大岡義安

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大岡 義安
時代 江戸時代後期
生誕 延享3年(1746年[1]
死没 不詳
別名 通称:豊次郎、甚之丞、孫左衛門
幕府 江戸幕府旗本
父母 父:浅香直房、母:某氏
養父:大岡義居
大岡義居の長女
養子:義方
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大岡 義安(おおおか よしやす[2])は、江戸時代後期の旗本清和源氏新田氏族大岡氏分家の『寛政重修諸家譜』編纂時点の当主。養父は大岡義居。実父は浅香直房(傳左衛門)。家禄は蔵米250俵。

生涯[編集]

浅香直房の二男に生まれる。大岡清勝の二男・清春を家祖とする大岡氏の婿養子となり、明和7年(1770年)に25歳で養父の義居の家督と家禄を相続する。安永元年(1772年)に大番士となる。

実子は『寛政重修諸家譜』成立時点で1男4女。『寛政重修諸家譜』編纂時点で青木長国の二男の義方を養子に迎えている。また、『寛政重修諸家譜』では一族代々の葬地を牛込傳久寺と記載している。

義安は幕末大奥御年寄瀧山の養祖父で奥女中の染嶋の父とされる。

脚注[編集]

  1. ^ 『寛政重修諸家譜』に記載の家督相続年からの逆算。
  2. ^ 寛政重修諸家譜』。徳川家慶元服前の読みの可能性が高い。

参考文献[編集]

  • 『新訂寛政重修諸家譜 第2』(続群書類従完成会、編集顧問、高柳光寿、岡山泰四、斎木一馬、1964年)
    • 寛政重修諸家譜 巻七十五