坂本健一
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坂本 健一(さかもと けんいち、1874年3月 - 1930年?月[1])は、日本の歴史家、著述家。 号は蠡舟(れいしゅう[2]・いしゅう[1])。坂本 健名義の著書もあるらしい。
生涯
[編集]兵庫県淡路島平民出身。1895年7月3日に旧制第四高等学校大学予科第一部を卒業、1898年7月10日に東京帝国大学文学部史学科を卒業。1900年北京京師大学堂(現・北京大学)の招聘を受け、7年間の出向を経て著述業に従事[1]。
大正期には「コーラン経」(1920年、セイルらのクルアーン英訳本からの重訳)や「ムハメッド伝」(1923年)を著した[3]。
著作
[編集]- 坂本健一『麻謌末』博文館〈世界聖典全集〉、1899年。
- 坂本健一、高桑駒吉『新撰東洋史』富山房、1901年。
- 坂本健一『日本風俗史』 48巻、博文館〈帝國百科全書〉、1910年4月 。
- エドワード・ギボン『羅馬盛衰史』1918年 。 翻訳。
- 『コーラン經』世界聖典全集刊行會〈世界聖典全集〉、1920年。 George Sale、Reverend John RodwellのThe Koran(1861) Edward Henry PalmerのThe Qur'an(1880)を参照したクルアーンの重訳。
- 『ムハメッド傳』1923年。
- 「成吉思汗傳」『成吉思汗非源義經』雄山閣、1925年 。
- 『通俗世界歴史』五巻(博文館)
関連人物
[編集]- 服部宇之吉
- 太田達人(文部省図書審査官)
- 桑野久任(東大助教授)
- 矢部吉禎(東大助教授)
- 氏家謙曹(二高教授)
- 西村熊二(工学士)
- 高橋勇(1891年東京美術学校 (旧制)絵画科入学、1896年卒)[6]
- 法貴慶次郎(後の東京市視学)
- 鈴木信太郎 (弘前高等学校長)[7]
- 林紓 清末の文人。数々の西洋小説の漢文文語訳で知られる。
脚注
[編集]- ^ a b c 日本児童文学大事典 - 大日本図書
- ^ 坂本, 蠡舟 - Web NDL Authorities(国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス)
- ^ 坂本健一 とは - コトバンク(世界大百科事典【中東】)
- ^ “和解学の創成〜正義ある和解を求めて”. 2020年6月14日閲覧。
- ^ 増田史郎亮「沖禎介の「文明学堂」創設前後の日中教育文化交流の一断面 ―文明学堂章程(条規)の資料紹介もかねて―」『長崎大学教育学部教育科学研究報告』第27巻、長崎大学教育学部、1980年3月、37-62頁、ISSN 0388-2802、NAID 110009624008。
- ^ “岡倉覚三「日本美術史」を読む 第一回 2008.6.6,14”. 2020年6月14日閲覧。
- ^ “魯迅と日暮里(29)南波登発の「亞細亞」への視線(4)古いものと新しいもの Something old, something new(下)”. 2020年6月14日閲覧。