大渡順二

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大渡 順二(おおわたり じゅんじ、1904年8月17日 - 1989年6月4日)は、日本医事評論家記者

来歴[編集]

岡山県出身。父・大渡忠太郎は植物学者で、第六高等学校(現・岡山大学教授であった[1]京都帝国大学中退。朝日新聞社入社、政治経済部記者。結核の闘病体験から医学知識の普及を目的として1946年保健同人社を設立、雑誌『保健同人』を創刊。54年医師守屋博と日本初の「人間ドック」を始めた。日本エッセイストクラブ幹事。

著書[編集]

  • 新体制読本 新紀元社, 1940
  • 結核療養のコツ 回復者は教える 保健同人社, 1955
  • 医者の選び方 保健同人社, 1962.
  • 医者のかかり方実用編 岡本正共著. 保健同人社, 1962.
  • 健康ご意見番 朝日新聞社, 1965.
  • 大渡順二文集. 1(私史) 保健同人社, 1981.7.
  • 大渡順二文集. 2(随筆) (わたしの砂文字) 保健同人社, 1981.8.
  • 大渡順二文集. 3(論索) (心をひらく) 保健同人社, 1990.6.

脚注[編集]

  1. ^ 土岐隆信「明治以降の岡山県における民間の植物研究の軌跡―里庄町出身の研究者 佐藤清明、横溝熊市、安原清隆氏について―」『佐藤清明資料保存会会報』第6号、佐藤清明資料保存会・里庄町立図書館、2020年、2-9頁。 

参考[編集]

  • 日本人名大事典