哀平皇后

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哀平皇后(あいへいこうごう、? - 386年)は、五胡十六国時代前秦の第4代君主苻丕の皇后である。姓は楊氏。仇池出身の人である。前秦の征東将軍・左司馬楊膺の妹である。

生涯[編集]

苻丕が長楽公だった時代に妃に立てられた。

385年8月、苻丕が皇帝に即位すると、楊氏は皇后に立てられた。

386年10月、苻丕は平陽へ拠点を移したが、西燕の君主の慕容永に敗北を喫し、城を出て敗走するも東晋の揚威将軍馮該に攻撃されて戦死した。楊氏は百官と共に西燕に捕らえられた。

同月、慕容永が長子において皇帝に即位すると、楊氏を上夫人に立てた。だが、楊氏はこれを拒絶し、剣を引き抜いて慕容永を刺そうとしたが及ばず、慕容永に誅殺された。

やがて苻登が皇帝に即位すると、楊氏を哀平皇后と追した。

参考文献[編集]