・カンパヌス (1220-1296) はTheorica Planetarum (太陽系儀)を建設した。1348年から1364年にかけて時計師のジョバンニ・デ・ドンディアストラリウムを製作した。

近代的な太陽系儀は1704年に時計師のジョージ・グラハムトーマス・トンピョンによって作られた。グラハムは自らのパトロンだった、第4代オーラリー伯爵の名を取って、この太陽系儀を「オーラリー」と名づけた。以降、英語圏では太陽系儀のことを「orrery」と呼ぶようになる。

18世紀において、小型の太陽系儀は迫力を欠いていた。18世紀末には複数の教育者達が、大型の天界を再現する装置を造った。アダム・ウォーカー(1730-1821)と彼の息子たちが製作した"Elaborate Machine" は全高12フィート、27インチ径のもので、垂直に立てられていて球体は巨大で目立っていた。その装置は説法に用いられた。

現存する最古の作動する惑星運行儀は、オランダのフラネカーに見ることができる。アイゼ・アイジンガー(1744-1828)によって彼の居室に7年の歳月をかけて製作され、1781年に完成した。

日本では江戸時代末期の1851年田中久重によって上部に天象儀を備えた万年自鳴鐘が製作された。

なお、日本では太陽・地球・月の運行のみを再現する模型のことを「三球儀」と呼ぶ。

日本ではこれまで一部の博物館に展示されているくらいで馴染みがなかったが、デアゴスティーニ・ジャパンから2009年01月13日から2011年01月06日にかけて通算103巻の「週刊 天体模型太陽系をつくる」が刊行され、普及した[1]

脚注[編集]

文献[編集]

  • 宮地政司 『新天文学講座 天文台と観測器械・天体望遠鏡』、1964年

関連項目[編集]