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大南町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大南地区から転送)
だいなんちょう
大南町
廃止日 1963年3月10日
廃止理由 新設合併
大分市、鶴崎市大分郡大分町大南町北海部郡大在村坂ノ市町大分市
現在の自治体 大分市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 大分県
大分郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 鶴崎市、臼杵市、大分郡大分町、野津原町大野郡大野町犬飼町野津町
大南町役場
所在地 大分県大分郡大南町大字中戸次
座標 北緯33度09分06秒 東経131度39分16秒 / 北緯33.15175度 東経131.65447度 / 33.15175; 131.65447座標: 北緯33度09分06秒 東経131度39分16秒 / 北緯33.15175度 東経131.65447度 / 33.15175; 131.65447
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大南町(だいなんちょう)は、かつて大分県大分郡にあったである。

概説

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1963年3月10日に、大分市、鶴崎市、大分郡大分町北海部郡大在村、同坂ノ市町と合併(新設合併)し、新たに大分市となった。

旧大南町は、現在の大分市の中では南部にあたり、大南地区と呼ばれている。大南地区には、大分市役所の支所として大南支所が設置されている。大南支所は、1927年(昭和2年)に戸次町役場として建設された旧大南町役場の庁舎を使用していたが、1973年(昭和48年)8月5日に約200m大分寄り(大分市大字中戸次4540番地の1)に新築移転[1]。さらに、2011年(平成23年)3月22日に大南市民センター(大分市大字中戸次5115番地の1)内に移転している[2]

歴史

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  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、戸次(へつぎ)村、判田(はんだ)村、河原内(かわらうち)村、竹中(たけなか)村、吉野(よしの)村が発足する。
  • 1907年(明治40年)4月1日 - 河原内村・竹中村が合併(新設合併)し、新たに竹中村となる。
  • 1921年(大正10年)1月1日 - 戸次村が町制施行し、戸次町となる。
  • 1941年(昭和16年)10月1日 - 豊肥線列車脱線転落事故が発生[3]
  • 1954年(昭和29年)3月31日 - 戸次町判田村竹中村吉野村が合併(新設合併)し、大南町が発足する。
  • 1963年(昭和38年)3月5日 - 大野郡大野町大字安藤の一部を編入する。
  • 1963年(昭和38年)3月10日 - 大分市、鶴崎市、大分町、大在村、坂ノ市町と合併(新設合併)し、新たに大分市となったため消滅する。

交通

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※消滅直前のデータ

鉄道

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主な出身者

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脚注

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  1. ^ 大分市報 1967年8月15日号 (No.507) (PDF) 大分市
  2. ^ 市報おおいた 2011年3月1日号 (No.1552) (PDF) 大分市
  3. ^ 原因は地盤のゆるみ、救援進まず『大阪毎日新聞』(昭和15年10月2日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p729 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年

関連項目

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