吉岡倭文麿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

吉岡 倭文麿(よしおか しずまろ、1849年嘉永2年9月[1][注 1])- 1897年明治30年)4月18日[1])は、明治時代の政治家神職衆議院議員(2期)。別名・要男、要人[2]

経歴[編集]

高橋権兵衛の四男として[3]隠岐国周吉郡矢尾村[2]島根県周吉郡西郷港町、中町[3]西郷町を経て現隠岐の島町)に生まれる。幼くして父母を亡くし、12歳の時に同郡西町(西郷町を経て現隠岐の島町)の吉岡家の養子となり、13歳にして家督を相続した[3]。その後、15歳にして養父を失う[4]。医師の野津徹斎や田中鼎助につき和漢学を修めた[4]。1868年(慶応4年)隠岐騒動で自治政府の警護頭取を務めた[2]。その後、戊辰戦争に従軍した[4]1871年(明治4年)水祖神社神官となり、八尾小学校訓導、神道教導職、郡書記、郡学務委員戸長を歴任した[4]

1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では島根県第6区から出馬し当選[1]。つづく第2回総選挙でも当選し衆議院議員を2期務めた[1]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 『日本帝国国会議員正伝』203頁では嘉永元年9月生。

出典[編集]

  1. ^ a b c d 衆議院、参議院 1962, 549頁.
  2. ^ a b c 『島根県歴史人物事典』622頁。
  3. ^ a b c 木戸 1890, 203頁.
  4. ^ a b c d 木戸 1890, 204頁.

参考文献[編集]