太刀ノ海浪右エ門

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太刀ノ海浪右エ門(たちのうみなみえもん、1894年7月25日-1964年8月4日[1])は、友綱部屋東関部屋高砂部屋に所属した元力士。8代木村瀬平。本名は野津貞助(旧姓草間)。現在の島根県安来市出身。174cm、88kg。最高位は西前頭3枚目[2]

経歴[編集]

1913年1月初土俵。入門時は太刀山峯右エ門の弟子であった。1922年1月新入幕。突っ張りと左四つからの寄りを武器に幕内を5場所務め、1923年1月場所に最高位である西前頭3枚目まで番付を上げるが、その後病気がちで休場も多く、最後は十両であった。1925年1月に引退して8代木村瀬平を襲名した。1947年11月廃業[2]

太刀山の還暦土俵入りでは露払いを務めた[2]

成績[編集]

  • 幕内5場所12勝18敗20休1預
  • 通算14場所32勝35敗20休3分預

改名[編集]

太刀ノ海浪右ヱ門→太刀ノ海浪右エ門[3]

出典 [編集]

  1. ^ http://www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/1/19220109.htm[リンク切れ]
  2. ^ a b c ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p21
  3. ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709