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大国村 (鳥取県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おおくにそん
大国村
廃止日 1955年3月30日
廃止理由 新設合併
天津村大国村法勝寺村上長田村東長田村西伯町
現在の自治体 南部町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
西伯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 1,804
国勢調査、1950年)
隣接自治体 天津村、法勝寺村
島根県能義郡伯太村
大国村役場
所在地 鳥取県西伯郡大国村大字原
座標 北緯35度21分49秒 東経133度19分30秒 / 北緯35.36364度 東経133.32494度 / 35.36364; 133.32494 (大国村)座標: 北緯35度21分49秒 東経133度19分30秒 / 北緯35.36364度 東経133.32494度 / 35.36364; 133.32494 (大国村)
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大国村(おおくにそん[1][2])は、鳥取県西伯郡にあった。現在の西伯郡南部町の一部にあたる。

地理

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法勝寺川の中流、同支流の北方川・絹屋川の流域に位置していた[2]

  • 山岳:大平山[3]、母塚山系[4]、道面山[5]

歴史

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  • 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、会見郡原村、倭村、北方村、猪小路村、与一谷村、西村、絹屋村、鍋倉村が合併して村制施行し、大国村が発足[1][2]。旧村名を継承した原、倭、北方、猪小路、与一谷、西、絹屋、鍋倉の8大字を編成[2]
  • 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により西伯郡に所属[2]
  • 1951年(昭和26年)大字倭に大国村など5か村事務組合の西伯病院開設[3]
  • 1955年(昭和30年)3月30日、西伯郡天津村、法勝寺村、上長田村、東長田村と合併し、町制施行し西伯町を新設して廃止された[1][2]。合併後、西伯町大字原・倭・北方・猪小路・与一谷・西・絹屋・鍋倉となる[2]

産業

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教育

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  • 1890年(明治23年)潤徳簡易小学校開校[6]。1892年(明治25年)潤徳簡易小学校を原簡易小学校に統合し、大国尋常小学校となる[2]。1941年(昭和16年)大国国民学校に改称[2]。1945年(昭和20年)米子市弓ヶ浜半島からの疎開児童を受入れ在籍生徒353名となる[7]。1947年(昭和22年)大国小学校に改称[2]

脚注

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  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』121頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』166-167頁。
  3. ^ a b 「倭〈西伯町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』799頁。
  4. ^ 「北方〈西伯町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』279頁。
  5. ^ 「鍋倉〈西伯町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』569頁。
  6. ^ 「西〈西伯町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』577頁。
  7. ^ 「原〈西伯町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』624-625頁。

参考文献

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関連項目

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