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土師身

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
土師 身
時代 飛鳥時代
生誕 不明
死没 不明
氏族 土師
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土師 身(はじ の み、生没年不明)は、古代日本豪族

大化5年(649年)3月、異母弟の蘇我日向の讒言を受け、蘇我倉山田石川麻呂は山田寺で一族ともども自害に追いやられた。天皇は大伴狛と蘇我日向を将軍として石川麻呂を追わせたが、その軍が河内国丹比郡黒山(現在の大阪府堺市美原区黒山)に到着した際に、土師身・采女使主麻呂らが山田寺からかけつけ、「蘇我大臣は既に三男一女とともに、自経して死にました」と将軍たちに告げた、そこで将軍たちは丹比坂から引き返した、と伝えられている[1]

参考文献

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脚注

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  1. ^ 『日本書紀』孝徳天皇大化5年3月25日条